朝一番の不穏な依頼
封筒の中身は登記識別情報通知
役所帰りの途中で立ち寄った事務所のポストには、一通の封筒が差し込まれていた。差出人不明、宛名は手書きで「司法書士シンドウ様」。封を開けると、中には登記識別情報通知書の写しらしきものが入っていた。 紙の端は少し黄ばんでおり、使用されたインクも古い印象を受ける。だが奇妙なことに、その内容には「売主」として見知らぬ名前が記載されていた。シンドウはしばらく目を閉じ、深くため息をついた。 「こんな朝からミステリー仕立てかよ、、、冗談じゃないな」
依頼人は現れなかった
その日予定されていた相談者は、約束の時間を過ぎても姿を見せなかった。電話をしても「おかけになった電話番号は現在使われておりません」のアナウンス。 事務所の空気が不穏に揺れる中、サトウさんはすでに静かにパソコンを開き、通知書に記載された地番を検索していた。その動作には迷いがない。シンドウはというと、ただコーヒーを啜るばかりである。 やれやれ、、、今日もまた、普通には終わらなそうだ。
机上に残された違和感
氏名欄の不一致
登記識別情報通知の氏名欄には「安西キミエ」と書かれていたが、土地の名義人は「安西ヒロト」のままになっていた。これは一見して相続登記の途中に見えるが、シンドウの記憶ではそのような手続は受任していない。 ファイルキャビネットを開けて過去の記録を確認する。やはりこの住所の依頼はない。手がかりがなさすぎることが、逆に事件の匂いを強めていた。 不一致はミスではない。誰かが意図してそう仕掛けているのだ。
署名が古いインクで書かれていた
もっとも不可解だったのは、通知書の署名部分が明らかに万年筆で書かれていたことだ。最近の法務局では印字で通知が発行されるため、万年筆の筆跡など見かけることはほぼない。 「これは、、、十年以上前の様式ですよね」とサトウさんが言った。 彼女が指摘したのは、文書の隅にある様式番号だった。 時代錯誤の書類。その存在自体が、まるで時を越えて現れたトリックのようだった。
サトウさんの冷静な観察眼
印影のズレに気づく
サトウさんが紙を傾けると、実印の印影が微妙にズレているのがわかった。色合いも赤すぎる。これは朱肉ではなく、スタンプインクの可能性があるという。 「つまりこれは、、、偽造?」とシンドウが口にしたとき、彼女は首を横に振った。 「いえ。部分的に本物をコピーして、他を差し替えています。悪質な合成です」 その分析に、シンドウは思わずサザエさんのように「ええっ!?」と声を漏らしそうになった。
過去の登記簿からの違和感
登記情報提供サービスで検索をかけると、当該地番の権利関係は少し前に変更されていたことが分かった。だがその変更日には、一つだけ不自然な空白期間があった。 所有権移転の原因が「贈与」となっていたにも関わらず、贈与契約書の記載がなく、登記原因証明情報も極端に簡素だったのだ。 こういう時の直感だけは、なぜか元野球部の勘が当たる。これは「やってる」ヤツの動きだ。
消えた依頼人と電話の履歴
発信元は空き家の番号
受電記録を確認すると、件の封筒が届く前に一度だけ知らない番号から着信があった。折り返しても繋がらなかったが、その番号を逆探知すると、町外れの空き家と一致した。 空き家といっても、登記上はまだ「安西ヒロト」名義のままだ。 誰かが「本人」になりすまそうとしている。舞台は整っている。
名義変更直後に行方不明
更に突き止めたのは、「ヒロト」本人が名義変更の登記後、町内から姿を消していたことだ。近隣住民は「最近見てないですね」と語るのみで、何かを隠しているようでもあった。 まるで、ルパンのように煙のように姿を消したのだ。
登記識別情報の本当の持ち主
前所有者の娘が語った真実
サトウさんが独自にたどり着いたのは、ヒロトの娘「キミエ」だった。彼女によると、父親は誰かに「遺言のことで話がある」と言って出かけたきり戻らないという。 「父の通帳や保険証も見当たらないんです」 キミエの言葉に、シンドウはまたため息をついた。これはもう完全に、登記の問題ではなく事件だった。
サトウさんの推理が導いた名前
サトウさんは冷静に推理を積み重ね、ある町役場の非常勤職員の名前を挙げた。その人物は登記識別情報の通知発送業務にも関与しており、情報の持ち出しが可能だった。 通知書は破棄される予定のものを横流しし、一部を偽造して名義変更を進めたのだ。 「これ、通報しましょう」と彼女は当然のように言った。
司法書士の職責と葛藤
やれやれ、、、簡単にはいかないか
法務局への通報、警察への連絡、そして依頼人であるキミエへの説明。事務所は短期間で騒然とし、シンドウの仕事量は一気に山のように膨れ上がった。 「やれやれ、、、簡単にはいかないか」 それでも、自分の仕事が人を守ることにつながったと信じて、彼は机の上の書類にペンを走らせ続ける。
責任の所在と法の狭間で
今回の事件は、司法書士という職業がただの手続人ではなく、人の人生と信頼を背負っていることを思い出させてくれた。 間違いを見過ごすことは、誰かの未来を壊すことにもなるのだ。 この静かな戦いは、誰にも気づかれない。でも、そこにこそプロの意地がある。
判明したなりすましの手口
廃棄予定の情報通知書の回収
犯人は、法務局で廃棄予定の通知書を受領する業務を請け負い、その中から使えそうなものを抜き出していた。使われていない識別番号を元に、情報を塗り替えたのだ。 旧所有者の情報を参照して、巧みに「それらしく」見せる文書を仕立てた。
本物と偽造のわずかな違い
決め手となったのは、通知書のフォントのわずかな違いだった。偽造者は同じ文書ソフトを使っても、印字のクセまでは再現できなかった。 まさに、名探偵コナンでよくある「フォントの落とし穴」だ。
届け出書の裏に潜む細工
筆跡とボールペンの種類
役所に提出された本人確認書類にも細工が施されていた。筆跡鑑定によって、それが別人の手によるものと判明。ボールペンのインク成分も、通常と異なるものが使われていた。 些細なことでも、法は真実を暴く手助けになる。
地元役場職員の関与疑惑
職員が協力していた可能性が浮上したが、内部調査で否定され、どうやら外部のなりすましによる単独犯行だったことが分かった。 とはいえ、管理の甘さは否定できず、役場は対策強化を余儀なくされた。
最後の一手で真相へ
元野球部の直感が告げたタイミング
決定的な証拠を押さえるため、シンドウはある賭けに出た。犯人が再び役所に出向くタイミングを読み、尾行することにしたのだ。 「こういうのはタイミングだ。ストライクゾーンにくる一球を待て」 元野球部の勘が告げたタイミングは、見事に的中した。
公証人役場での対面
公証人役場で偽造書類を持ち込んだ犯人は、その場で現行犯として取り押さえられた。サトウさんの読みも完璧だった。 正義は紙の上だけにあるものじゃない。そう思えた瞬間だった。
終わりのない登記と人間模様
依頼者の悲しい動機
犯人はかつて土地を奪われたと感じていた親戚だった。彼にとって「登記」は復讐の象徴だったのかもしれない。 だが、その方法は決して許されるものではなかった。
識別情報の重みと信頼
登記識別情報という一枚の紙。それはただの情報ではない。人の財産と、人生と、信頼が詰まった証明だった。 それを守るのが、司法書士の使命である――そうシンドウは改めて胸に刻んだ。