月末になると胃が痛くなる司法書士の話

月末になると胃が痛くなる司法書士の話

月末の足音が聞こえるたびに

司法書士という職業は、毎月「締め切り」と「請求」と「未処理の案件」に追われながら走るマラソンのようなものだ。特に月末が近づくと、妙なプレッシャーが体にのしかかってくる。気づけば胃がチクチク痛んでいて、「あれ、また今月もこの時期か」と自分の体が月末を覚えてしまっているのに気づく。月初にはそこまで感じなかった痛みが、26日を過ぎたあたりから明らかに増すのだ。まるで「もう逃げ場はないよ」と体が教えてくれているような気さえする。

「あの書類、まだ戻ってきてないよな…」

月末のストレスの一因は、クライアントや関係者からのレスポンスの遅れだ。法務局から戻る登記完了通知が遅れ、郵送で返送される書類が行方不明になり、提出待ちの委任状が未だに届かない——そんな「待ち」が重なると、胃に穴が開く思いがする。「これ、月内に終わらなかったらどうしよう」と焦りが頭をもたげてくる。先日は、ある相続案件で被相続人の兄弟の一人からの印鑑がどうしても返ってこなくて、ついには電話で喧嘩寸前に。年配の方に「あなたがしっかりしてくれないと困る」と言われた時、心の中では「こっちの台詞だ」と叫んでいた。

毎月繰り返される不安のルーティン

この「月末の不安ルーティン」は、もはや職業病と言えるかもしれない。毎月必ず発生する同じ種類の不安。締切、書類の不備、請求タイミング、振込確認……そのどれもが「前もあったな」と思い出されるのに、毎回初めてのように緊張する。昔は「慣れれば大丈夫」と思っていたけど、むしろ回数を重ねるごとに「また来たか…」という重みが増してくる気がする。この繰り返しにどこかで終わりが見えるのか、ふと疑問になる。

登記完了予定日が近づくと胃がキリキリ

特に登記案件の完了予定日が月末に集中していると、プレッシャーは一気に爆発する。法務局からの戻りが遅れると、依頼人から「まだですか?」の電話が鳴る。そんなとき、自分でも「まだって言いたいのはこっち」と言い返したくなるのを我慢する。以前、完了日当日に郵便が届かず、翌月持ち越しになったときは、その夜一人でコンビニのおでんを食べながら「終わらない月って、あるんだな」としみじみ思った。

支払いと請求のプレッシャー

月末といえば、何よりも「お金」の動きが集中する時期だ。請求書を出すタイミング、報酬の振込、経費の精算、給与の支払い——どれも避けて通れない。司法書士としての仕事そのものよりも、むしろこの「お金まわり」が私を追い詰める。仕事は片付けても、入金がなければ意味がない。特に一人事務所だと、資金繰りも自分の責任だ。だから毎月、「今月も何とか乗り切れるだろうか」という不安とともに月末を迎える。

請求書を出すのがこんなに辛いとは

独立する前は、報酬請求というのは「淡々と作業すれば終わるもの」だと思っていた。でも実際にやってみると、「請求していいのか」「怒られないか」「値段高すぎたかな」といちいち悩む。特に身内っぽくなったお客さんや紹介で来た人には請求しづらくて、過去には報酬5万円のところを3万円に値引きしたこともある。その月の売上は赤字ギリギリで、自分の首を絞める結果に。翌月、さすがに反省したけど、同じことをまた繰り返してしまった。

未払いのまま放置される恐怖

そして最も精神をすり減らすのが「未払い問題」だ。仕事は完了しているのに、入金がない。それでも毎月の経費は待ってくれないし、給料日もやってくる。電話をしても「来週振り込みます」と言われてそのまま忘れられることもある。小さな事務所では1件の未払いが致命的だ。ある月、二件同時に支払いが遅れたことがあり、私は冷や汗をかきながらATMの残高を何度も確認した。胃薬を飲みながら「どうしてこうなるんだろう」と机に突っ伏した夜は、今も忘れられない。

経理も総務も結局は自分

私のような地方の小規模な司法書士事務所では、経理も総務も広報も全部「自分」。事務員さんは最低限のことはしてくれるけど、決算書の処理や源泉徴収、各種手続きの締切管理は、結局全部こっちの肩にのしかかってくる。帳簿をにらみながら「これ、合ってるのか?」と不安に襲われる日々。専門外の仕事を任されるストレスは想像以上で、いつか「誰かやってくれないかな」と思うが、現実はそんなに甘くない。

事務員さんに言えない裏の苦悩

うちの事務員さんはとても真面目で助かっている。だけど、こちらの精神状態までは伝えられない。彼女が帰った後、電気を暗くした事務所で一人残って帳簿をつけたり、源泉徴収の計算をしていて、「俺、なんでこんなことしてるんだろう」と虚しくなる。時給換算したら絶対に割に合わないし、誰に感謝されることもない。「先生って言われるけど、中身はボロボロだよな」と思う瞬間が、月末には必ずやってくる。

「これ、経費で落ちるかな…」の自問自答

経費の判断もなかなか悩ましい。「これは打ち合わせに使った食事だからOKか?」「この文房具、趣味って思われないか?」そんなことを考えながらレシートとにらめっこする時間が、地味にストレスになる。以前、知人に相談したら「そんなの経理に任せればいいじゃん」と言われたけど、それができれば苦労しない。独立して気づいたのは、「やりたい仕事」と「やらなきゃいけない作業」はまるで別物だということ。

レシートの束と月末の憂うつ

レシートが机に散らばると、それだけで気が滅入る。毎月末、コンビニ袋に無造作に突っ込んだレシートを引っ張り出して、「これはいつの何に使ったんだっけ?」と記憶を辿るのは、ちょっとした拷問だ。数字とにらめっこしながら、「こんな時間に何やってるんだろう」とため息が出る。司法書士って、こんな仕事だったっけ? と思いながら、胃の痛みを感じつつ月末の夜が更けていく。

どこにも吐き出せない不安

月末のしんどさは、外からは見えにくい。依頼人には「冷静で頼れる先生」として振る舞っていても、実際は心の中でいくつものタスクに追われ、焦りと緊張の連続だ。こういう感情を誰かに話すことも難しい。友達は少ないし、親に言っても理解されないし、恋人なんて何年もいない。誰にも見せられない「司法書士の素の顔」は、月末に最も強くあらわれる。

「月末になると胃が痛い」なんて誰に言える?

「月末になると胃が痛くなるんだよね」なんて言える相手がいればどんなに楽かと思う。でも現実には、そんな弱音を聞いてくれる相手がなかなかいない。たまに同業者と飲みに行くと、「俺もそうだよ」と言ってもらえて少し救われるけど、それ以外ではただ我慢するしかない。だから月末には胃薬とお酒が手放せない。カレンダーの数字が30や31になるたびに、「今月もよく耐えたな」と自分を労いたくなる。

家族も恋人もいないと共感もない

実家の親は遠方に住んでいて、連絡は年に数回。恋人もいないまま何年も経ち、誰かに仕事の愚痴を聞いてもらうという機会もない。だからといってSNSで吐き出すと、見知らぬ人に叩かれることもあるし、余計に虚しくなる。自分の感情をしまい込んで、また次の月を迎える——そんな日々が繰り返されている。司法書士という仕事に誇りはあるけれど、「誰かに支えてほしい」と思う瞬間は、正直たくさんある。

せめてTwitterだけは優しかった

唯一の救いは、たまにTwitter(今はXだけど)で同業のつぶやきを見つけること。「月末つらすぎ」「胃が痛い」「報酬入金まだ?」——そんな投稿を見て、「あ、自分だけじゃない」と思える。顔も知らない誰かの愚痴が、自分を救ってくれる。リプを送る勇気はなくても、いいねを押すだけで少し気持ちが軽くなる。社会的には独立した大人でも、心のどこかでは「誰か共感してくれ」と叫んでいるのかもしれない。

それでも月はまた巡ってくる

そしてまた新しい月が始まる。胃の痛みが少しやわらいだころに、また請求書が届き、登記の締切が迫り、経費の整理が始まる。終わりがないような感覚に襲われるけど、ふとした瞬間に「今月も何とか乗り切ったな」と思えることがある。そんな小さな達成感を積み重ねて、私は今日も司法書士として働いている。

同業の仲間とだけ共有できる感覚

同業の仲間と話すと、「それ、あるある!」という共感がたくさん飛び交う。家族でも恋人でも分かち合えないこの感覚は、同じ道を歩く者同士にしか分からない。たまに集まって愚痴を言い合う時間は、心の保健室のような存在だ。「しんどいのは俺だけじゃない」と思えると、次の月末もちょっとだけ頑張れる気がする。

愚痴と共感が救いになる夜もある

月末の夜、誰かと愚痴を交わせるだけで気持ちがラクになることがある。何も解決はしなくても、「わかるよ」と言ってもらえるだけで違う。そんな存在が近くにいればいいけれど、いないなら文章に書き残すのもひとつの手かもしれない。だから私は、こうして今この文章を書いている。

「俺もだよ」の一言に救われた話

ある日、司法書士会の集まりで、先輩に「月末になると胃が痛くなるんですよ」とこぼしたら、「俺もだよ」と即答された。その一言で、なんだか涙が出そうになった。ベテランでも同じ気持ちを抱えてるなら、自分が弱いわけじゃない。あの一言に救われたあの夜を思い出すたび、今月もなんとか乗り越えようと思えるのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。