眠る前の静けさが心に重くのしかかる夜
仕事を終えてようやく家に戻り、シャワーを浴びてベッドに入る。その瞬間、ふっと力が抜けるようにため息が出る。静寂の中、自分の呼吸と心の音だけが聞こえてくる。夜の静けさは本来、心を落ち着けるもののはずなのに、なぜだか僕には重たく感じられる。まるで「今日もなんとかやりきったけれど、本当にこれでよかったのか?」と、自分に問いかける時間になってしまう。眠りに入るどころか、頭の中では一日がリプレイされ、失敗や気がかりなことがぐるぐると回り出す。
仕事が終わっても終わらない脳内の会議
司法書士という仕事は、表面上の「書類のやりとり」以上に、決断と責任の連続だ。表には出さないが、判断一つで相手の人生が変わることだってある。だから、事務所を閉めたあとも、脳内では会議が続く。「あの解釈で良かったか」「あの説明はわかりやすかったか」。誰に見られるわけでもないのに、勝手に自分会議が始まってしまう。気づけば、夜中に天井を見つめながら反省会。終わりのない仕事とは、事務所の中だけで完結しないのだと、ベッドの中で痛感する。
あの書類のことが気になって仕方がない
たとえば、先日扱った不動産の相続案件。お客様は「急ぎではない」と言っていたけれど、本当にそうなのかが気になる。提出した資料にミスはなかったか、登記の流れに無理はなかったか……。確認は何度もしているのに、「何か見落としてないか?」と自問自答が止まらない。眠ろうとしても頭の中では、書類の一行一行をなぞるようにイメージが浮かぶ。あれは職業病なのか、それとも僕が心配性すぎるのか。いずれにせよ、安心して眠れた夜はしばらく記憶にない。
誰にも相談できない判断の連続
事務所に事務員はいるけれど、実務に関する最終判断はすべて自分だ。たとえ小さな選択でも、責任の所在は自分にある。これが、眠れぬ夜を呼ぶ一番の要因だと思う。判断を誰かとシェアできれば、こんなにしんどくはないのかもしれない。でも、司法書士として「迷ってます」なんて言える相手もいない。強くあれ、冷静であれ、正確であれ。その裏で、僕の心は静かにすり減っていく。
明日の予定に希望が持てないループ
明日のスケジュールを思い浮かべる。朝から登記申請、午後は銀行とのやりとり、夕方にはまた相談者の面談。どれも「やりたくない仕事」ではない。むしろ、誇りを持ってやっている。ただ、やりがいと引き換えに、自分の感情を押し殺して進める日々に疲れてきている。スケジュール帳を眺めながら、「また同じような一日が始まる」と思ってしまう。その感情が、ベッドの中でどっと押し寄せてくる。
予定が埋まるほど心は空っぽになる
矛盾しているようだけど、予定がびっしり埋まっている日ほど、心が空虚になる。それは、ひとつひとつを丁寧にこなしても、達成感ではなく「消化した感」しか残らないからだろう。特に一人でやっていると、「誰かと分かち合う」時間がなくて、達成してもすぐに次のことに追われる。気がつけば、毎日が締切と提出の繰り返し。心が満たされる余白もなく、ため息だけが積もっていく。
誰かと話したい夜ほど誰もいない
こうして夜にため息をついている時、一番欲しいのは「会話」なのかもしれない。誰かに「お疲れ様」と言われたい。たった一言で救われる夜もあるはずなのに、その相手がいない。友人も少なくなった。仕事の話をできる人もいない。結局、スマホを見るか、天井を見るか、ため息をつくか。そんな選択肢しか残っていない夜が増えていく。話すことの大切さに気づいても、遅かったのかもしれない。
独身の身軽さが重荷に変わる瞬間
独身って気楽なイメージがあるかもしれない。確かに、自由だ。誰にも縛られない。でも、その「自由」には、責任もないし、支えもない。休日にどこへ行こうが、何を食べようが、誰にも何も言われない。それは一見すると楽だけど、何の彩りもない生活になる危険性もある。誰かのために早く帰る、という習慣がない。だから、仕事に飲み込まれたままの毎日が続いてしまう。
「自由」と「孤独」は表裏一体
「自由」な立場にいるつもりでも、実際には「孤独」と隣り合わせだった。自由が選べる環境であればあるほど、自分で選び取らなければならない責任がある。選ばなければ、誰も助けてくれない。孤独だと気づいた時には、もう身動きが取れなくなっていた。だからこそ、夜になるとその現実がのしかかってくる。自由と孤独は、どちらかだけでは成立しない、切っても切れない関係なのだ。
事務員には話せない悩みの深さ
ありがたいことに、事務員さんはよくやってくれている。でも、経営の悩みや将来の不安までは共有できない。「今月の売上が厳しい」「この案件はトラブルになりそうだ」なんて、気軽に話せる話題ではない。だからこそ、余計に孤独感が強まる。相談するふりをして不安をぶつけることは、彼女にも負担になるだろう。そんなことを考えているうちに、また今日も誰にも言えずに終わる。
立場上、強がらなきゃいけない現実
司法書士として、経営者として、やはり「弱音」は見せづらい。特に、田舎の小さな事務所では、周囲の目も気になる。「あの人、最近元気ないね」と思われるだけで、仕事に影響が出る可能性だってある。だからこそ、笑顔で挨拶し、何でもないような顔で過ごす。でも、夜になるとすべての仮面が外れ、素の自分が顔を出す。強がることが癖になって、本音を吐くタイミングすら見失っている。
ため息の奥にある自分への問いかけ
ベッドの中で何度もため息をつきながら、「このままでいいのか」と問いかける自分がいる。仕事はある、生活もできている。それでも、どこか「空虚」だ。何か大切なものを置き忘れてきたような気持ち。昔、野球部で汗を流していた頃のように、仲間と笑い合ったり、怒鳴りあったり、そんな時間が恋しい。思えば、あの頃には、ため息をつく暇すらなかった。
本当にこのままでいいのかという葛藤
この生活は、誰かが望んだものではなく、自分で選んできた結果だ。それを否定するわけではない。でも、選んだ以上、責任も背負っていく必要がある。それでもふと、「もう少し、違う生き方があったんじゃないか」と思ってしまう。成功とか失敗とか、そういう言葉では測れない葛藤が、毎晩胸の中に残る。その感情こそが、ベッドの中で出るため息の正体なのかもしれない。
開業からの年月が問いかけてくる
開業してからもう何年経っただろう。始めた頃は不安もあったが、今とは違う種類の前向きな不安だった。あの頃の情熱は、どこに行ったのだろうか。慣れが情熱を奪い、効率が感情を削っていったような気がする。月日が流れるほど、「このままでいいのか」と自問する時間が増えてきた。
理想と現実のズレに苦しむ夜
司法書士になった頃、もっと充実した日々を想像していた。人の役に立ち、社会的にも信頼され、日々やりがいを感じながら働ける――そんな未来だったはずだ。実際には、地道で孤独で、時には無力感にさいなまれる。理想と現実、そのギャップを埋める術が見つからず、今日もベッドの中でひとつ、深いため息をつく。