全力で働いたのに心が空っぽな夜

全力で働いたのに心が空っぽな夜

終業後、机に突っ伏して動けなくなる瞬間

一日の業務が終わり、パソコンを閉じた瞬間、ふと自分が空っぽになっていることに気づくことがある。今日も一日、相談者の話を聞き、書類を作成し、役所に走り回った。依頼者の感謝の言葉もあったし、手続きも予定通りに進んだ。けれども、終わってみれば達成感よりも、ぐったりとした疲れと「で、何が残った?」という空虚感だけが残っている。司法書士という仕事は、誰かの人生の節目に寄り添う大切な職業だと頭では理解しているけれど、それでも心が追いつかない夜がある。

心も体も置いてきぼりのまま

依頼をこなすことで精一杯になって、自分自身の感情を置き去りにしているような感覚。仕事のために自分を押し殺して、今日も「まあ、仕方ない」と呟いて家に帰る。晩ごはんはコンビニ弁当。テレビをつけても内容は頭に入ってこない。ただ無音の部屋に自分の呼吸音だけが響いて、「なんのために働いてるんだろう」とぼんやり考える。そんな日が一度や二度じゃないから、余計にしんどい。

誰かに話したくても、誰もいない

この虚しさを誰かに話したい。でも、電話をかける相手も、LINEを送れる相手もいない。仕事の悩みなんて、同業者じゃなきゃ分からないし、かといって業界の知り合いとは腹を割って話すような間柄でもない。家族には心配をかけたくないし、昔の友達とは疎遠になってしまった。気づけば、仕事以外の人間関係はほとんど残っていなかった。司法書士は孤独な仕事だと、改めて痛感する。

“大変だったね”のひと言が恋しい

結局、誰かに「今日もよく頑張ったね」と言ってほしいだけなんだと思う。たった一言で救われることがあるのに、その一言がどこにも存在しない。コンビニの店員と交わす「ありがとうございます」すら、自分にとっては貴重な人との会話になる始末。全力で働いたはずなのに、誰にも見られていないような気がして、報われなさが胸にしみる。認められることの大切さを、こんな夜に思い知る。

予定表は埋まっているのに、満たされない

スケジュール帳はびっしり埋まっている。相談予約、役所対応、裁判所の提出期限。分刻みで予定が詰まり、休憩する暇もない日もある。依頼が来るのはありがたい。収入も少なくはない。だが、不思議なことに、それでいて心はまったく満たされない。仕事は順調なはずなのに、どこかにぽっかりと穴が空いたような、そんな気持ちに襲われる夜がある。

成果は出しているのに心が追いつかない

今月の売上も予定通り。ミスもなく、クレームも来ていない。それでも心が重い。以前は達成感があったように思う。けれども今は、業務を“こなす”ことに慣れすぎて、自分の感情が麻痺してしまっている気がする。やるべきことを淡々と処理しているだけのようで、本当に誰かの役に立てているのか、自分でもわからなくなってくる。

数字では測れない空虚さ

売上や案件数という数字が増えても、それだけでは充実感は得られない。むしろ、数字だけを見て自分を評価し始めると、余計に空しさが募る。昔は、1件1件の依頼に喜びややりがいを感じていたのに、今は“またか”という感覚になっている自分がいる。それに気づくたびに、「司法書士になって良かったのか?」とすら思ってしまう。

「忙しい=充実」ではない現実

「忙しくしていれば、寂しさを感じなくて済む」──そんな幻想を抱いていた頃があった。でも現実は違った。忙しければ忙しいほど、ふとした瞬間に襲ってくる孤独感は深く、逃げ場がない。寝る前にスマホを見ても、通知は何も来ていない。誰かに話しかけることもなく、ただベッドに沈む。こんな毎日が続くと、自分が機械になったような錯覚に陥る。

一人事務所の孤独と限界

地方で一人きりの司法書士事務所。事務員はいるが、どこまで踏み込んで頼っていいのか、わからない。頼られたくないわけじゃないけど、弱音を吐くと仕事が回らない気がしてしまう。自分が倒れたら、この事務所は止まってしまう。そう思うと、心の疲れを誰にも見せられなくなる。どんどん自分の中に抱え込んでしまい、夜になると苦しくなる。

頼れるのは自分だけというプレッシャー

何かトラブルが起きたとき、最終判断を下すのは自分。責任はすべて自分に返ってくる。たった一人の経営者という立場は、想像以上に重たい。誰かに意見を求めることすら難しい。間違った判断をしてしまったらどうしようという不安が常につきまとう。こういう日々が続くと、精神的な余裕がどんどんなくなっていく。

事務員にさえ本音は言えない

事務員に愚痴をこぼすこともできない。年下の女性だし、職場の空気を壊したくないという思いもある。だからこそ、笑顔で「お疲れ様」と言いながら、心の中では「ああ、しんどい」と叫んでいる。誰かに言えたらどれだけ楽か、でも言えない。仕事だから、プロだから、そう自分に言い聞かせながら、また一人で抱え込む。

誰かに助けを求めることの難しさ

「助けて」と言える強さが、自分には足りないのかもしれない。誰にも迷惑をかけたくない、甘えたと思われたくないという気持ちが先に立つ。けれど、そんなことを言っているうちに、どんどん心が疲弊していくのがわかる。誰かに支えてほしいけれど、どうやって頼ればいいのかわからない。そんな不器用さが、ますます孤独を深めていく。

静かに心を守るために

心が壊れてしまう前に、自分なりの“守り方”を見つけておかないといけない。司法書士という職業は、責任も重く、孤独も大きい。その中で、自分自身をどう保つかが課題になる。周囲に頼れないなら、せめて自分にだけは正直でいよう。自分のしんどさを無視し続けた先に待っているのは、燃え尽き症候群だけだ。

「休むこと」を正当化する力

休むことに罪悪感を抱いてしまう人は多い。私もその一人だった。けれど、体も心も疲れきっているのに無理をしても、いい結果にはならない。休むことは悪ではない。むしろ、長く続けるために必要な「戦略」だ。休んだあとにまた立ち上がるために、意識的に休む。それが、司法書士としての“持続可能な働き方”なのかもしれない。

小さな逃げ道を持つ大切さ

趣味でも、散歩でも、ドラマでもいい。何か自分だけの「逃げ道」があるだけで、救われることがある。私は最近、夜に10分だけコーヒーを淹れて、好きな音楽を聴く時間を作った。たったそれだけで、少しだけ気持ちが落ち着く。心が空っぽになった夜に、自分を見失わないために、小さな癒しを日常に忍ばせておくのは、大事なことだと思う。

愚痴が言える相手を一人でも持とう

誰かにすべてを話す必要はない。でも、一人でも「わかるよ」と言ってくれる相手がいれば、どれだけ救われるだろう。同業者でも、旧友でも、SNSの誰かでもいい。思っていることを少しでも吐き出せれば、夜の空虚さも和らぐかもしれない。完璧じゃなくていい。しんどい夜を乗り越えるために、誰かに頼っていい。そう思えるようになるまで、自分に優しくありたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。