相続の相談に訪れた兄妹
「母が亡くなりまして、相続の手続きをお願いしたいんです」
落ち着いた様子の弟と、表情の硬い姉が事務所にやってきた。
依頼人シートを埋めながら、違和感が頭をよぎった。二人の名字が違うのだ。
不自然な緊張感と名字の違い
名字が違う兄妹。まぁ、養子縁組や結婚による改姓ならありえる話だ。
だが、それにしては姉が言葉少なすぎる。弟ばかりが話し、姉は目を伏せたままだった。
こういうときは、黙って資料をもらうに限る。
手渡された家系図の違和感
弟が用意した手書きの家系図には、姉の名前が書かれていなかった。
「姉は正式には養子なんです。でも母とは実の親子同然でした」
説明は丁寧だったが、文字の配置や線の引き方がどこか不自然だった。
登記簿の調査で見えた家の輪郭
さっそく不動産の登記簿謄本を取り寄せてみた。所有者は亡くなった母。
しかし、過去の所有者欄には一瞬だけ別の名前が記されていた。
しかも、それは今目の前にいる姉と同じ名前だった。
相続人の数が合わない
戸籍を洗うと、被相続人には子が二人いるとある。だが、そのもう一人の名前は…?
「これは…?」と尋ねると、弟は急に視線を逸らした。
ああ、これはたぶん、誰かの存在をなかったことにしようとしている。
戸籍の記載と矛盾する養子縁組
調べを進めると、姉が母の養子になったのは二十年前。
それ以前の戸籍に、姉は「長女」として記載されていた痕跡がある。
つまり養子ではない。なのに養子縁組をしたということは——過去が改ざんされている。
血の繋がりを探るための一手
「DNA鑑定をおすすめします」と言った瞬間、弟の顔が強張った。
「必要ないと思いますよ」と即座に否定される。
そりゃそうだ。血縁が証明されると、都合の悪い人間が誰かいるのだ。
DNA鑑定という提案に兄が難色
「姉とは育った時間がすべてなんです。血の繋がりは関係ない」
その言葉はきれいごとのようでいて、どこか強引だった。
真実よりも「関係性の物語」が先にできあがっているようだった。
サトウさんの冷静な一言
「でも、戸籍上の事実は事実ですから」
サトウさんが淡々と口を開いた瞬間、場の空気が変わった。
「それに、家系図の線が一本余ってるの、不自然ですよ」
過去に遡る出生届の改ざん
母親が若い頃に出産した子どもを、一度は親として育てたが…
その後、親子の立場を入れ替えるような届け出があった形跡が出てきた。
姉は本当は、母の娘ではなく妹。だが、戸籍上では娘として再登録されていた。
病院に残された出生記録
病院の保管記録にあったのは、昭和の時代の出産記録。
そこには母の名ではなく、さらに一世代上の名前が記されていた。
つまり——姉は、母の妹。弟の叔母だった。
姉が消された理由
家庭の都合。世間体。相続税の節約。
理由は色々あるだろうが、彼女の「存在」が都合の悪いものとして処理された。
彼女はそれをすべて知っていたが、何も言わなかった。
司法書士としての決断
「では、正式な相続関係を前提に、申請書類を作ります」
登記の現場に情は禁物だ。だが、今回は少し心がざわつく。
それでも、事実をもとに処理するしかない。これが僕の仕事だ。
依頼人に問いかける真実の意味
「それで、本当に良いんですか? 全部、こうやって終わらせて」
弟は黙ってうなずいた。姉は静かに笑った。
どちらの答えも、間違いじゃない。だが、それが正しいかどうかは別の話だ。
登記では消せないものがある
名前は消せる。線も引ける。だが、人の心は登記できない。
彼らの家系図には、登記されない記憶がたくさん詰まっている。
そして、それはどれも「血統」では測れないものだった。
家庭裁判所への申立とその波紋
念のため、相続関係説明図に補足説明を加え、家庭裁判所への申立を案内する。
姉は「もういいんです」とだけ言った。
もしかすると、争いたくないのではなく、もう争い疲れたのかもしれない。
相続放棄か争続か
相続放棄の申述期限は3ヶ月。彼女が選んだのは静かな離脱だった。
登記所に提出されたのは、弟一人の単独申請書。
僕はそれを、何もなかったように処理するだけだった。
サトウさんが見抜いた矛盾点
「最初から、お姉さんは相続する気なかったんですね」
サトウさんはぼそりと呟いた。やっぱり全部見透かしてるんだ、この人は。
やれやれ、、、僕より名探偵だ。
兄の背負った過去と告白
後日、弟から封筒が届いた。中には手紙と写真が一枚。
幼い弟と、若い女性が写っている。まるで母子のように。
手紙には、ただ「ありがとう」とだけあった。
親の愛情を奪われた記憶
彼は気づいていた。自分が本当は末っ子であることを。
だが、母が母であるために、真実を受け入れなかった。
姉の沈黙は、そんな彼を守るためのものだった。
実は姉ではなく母だった
事実上、姉は彼を育てた母親そのものだった。
しかし法は血と戸籍しか認めない。
だからこそ、彼女は「姉」であり続けたのだ。
登録免許税の控除と涙
そんな感傷をよそに、税の計算は容赦なくやってくる。
登録免許税は土地評価額の0.4パーセント。
控除が効いたので少し安くなった。でも、涙の値段は引けない。
ややこしい計算と心の整理
相続人の範囲。共有持分。小規模宅地特例。
それらの計算よりも、心の整理のほうがよほど難しい。
それでも、登記は終わる。人生のように。
それでも職務は淡々と
事件がどうあれ、申請書を法務局に提出するのが僕の仕事だ。
事務的で、味気なくて、でもそれでいい。
サザエさんのように日々は続いていく。
事件の余韻とひとときの静けさ
夕方、いつものように珈琲を淹れた。
サトウさんは黙々とパソコンを打っている。
外では蝉が鳴いていた。なぜか心だけ、すこし静かだった。
シンドウの独り言
「やれやれ、、、血より濃いのは、沈黙ってやつかもな」
思わず漏らした言葉に、サトウさんが一瞬だけ顔を上げた。
だが、すぐにまた目線を画面に戻した。相変わらずの塩対応だ。
その後の兄妹とひとつの登記簿
数ヶ月後、再び同じ地番の登記簿を取り寄せた。
所有者の欄には、ただ一人の名前だけが残っていた。
だが、その背後に、確かにもう一人の存在を感じた。
新たに記された家族のかたち
相続とは、過去と未来の接点だ。
血統がどうであれ、そこにあった「絆」までは消せない。
たとえ戸籍に記載されなくても、物語は残り続ける。
サトウさんが一瞬だけ微笑んだ気がした
退勤時、事務所の扉を閉めるとき、ふと彼女が微笑んだ気がした。
いや、気のせいだろう。あのサトウさんがそんなことするわけない。
でもまあ、たまにはそんな錯覚も悪くない。