がんばりすぎた日の夜に思うこと
日が暮れて事務所を閉める頃、今日もまた「自分で全部なんとかしたな」と感じる。何か一つでも誰かに任せられたら良かったのにと思いながら、それでも結局、誰にも頼れないまま終わる一日。仕事の山を越えたはずなのに、なぜか達成感よりも空虚さが残る。そういう夜が、司法書士としての毎日には何度もある。
「今日も全部自分で背負ったな」と気づく瞬間
依頼者とのやりとり、書類の準備、提出先との確認。全部こなして、机に突っ伏したときにやっと気づく。「ああ、今日も誰の手も借りなかったな」と。誰かに頼る余裕がなかったわけじゃない。ただ、頼んでもどうせうまくいかないだろう、説明するのも面倒だ…そんな気持ちが先に来る。だから、また自分一人で処理してしまう。
仕事は片付いても心が重い
書類の山を片付けて、今日のタスクが終わった瞬間、「終わった…」と呟いた。でも、心が晴れない。終わらせただけ。充実感も達成感も、なぜかそこにない。むしろ「これを明日も続けるのか」と思うと、気が遠くなる。作業は終わっても、気持ちの整理はまったく追いついていない。
笑って終われない一日の終わり方
帰り道、コンビニで買った缶ビールを片手にテレビをぼーっと眺める。笑い声が流れてくるバラエティ番組を見ていても、自分の顔は笑っていない。たまには気の合う誰かと飲みにでも行けたらと思うけれど、予定を合わせるのも億劫で、また一人で終わる一日。こういう日が何日も続くと、自分の感情の扱い方がわからなくなってくる。
誰にも言えない「疲れた」のひと言
「疲れた」って言葉、簡単に口には出せる。でも、それを誰に伝えるかってなると、とたんに難しくなる。家族がいれば何気なく吐き出せるかもしれない。でも、独りで事務所を構えていると、誰に向けて言えばいいのかわからない。お客さんにも事務員にも、そんなこと言えないし、ましてやSNSなんかに書いても、共感なんて得られない。
弱音が許されない雰囲気と向き合う
司法書士という職業は、信頼を第一にしている。だからこそ、「弱音」や「不安」を見せるのはタブーとされがち。周りの士業仲間も、そんなこと一言も言わずに淡々とやっているように見える。でも本当は、みんな限界ギリギリじゃないかと思う。なのに、誰も言わないから、言い出せない。そんな空気の中にずっといると、自分の感情が見えなくなってくる。
自分の中にためこむ危うさ
小さなストレスや不満を、言葉にせずに我慢し続けていると、ある日突然爆発する。自分でも何に怒っているのか、何に泣いているのか分からなくなる時がある。それは、ためこみすぎたサイン。でも、それが来るまで気づけない。だからこそ、がんばりすぎる前に、自分の心の声をちゃんと聴くことが必要なんだと思う。
司法書士という仕事に求められる「がんばり」
司法書士として仕事をしていると、がんばるのが当然、という空気がある。依頼者の期待、事務のスピード、ミスの許されない書類。どれをとっても「普通以上」を求められる。これに応えるには、がんばるしかない。でも、その「がんばり」が積もり積もって、ある日ふっと折れてしまう危険性を、誰も教えてくれない。
「がんばって当然」が常識になっている世界
たとえば登記の依頼が急に入っても、「急ぎでお願いします」と言われれば、なんとかするのが普通になっている。「無理です」と言えない。できないことをできないと言うと、「あそこの事務所は融通が利かない」と言われるかもしれない。だから今日も夜遅くまで仕事をする。でも、それが「当たり前」と思われるのは、やっぱりしんどい。
誰かが倒れるまで変わらない現場
事務所の中で、自分が倒れるまで働いてしまった人を何人も見てきた。病気で倒れて、ようやく休む決意をしたという話は、業界では珍しくない。そうなる前に「がんばりすぎない」を意識できればと思うけれど、その余裕がある人ほど最初から無理をしない。結局、まじめで責任感がある人ほど、自分を追い込んでしまう。
効率化では解決できないプレッシャー
タスク管理アプリを入れても、スケジュールを前倒ししても、プレッシャーは減らない。仕事の内容よりも、「人の期待に応えるべき」という気持ちが自分を苦しめているから。効率化ではなく、自分の気持ちとの向き合い方を変えない限り、プレッシャーはどこまでもついてくる。
「がんばらない」ことがなぜこんなに難しいのか
「がんばらない」ってシンプルな言葉だけど、実行するのは本当に難しい。特に長年「真面目にやることが正しい」と刷り込まれてきた人間にとって、それはある種の反逆のようにも感じる。誰にも迷惑をかけずに少し手を抜く、それすらできない自分がいる。