名前を呼ばれない男

名前を呼ばれない男

相談者は午後三時にやってきた

曇天の中の奇妙な来訪

冷たい霧雨の降る午後、事務所のドアが静かに開いた。背広姿の中年男が、まるで空気に紛れるように入ってきた。名乗りもせず、ただ小さな声で「相談があるんです」とつぶやいた。

書類に記載された不可解な転入日

男が差し出したのは、区役所発行の転入届控えだった。転入日が二年前になっているのに、本人の記憶では「つい先週に引っ越した」という。しかも、そこには既に誰かが住んでいたはずの住所が記載されていた。

サトウさんは疑いの目を向けた

不自然に丁寧すぎる言葉遣い

受付を担当していたサトウさんが、鋭く眉をひそめた。「どこかで聞いたことがあるような話ですね」とぼそり。男の敬語は過剰で、あたかも台本を読んでいるかのような違和感があった。

印鑑の押し方が語るもの

押印された認印は、実際のものと数ミリずれていた。印影がかすれているのはよくある話だが、このケースでは明らかに「見よう見まね」で押した形跡があった。サトウさんは机に肘をついたまま、「この人、生きてるのかしら」とつぶやいた。

住所の記録は嘘をつかない

登記簿に現れたもう一つの名前

管轄法務局のオンライン検索で物件の所有者を調べると、なんとその男と同姓同名の人物が三年前に死亡していることがわかった。しかも、その人物の死亡届も同じ区役所で処理されていた。

現地調査で見つけた空き家の真実

週末に現地へ向かった。外見は手入れされていたが、家の中は埃まみれで生活感がない。ポストには大量のチラシが詰まっており、近所の人も「ここはもう何年も人がいませんよ」と証言した。

消えた戸籍と誰かの操作

区役所職員の過去の転勤記録

このあたりからサザエさん的な日常は終わりを告げる。調べを進めると、死亡届を処理した担当者が不自然に別の区へ転勤していた。しかもその人物は過去にも不審な住民票の異動を複数処理していた履歴がある。

書き換えられた戸籍の謎

戸籍の附票には、つぎはぎのように転入・転出が繰り返されていた。まるで“怪盗キッド”のように、身分をすり替えながら生き続ける男がいるかのようだった。そして今回の依頼人こそが、その「なりすましの影」だった。

シンドウが区役所に乗り込んだ

庁舎の影に見えた亡霊の正体

誰かが嘘をついている。誰かが紙の中で生き延びている。私はスーツの裾を直しながら、区役所の住民課に乗り込んだ。対応に出たのは若い職員。だが、職員証の写真と顔が一致していなかった。

過去帳の一行に隠された鍵

その職員が席を外した隙に、机の中を見てしまったのは職権濫用かもしれない。だが、そこにあったのは、誰かの過去帳のコピー。死亡届の出し忘れと見せかけて、実際には”登録”すらされていない名前がそこにあった。

サザエさんのような日常に非日常が差し込む

住民票の裏に誰かの叫びがあった

住民票の裏面に、小さく鉛筆で「私はここにいます」と書かれていた。書いたのはおそらく、正規の住人だった男。役所の人間に助けを求めたが、何者かによってその声は封じられたのだろう。

書類の山に紛れた復讐の計画

本棚の奥にあった封筒には、複数の虚偽申請書類と、その写しが束になっていた。どうやら今回の“依頼人”は、過去に消された自分を「区役所の中で復讐する亡霊」として、別人を操って再登場させていたらしい。

やれやれ、、、まさか死人が並ぶとは

一枚の写真に映った本物の住人

件の家の表札が映った写真に、依頼人の姿はなかった。だが背景にうっすらと映っていた男の顔、それが三年前に死亡したはずの“本物の住人”だった。死んだ者は生きていたのか、それとも別人なのか。

背景にある家族との断絶

本物の男は、おそらく自ら戸籍を消して姿を隠した。そして、自分の身代わりに誰かを使った。なぜそんなことをしたのか。写真の隅に書き添えられていた「息子には会いたくない」という言葉だけが答えを濁していた。

真実は紙の中でひっそりと生きていた

名前を呼ばれなかった男の正体

最終的に、依頼人が誰だったのかは不明のままだった。だが、彼が何を求めていたかはわかる。「名前を呼ばれること」――生きている証、存在の確かさ。それを区役所の書類で取り戻そうとしていたのだ。

偽りの手続きと静かな告白

私は報告書を閉じてサトウさんに差し出した。「結局、犯人はいないんですか?」と彼女が尋ねた。「いや、いるさ。たぶん、全員が少しずつ加担してたんだ」とだけ答えて、ため息をついた。

サトウさんの一言が事件を終わらせる

書類に救われた人と沈んでいった人

「人間、紙の上じゃ簡単に消されるもんですね」とサトウさんは言った。その言葉に、私は一瞬返す言葉を失った。事実、その通りなのだ。戸籍や住民票、登記簿――どれも命を左右する道具だ。

小さな手続きの大きな代償

今回の事件もまた、「たかが紙一枚」で誰かの人生が終わり、誰かの人生が始まった。そして私たち司法書士は、その紙の流れを知っている者として、背筋を伸ばさなければならない。

日常はまた戻ってくる

午後の珈琲と押印の音

私は机に戻り、コーヒーを啜りながら書類の束を眺めた。カチ、カチ、と印鑑を押す音が事務所に響く。紙の上では、今日も誰かが生まれ、誰かが死んでいく。

静かに区役所は閉まっていく

窓の外、区役所の灯りがひとつ、またひとつと消えていった。もう名前を呼ばれることのない誰かの声が、静かに雨音に紛れていった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓