名義変更は手続きか感情か

名義変更は手続きか感情か

名義変更という言葉の重たさ

「名義変更」と言えば、事務的な響きがする。書類を整えて提出すれば完了する、そんな風に捉えられがちだ。しかし現場に立つ司法書士としては、ただの事務手続きで済むことはほとんどない。依頼者の背景には、相続、離婚、死別、再出発など、人生の転機が必ずある。その一つひとつに感情が乗ってくる。司法書士の仕事は、その感情の波を受け止めながら、冷静さを保って進めていく、そんな地味で神経を使う仕事なのだ。

ただの手続きじゃないと気づく瞬間

若いころ、名義変更は「書類を整える作業」だと思っていた。だが実務を重ねるうちに、その考えは変わった。ある日、相続による名義変更の依頼を受けた。書類はすべて整っていた。手続き自体は難しくないはずだった。しかし依頼者は、印鑑を押す手前でふと涙をこぼした。亡くなった夫の名前が消えることに、心が追いつかなかったのだ。何気ない場面に、胸をえぐられるような重みを感じた。

亡き家族の思い出と向き合う時間

「この印鑑を押したら、もう戻れない気がするんです」と依頼者が言ったとき、私は何も返せなかった。その方は70代の女性で、ご主人を亡くされて半年。部屋の片隅には、ご主人が好きだった釣り道具がまだそのまま置いてあるという。そういう話を聞くと、机に並んだ登記識別情報も、ただの書類には見えなくなる。私たちは人の人生の節目に関わっている。その事実が、ときどき重たくのしかかる。

机に残る手紙と泣き出す依頼者

名義変更の完了後、依頼者がそっと差し出してきたのは、ご主人の筆跡が残る一通の手紙だった。「あなたが一人になった時は、あの司法書士さんに頼みなさい」と書いてあったそうだ。そんな話を聞いてしまったら、どんなに疲れていても、こちらの目頭も熱くなる。机に残った書類の横に、その手紙が置かれた瞬間、ただの仕事ではないと、改めて痛感した。

感情に引っ張られる現場の空気

現場に出るたびに思う。名義変更の手続きは、依頼者にとっては「別れ」や「区切り」の象徴なのだ。こちらは冷静でいなければならない。でも、感情をむき出しにする依頼者を前にして、全く動じずにいられるわけではない。私たち司法書士もまた人間である以上、現場の空気に飲まれそうになることがある。ふと、自分の心が揺れるのを感じることもある。

涙をこらえる自分に驚く

数年前、夫を亡くしたばかりの30代女性の名義変更を担当したことがあった。明るく話していた彼女が、手続きの終わりに「これで夫がいなくなった気がして怖い」とつぶやいたとき、私の胸に鋭く刺さるものがあった。私は独身だが、ふと「もし自分に同じことが起きたら」と想像してしまい、目頭が熱くなった。まさか仕事中に自分の感情が揺れるとは思っていなかった。

司法書士だって感情を持つ

司法書士は冷静沈着であるべきだ。そう自分に言い聞かせている。けれど、感情を持たないわけではない。依頼者の人生に触れ、その思いに共鳴してしまう瞬間がある。逆にそれができないと、ただの機械になってしまう。感情を切り捨てるか、引きずられない程度に共に寄り添うか。そのバランスに悩む毎日だ。

手続きの説明より大事な沈黙

あるとき、依頼者が話しながら泣き出してしまい、沈黙が10秒ほど続いた。その時間、私は一言も発せず、ただ書類を差し出さなかった。言葉よりも、その「間」に支えられたと後で言われた。沈黙も仕事のうち。そんな不思議な瞬間がある。マニュアルには書かれていない感情のやり取りが、意外と一番大事だったりする。

感情に巻き込まれるリスクと向き合う

感情に寄り添いすぎると、自分の心が擦り減る。それは何度も経験してきた。特に忙しい時期や、私生活がうまくいっていない時ほど、依頼者の感情に過剰に引っ張られてしまう。これは危険だ。司法書士という仕事を続けていくためには、感情との適切な距離のとり方を身につける必要があると、痛感している。

距離感が崩れる瞬間の怖さ

ある時、依頼者の悲しみに深く入り込みすぎて、休日にも連絡を取るようになってしまった。結果として相手に期待させすぎ、境界線が曖昧になった。プロとしては失格だと自分でも思った。仕事と感情、その線引きを忘れると、お互いが不幸になる。あの失敗は、今でも戒めとして胸に刻んでいる。

感情移入しすぎた日の疲労感

事務所に戻って一人になると、ぐったりする日がある。心のどこかで、依頼者の悲しみを持ち帰ってしまっているのだと思う。夜になってもふと思い出し、眠れなくなることもある。そういう日は、自分が小さな器しか持っていないように感じる。だけどそれでも、依頼者の気持ちにちゃんと向き合いたいという気持ちは消えない。

事務員との連携で乗り切ったこと

そんな時、うちの事務員さんが気づかないふりをして温かいお茶を入れてくれたりする。言葉には出さないが、彼女も現場の空気を察している。感情に巻き込まれることの危うさも、きっと理解しているのだろう。孤独な仕事に見えて、支え合いながらやっている。そんな人間関係に、時々救われる。

それでも続けていく理由

こんなに感情の波にさらされる仕事なのに、なぜ司法書士を続けるのかと自分でも思う時がある。疲れて眠れない夜もある。書類に埋もれて、自分が何をしているのか分からなくなる時もある。それでもやめたいとは思わない。それは、この仕事が「人の人生に関わる」ことそのものだからだと思う。

ありがとうと言われた夜

一日の終わりに、たった一言「本当に助かりました」と言われることがある。疲れがふっと軽くなる瞬間だ。その言葉の裏にある感情に、自分の存在が少しでも意味を持てた気がする。派手ではないが、確かに人の役に立てたという感覚。それが、私にとっての報酬なのかもしれない。

手続きの向こうにあるもの

名義変更という手続きの向こうには、依頼者の人生がある。その一端に触れながら、黙って背中を押す。それがこの仕事の本質だと、年々感じている。ただ登記を通すだけなら、もっと効率的な方法があるかもしれない。でも「あなたに頼んでよかった」と言われるためには、感情に寄り添うことも必要なのだ。

自分にしかできないことがあると信じたい

私は優秀でもないし、話が上手いわけでもない。でも、感情を受け止める強さと優しさだけは、少しだけ持っている気がする。それが司法書士としての自分の価値なのかもしれない。元野球部のくせに精神面は軟弱だけど、泥臭く、愚直に、これからもやっていく。そう思える夜が、時々ある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓