静かな時間に忍び寄るもの
日中、事務所の電話が鳴らないと、ふと不安になります。今までは「静かでいいや」と思っていたのに、なぜか今日は違う。人の気配がない、話し声もない、時計の針の音だけがカチカチと響く。その音さえも、いつかの雨音のように、胸の中の何かを刺激してくるのです。忙しい時には気づかなかったものが、仕事の手が止まった瞬間に、わーっと押し寄せてくる感覚。これが、孤独なのかもしれないと気づくまで、時間はかかりませんでした。
忙しさのなかにあった「気配」が消えた瞬間
司法書士という仕事は、人と接する機会があるようでいて、実は一人で黙々と進める作業の連続です。登記簿の確認、書類作成、押印依頼――気を抜けない作業に囲まれていると、人の存在よりも「処理」に意識が向いていきます。でも、ふとその手を止めた瞬間、「あれ、今日誰とも話してないな」と思うんです。あの賑やかだった開業当初のバタバタが懐かしい。今では、自分のキーボードの音だけが一日を支配しています。
ガタッという音すらありがたくなるオフィス
事務員がコーヒーを入れるときのマグカップの音、コピー機のトレイが引き出される音、郵便受けに書類が届く音――そんな小さな音が「誰かがここにいる」証拠になっていたんだなと、あらためて思います。一度、事務員が体調不良で数日間休んだときのこと。オフィスの空気がピタッと止まり、空間そのものが「音を立てない存在」になってしまったようでした。あのときほど、誰かの気配に感謝した日はありません。
電話が鳴らない午後に
14時を過ぎると、急に一日が長く感じることがあります。午前中に比べて連絡も減り、午後の前半は書類整理に没頭してしまう。そんなある日、電話も来客も一切ない午後がありました。やることはある。なのに、体が重い。理由はわかっています。誰とも会話していないからです。ふと、何かが足りない気がして、ペンを握る手を止めてしまう。そんな時間が、仕事以上に心を疲れさせるのです。
机の上の書類だけが相手になる
今日もひとり。司法書士という職業は、ある意味、孤独と親和性が高い仕事です。案件数が多くても、黙って処理するだけの日々が続けば、どこかで「自分は機械じゃないか」と思ってしまう瞬間があります。机の上の書類は、話しかけても返事をくれません。感謝もなければ、文句も言わない。淡々と積まれて、処理されるだけ。そこに感情が入り込む余地がないからこそ、人の声が恋しくなるのでしょう。
会話がないと、自分の存在も曖昧になる気がして
朝の「おはようございます」や、昼の「今日は寒いですね」といった、たわいもない会話。それが一言もない日というのは、自分の存在がこの世界から切り離されたような気さえしてきます。独身の私は、家に帰っても話し相手はいません。冷蔵庫の中身よりも、自分の生活の空虚さに目がいく。そんな夜は、風呂に入っても何か満たされないまま、布団の中でただ目を閉じます。
事務員さんが休んだ日の孤独は桁違い
うちの事務員は一人。とても気が利くし、手際も良い。だけど、人間だから当然体調を崩す日もあります。そんな日は、事務処理の忙しさよりも「音がない」という事実にこたえます。いつもなら聞こえるタイピングの音がなく、私の足音だけが響く。こんなに静かだったのか、この部屋。彼女がいることで、私はどれだけ救われていたのか――そんな感謝も、遅れてやってきます。
いつもは気づかない「声」がないだけで
「先生、お茶入れましょうか？」「これ、郵便出しておきますね」――ほんのひと言が、心に灯をともしていたのだと、彼女がいない日にはっきりわかりました。誰かが口を開いてくれるというのは、ただ業務がスムーズになるだけでなく、自分の存在を認めてくれる証でもあったのです。ひとりの時間が多い職業だからこそ、この「声の価値」に気づいた瞬間は、しみじみと心に残っています。
独立ってこういうことか、と実感する瞬間
「独立したら自由になれる」なんて、昔はよく言われました。確かに、時間の使い方は自由です。でも、そのぶん孤独も増える。それが現実です。決断も責任も、すべてが自分にかかってくる。誰かに頼ることも少ない。誰にも相談できない悩みは、日々の仕事にまぎれて溜まり続ける。「独立＝孤独」と言い切るつもりはないけれど、こんなにも人との関わりが希薄になるとは、想像していませんでした。
孤独の中で、それでも前を向くという選択
どんなに静かでも、どんなに誰とも話さない日でも、やっぱり仕事は終わらせなきゃいけない。そんなとき、目の前の依頼者のことを思い出します。「先生に頼んでよかったです」と笑顔で帰っていったあの人の顔。それだけで、今日も自分を持ち直せる。孤独は確かにしんどい。でも、その中で得られる誇りもある。誰にも気づかれなくても、ここで今日も誰かのために働いている――そう思えるだけで、少しだけ救われます。
