印鑑証明より価値のない俺という存在
朝一番の印鑑証明依頼にて
午前8時45分。俺の一日は「印鑑証明取ってきてください」という電話から始まった。コーヒー一口も飲んでないのに、すでに胃が重たい。まだ寝ぼけ眼の俺に、容赦なくサトウさんが言う。
眠気より先に訪れる現実
「印鑑証明三通、急ぎです。あ、原本還付もありますよ」と、淡々とした口調で言うサトウさん。俺は無言でうなずき、重い腰を上げる。夢の中でサザエさん一家が笑っていた気がするが、現実の俺はカツオにもなれない。
俺が行かなくても済むことばかり
誰でもできることを、誰でもない俺がやっている。司法書士である必要なんてどこにもない。ただの“運び屋”だ。だが、依頼者の信用と責任は俺の名前につく。何とも中途半端な立ち位置だ。
書類が主役で人間は脇役
窓口で渡された印鑑証明書は、きれいに印刷され、まるで高級ブランドの保証書のようだ。対する俺は、靴は擦り減り、ワイシャツの襟にはコーヒーのシミ。「やれやれ、、、」と心の中でつぶやき、立ち去る。
登記簿は正確だが俺の心は不安定
登記簿に書かれていることはすべて事実。嘘は許されない。だが俺の心は、朝からずっとぐらぐらしている。昨日も誰とも話さずに帰宅した。風呂に入りながら、またサザエさんの最終回を想像してしまった。
線一本で変わる財産の価値
登記簿に記された住所の番地、たった一本の線がずれただけで、評価額が大きく変わる。世の中、線に厳しく、人の曖昧さには冷たい。それが現実だ。俺が多少しょぼくれていようが、線さえ正確なら仕事は終わる。
誰も見ないけど間違えられない重圧
書類を何度も見直す。誤字脱字がないか、原本と整合しているか。依頼者の顔より印影のほうが重要。俺がどれだけ汗をかいていても、証明されるのは印だけ。俺自身の誠実さなんて、記録には残らない。
あの赤い印影に比べ俺の存在感とは
真新しい印影は朱が濃く、堂々としている。それに比べて俺はどうだ。声も小さく、オーラも弱い。印鑑のほうが立派だ。街で人にぶつかっても謝られることがない俺は、今日も透明人間のように事務所へ戻る。
証明される印とされない俺
「ご本人確認、お願いします」と言われるたびに、俺は印鑑と一緒に免許証を差し出す。俺の顔より、名前と印影のほうが信頼されているのだ。サトウさんが、くすっと笑った。
あの人が来なくても印鑑があればいい
「先生が行かなくても、私でもいけるんですけどね」サトウさんの一言に、言い返せない。事実だ。俺である必要はないのだ。なのに、それでも俺は行く。なぜか。答えは簡単だ。依頼者が“司法書士”を求めているから。
顔より印影の一致が重視される不思議
印影がずれていたら、全てが無効になる世界。顔がむくんでいようが、笑っていなかろうが、関係ない。印が合っていればOK。逆にどんなに正直な目をしていても、印が違えばアウト。俺という存在は、そのルールの外にある。
サトウさんの冷静な指摘が胸に刺さる
「先生、印鑑は機械で押しても、間違いないって言われるんですよ。人間が押すと、逆に疑われるんです」
俺はうなずいた。「機械のほうが正確」
それが司法書士の現場で生きる俺たちの現実なのだ。
司法書士という仕事の影と光
ときどき夢を見る。夜、誰かに呼ばれて、法務局の屋上で書類をばらまく夢。印鑑証明の紙が風に舞い、自分も一緒に吹き飛ばされそうになる。でも朝になれば、俺はまた印鑑を手に法務局へ向かう。
ありがたがられるのは書類の完成だけ
俺の努力も、時間も、書類という成果に変換されなければ意味がない。感謝はあっても一瞬。だが、文句やミスは一生記録に残る。司法書士とは、功績が消え、過失が残る職業だ。
名前が出るのは不備があった時だけ
「この書類、誰が作成したの?」「あ、シンドウって書いてありますね」
こうして俺の名が浮上するのは、大抵ミスのときだ。完璧な仕事には署名欄もない。
俺の存在は、影のように日常に溶けていく。
やれやれ俺はいつも裏方さ
まるで探偵漫画の裏方キャラ、捜査資料ばかり作って前線には出ない分析係。スポットライトはないけれど、仕事は確かに存在している。
やれやれ、、、それでも今日もまた、印鑑を手に俺は歩き出す。