働くことが逃げ場だった僕が、それでも仕事を辞めなかった理由

働くことが逃げ場だった僕が、それでも仕事を辞めなかった理由

働いているときだけ、心が静かになる瞬間があった

何かに没頭していないと落ち着かない——そんな感覚を覚えたのは、30代の後半だった。プライベートでは空虚感に押しつぶされそうになっていたが、仕事をしているときだけは、不思議とその不安が静まった。司法書士という職業柄、書類作成や登記業務に没頭していると、余計なことを考えなくて済む。集中力を要する作業は、自分にとって一種の防波堤のようなものだった。

家庭の悩み、恋愛の不安、全部置き去りにできた

40歳を過ぎてから、独身でいることへの周囲の視線や、自分自身の寂しさがじわじわと心を締めつけていた。けれど、登記申請の期限が迫る中で、そんなことを気にしている暇はない。仕事に没頭していると、「自分はダメなんじゃないか」という声が一時的に消える。家庭のこと、恋愛のこと、過去の失敗。そういったものから離れられる唯一の場所が、僕にとっては事務所だった。

誰とも話さなくていい仕事が、心地よかった

実を言うと、人と話すのが得意ではない。特にプライベートな会話は苦手で、何を話せばいいかわからなくなる。その点、司法書士の仕事は、黙々とこなす作業も多く、無理に会話を続ける必要がない。依頼人と最低限のやり取りを終えれば、あとは一人で完結できる案件も多い。無口な自分には、それがちょうどよかったのかもしれない。

無言の作業が、孤独を和らげてくれた

孤独という言葉はどこか冷たく響くが、静かな時間は必ずしも悪いものではなかった。登記簿とにらめっこをしながら、記載ミスがないか確認しているとき、そこには安心感があった。外界との接触を最小限にしつつ、自分の存在価値を感じられる。それが、働いている間だけ心が少し楽になる理由だった。

「仕事=逃げ」というレッテルに傷ついたこともある

あるとき、親戚から「仕事ばっかりして、何をそんなに逃げてるの?」と言われたことがある。言葉に詰まった。図星だったのかもしれないし、そうでないかもしれない。だが、どちらにせよその一言は、胸の奥を突いた。頑張っているつもりでも、「逃げ」と見なされることに、どこか虚しさを感じた。

頑張ってるのに、逃げてるって言われる理不尽さ

朝早くから夜遅くまで、真面目に働いているだけなのに、「逃げてる」と言われるのは、あまりにもしんどい。誰よりも真面目にやってるつもりだった。誰も褒めてくれないけど、それでも自分なりに誠実にやってきた。それが「逃げ」と片づけられるのは、なんとも言えない屈辱だった。

向き合うのが怖かっただけじゃない

逃げていた部分もあったと思う。でも、すべてを避けていたわけじゃない。仕事を通じて、人と接することもあったし、依頼人の不安と向き合う場面だって多かった。誰かの不動産トラブルを解決したときには、「ありがとう」と涙を流してくれた人もいた。それは、確かに“向き合っていた時間”だった。

やりがいも誇りも、ちゃんとあった

逃げていた部分があっても、すべてが後ろ向きだったわけじゃない。誰かの人生の一場面に関われる仕事に就いていることには、確かに誇りがある。全力で走ってきた時間を、ただの“逃げ”だとは呼ばせたくない。自分なりの信念を持って働いてきた。それが事実だ。

事務所の一人事務員の存在に、救われることもある

普段は愚痴を言える相手もおらず、感情の出口が見つからない日々。でも、事務員の彼女がいてくれて、ほんの少しだけ空気がやわらぐ。朝、「おはようございます」と声をかけてくれるだけで、救われた気持ちになるときがある。たったそれだけのことで、心が緩むこともある。

「大丈夫ですか?」の一言が沁みる

忙しさに押しつぶされそうな日。無表情で書類に向き合っていたとき、彼女が「先生、大丈夫ですか?」と声をかけてくれたことがある。泣きそうになった。人に心配されることに、こんなに弱くなっていたんだなと思った。それだけ、自分の感情を見ないふりしてきたんだと思う。

自分の弱さを見せられる唯一の相手

同業者にも、友達にも、なかなか言えないことがある。でも事務所にいる彼女には、なぜか少しだけ弱音が吐ける。肩肘張らずに、「疲れたね」と言える関係性があることに、今さらながら感謝している。そういう存在がひとりでもいると、働くことは少しだけ、苦しさを減らしてくれる。

休日が怖くて、出勤してしまうこともある

「たまには休んだら?」と言われることがある。でも、正直なところ、休みが怖い。何も予定のない休日ほど、心が落ち着かないことはない。だからつい、誰もいない事務所に出勤してしまうことがある。パソコンを開いて、何もせずに座っているだけの時間。それでも、家に一人でいるよりはマシだと思ってしまう。

誰にも会わなくていいはずの時間が苦しい

一人の時間を楽しめる人もいる。でも、僕の場合は違った。テレビを見ていても、何かを食べていても、どこかしら「空っぽな自分」と向き合う感覚があった。だから仕事という“やること”がある時間のほうが、まだ安心できた。何かしていれば、心の隙間を塞げるような気がした。

「好きなことすればいい」が一番しんどい

「休みの日ぐらい、好きなことしたらいいのに」と言われる。でも、好きなことって何だっけ? それが思い出せない自分がいた。昔はバイクも好きだったし、読書もしていた。でも今は、ただ時間が過ぎていくだけ。何かにワクワクする感覚を、どこかで置き忘れてきた気がする。

カレンダーが真っ白な休日の恐怖

予定のない休日。誰からも連絡が来ない一日。朝から晩まで、テレビと冷蔵庫を眺めているだけの時間。それがたまらなく怖かった。だから結局、休日でも出勤してしまう。仕事が自分を救ってくれるわけじゃないけど、何もないよりはマシだった。

それでも働き続けている理由

たぶん僕は、仕事が好きなのではない。ただ、仕事がないと崩れてしまいそうな自分を知っているから、今日も働いている。逃げだったのかもしれないし、生きるための手段だったのかもしれない。でも、今の僕には、まだこの事務所が必要だと思っている。

逃げ場が、いつの間にか居場所に変わっていた

最初はただの“逃げ場”だった。でもいつの間にか、「ここなら自分でいられる」と思える場所になっていた。失敗してもやり直せるし、落ち込んでも誰も責めない。そんな空間を自分の手で作れたことに、少しだけ誇りがある。まだここでやれることがある気がしている。

クライアントの「助かった」が生きる実感をくれる

先日、あるクライアントに「先生に頼んでよかった」と言われた。それだけで、しばらくやっていけると思った。生きる意味なんて、そんな大きなものじゃなくていい。誰かの役に立てたと感じられれば、それだけで十分だった。

孤独でも、責任がある限り逃げられない

独身だし、誰かに必要とされているわけでもない。だけど、仕事だけは裏切れない。責任がある以上、今日も朝は来るし、書類は待っている。たとえ逃げ場から始まったとしても、今の僕にとってそれは、かけがえのない「日常」になっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。