きっと今日もバタバタで終わる毎日

きっと今日もバタバタで終わる毎日

きっと今日もバタバタで終わる毎日

朝は希望よりもタスクに追われる

朝起きて、まず頭に浮かぶのは「今日の予定どうだったっけ」ではなく、「まず何から片付けようか」だったりする。目覚ましを止めると同時にメールチェックが始まり、布団の中で返信を考える。世間の人は朝食をのんびり食べてから一日を始めるのかもしれないけれど、こちらは最初の一口を運ぶ前にすでに事務所の空気が頭を支配している。希望というより、義務感。そんなふうにして、毎朝「勝手に始まる」一日が始まっている。

出勤前にすでに始まっている頭の中の段取り

家を出る前から段取りを考えるクセがついてしまっている。例えば、昨日取りかかれなかった登記の補正をいつやるか、次の面談の準備はどのタイミングで進めるか――そういう思考が、歯磨き中も、着替えの最中も止まらない。電動歯ブラシの音にかき消されながら、「あれ、あの資料どこまでやったっけ」と考えている自分が情けなくなることもある。

メールチェックは朝食よりも先

メールチェックが習慣になって久しい。目覚ましよりもメールアプリが先に目に入る。スマホの画面には「至急」「確認お願いします」の文字が並び、朝の空気を一気にざらつかせる。朝ごはんの匂いもどこかへ飛んで、コーヒーだけがかろうじて現実に引き戻してくれる。

「今日は落ち着いて仕事できそう」がフラグになる

「今日は少しゆっくりできそうだな」と思った瞬間、なぜか電話が鳴る。経験上、その一言が一番危ない。気を抜いた矢先に、予想外の依頼や、補正の連絡が入ってきて、あっという間に予定が崩れる。落ち着いた一日というのは、結局、心の中にしか存在しない幻想なのかもしれない。

事務員さんの「おはよう」がありがたい

そんな朝でも、事務所のドアを開けて「おはようございます」と声をかけてくれる事務員さんの存在が救いになる。たったそれだけの一言でも、孤独を忘れさせてくれる。たとえ仕事が山積みでも、誰かと一緒に過ごせる環境があるだけで、気持ちが少しだけ軽くなる。

人の声で自分のテンポが戻る

一人で頭の中がぐるぐるしていると、どこか自分のリズムが狂ってくる。そこに人の声が加わると、ようやく「仕事モード」に切り替わるのを感じる。ひとりで抱え込まないというのは、こういうことなのかもしれない。

それでも雑務は容赦なく積もる

誰かと話したからといって業務量が減るわけではない。補正の処理、報告書の作成、役所への問い合わせ、クライアントとのやり取り……やることは山のようにある。だけど、無言で抱えるより、誰かと一緒にこなすほうが、まだしんどくない。

午前中に予定通り進んだ試しがない

午前中に「予定通り進んだ」と思えた日は数えるほどしかない。朝一番の登記書類の整理をしている間に、電話が3本鳴り、メールが5件入り、飛び込みの来客があれば、それだけでペースはぐちゃぐちゃになる。「あとでまとめてやろう」が積もり積もって、昼には心が擦り切れる。

電話一本で崩れる予定表

司法書士の仕事は「いつも通り」が通用しない。電話一本で流れが大きく変わる。昨日立てた段取りも、朝の打ち合わせも、たった一件の相談でひっくり返る。依頼者にとっては重要なことだから、無下にはできないし、急ぎなら対応するしかない。

「急ぎじゃないんですが」の一言がトリガー

電話口でよく聞く「急ぎじゃないんですが」という言葉。だいたいその後には長くて複雑な話が続く。丁寧に聞いて、調べて、折り返して――その積み重ねで、午前中はあっという間に終わってしまう。優先順位がつけられない日も多い。

依頼は嬉しいけど、今じゃない

依頼があるのはありがたい。でも、できることなら「今じゃない」と思ってしまうこともある。手が離せないときに限って、重要な依頼が来るのはなぜだろう。器用にこなせる人ならともかく、こちらは不器用に一つずつしかこなせない。

補正の依頼が地味にメンタルを削る

登記の補正依頼は、ある意味で自分の「ミスの証明書」みたいなものだ。間違ってはいないと思っていた部分に「訂正してください」と言われると、ぐっと気が滅入る。そこから確認し直す作業もまた神経をすり減らす。

直したつもりが直っていない恐怖

一度補正して出した書類が、再び戻ってくる。これが一番つらい。自信を持って「これで大丈夫だ」と思った修正が、再度突き返される。そんなとき、自分の確認力のなさを責める声が頭に響く。

役所の指摘に凹む日もある

決して悪気があるわけじゃないのは分かっている。けれど、役所の担当者の細かな指摘が、どうしても心に刺さる。自分だけがこんなに要領悪いのかと、落ち込む日もある。でも、それを誰かに愚痴ることもできず、ただ黙って飲み込むしかない。

午後は打ち合わせに持っていかれる

午後になれば少し落ち着けるかと思いきや、今度は外出や打ち合わせがメインになる。移動の合間にタスクを思い出し、信号待ちでメールを確認し、コンビニのイートインで食事しながら書類をめくる。そんな午後が当たり前になってしまった。

移動の合間に思考が止まる

移動中の車内は、ふと自分を取り戻す貴重な時間でもあるけれど、あまりに疲れているとただボーッとしてしまう。段取りを立て直したくても、頭がうまく働かず、「次はどこだったっけ」と確認するのが精一杯になる。

信号待ちでスケジュールを修正

信号で止まるたびにスケジュールアプリを開いて、打ち合わせ時間の調整や、訪問先への連絡を確認する。「本当にこれでよかったか」と不安になりながら予定を組み直すが、その場しのぎにしかなっていないことも多い。

コンビニ昼食が定番に

移動の合間にまともな昼食をとる余裕なんてない。結果、選ぶのはコンビニのパンやおにぎりばかり。栄養も偏るし、身体も重く感じる。でも、何かを食べておかないと、午後の面談で頭が回らなくなる。そんな日々の繰り返しだ。

「ちょっとだけ聞きたい」が長引く罠

「すぐ終わりますから」と始まった相談が、終わってみれば1時間超え。あるあるだ。こちらも「聞かれたくない」とは思わないけれど、時間には限りがある。終盤になると、心のどこかで「そろそろ終わってくれ」と念じている。

聞かれるのは信用の証とは思いつつ

たくさん質問されるのは信頼されている証だ。そう分かってはいるが、物理的な時間の問題は避けられない。誰にでも丁寧に接したい。でも、目の前の時計がじわじわと焦燥感を増幅させる。

雑談に持ち込まれると焦る

業務の相談から始まった話が、いつのまにか世間話になってしまうこともある。人間関係を築くには大切な時間だが、こちらには次の予定が詰まっている。笑顔で相づちを打ちながらも、心の中では焦りのメーターが上がっている。

夕方のラストスパートに息切れする

気づけばもう夕方。まだやり残したことが山ほどある。エネルギーも集中力も底をつきそうな時間帯に、なぜか「あと一件だけ頑張ろう」と思ってしまう。そして、その「一件」の対応にまた1時間。いつもそんな調子だ。

終業時間は「気づいたら過ぎてた」

ふと時計を見て、「もうこんな時間か」と思うのが日常。事務員さんも帰ってしまい、静まり返った事務所でひとりパソコンと向き合う。仕事は終わらないが、気持ちだけは置いていかれた気分になる。

請求書を出し忘れて翌日に持ち越す

急ぎの案件に追われて、請求書を出し忘れてしまうことがある。すると、また翌日にそのタスクが回ってきて、自分の首を絞める結果に。「今日中にやっておけばよかった」と後悔するが、後の祭りだ。

「あと1件だけ」が夜を引き延ばす

帰ろうと立ち上がりかけた瞬間に、「そういえばこれもやらなきゃ」と思い出す。その「あと1件」が、1時間の作業になり、結局帰宅は21時過ぎ。自分で自分の生活を苦しめているのかもしれないと思う。

誰かの「今日もお疲れ様」が沁みる

何気ない「今日もお疲れ様でした」の一言が、心に染み渡る。誰にも会わずに終わる日より、誰かと言葉を交わした日には、不思議と少し報われた気持ちになる。人と関わるというのは、やっぱり大切だ。

報われた気になる一言の重み

どんなに忙しくても、「ありがとう」や「助かりました」の言葉をもらえると、それだけで気持ちが救われる。時間はなくても、その言葉の重さはしっかり受け取っている。

独りの帰り道でようやく息をつく

帰り道の車内、ラジオもかけずにただ無音の中で運転する。その時間だけが、自分に戻れるひととき。今日もバタバタして終わったなと、ため息をつきながら、それでも明日もまた同じ一日が始まるのだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓