事務所に戻るたび心が少しずつすり減っていく

事務所に戻るたび心が少しずつすり減っていく

気づけば溜息しか出ない月曜日の朝

月曜の朝は、いつもより5分だけ早く目が覚めてしまう。仕事がある日特有の妙な緊張が、身体に残っているのかもしれない。布団の中で「今日は何の予定があったっけ」とスマホを覗き込むが、どれも気が重くなるものばかり。休みの日は、ほんのわずかな解放感に包まれていたはずなのに、月曜日が来た途端に、それが全部幻だったかのように思えてくる。溜息をついたところで状況は変わらないのに、気がつけばまた深いため息をついている。

出勤前の自分にかける言葉が見つからない

「今日もがんばろう」と口に出してみても、どこか空々しい。昔の自分なら、元気よく「行ってきます」と玄関を出たものだけど、今は違う。自分にとって、事務所はもう「帰る場所」ではなく、「戦場」のような感覚になってしまっている。仕事にやりがいを感じていた時期も確かにあったが、今はこなすだけの日々が続いている。このままでいいのかと思いながらも、やるしかないという現実だけが重たくのしかかる。

たった一人で背負う空気感が重たい

雇っている事務員がいるとはいえ、最終的な責任を負うのはやはり自分。書類のチェック、クライアントとのやり取り、電話応対、スケジュール管理。全部が「ミスしちゃいけない」の連続だ。特に登記の処理は一つのミスで信頼を損ねるし、最悪訴訟にまで発展することもある。地方の小さな事務所ではミスのリスクはすべて自分に返ってくる。だからこそ、誰にも弱音を吐けずに抱え込んでしまう。

通勤途中に考えるのは今日の苦しみばかり

事務所までは車で15分。エンジンをかけた瞬間から、思考は「今日の案件」へと切り替わる。あの依頼人には何を言われるだろうか、登記完了の報告はどこまで進んでいるか、郵送したはずの書類は届いているか――気になることばかりで、ラジオも音楽も耳に入ってこない。かつて通勤時間は気分転換の時間だったはずが、今は憂鬱の入り口になってしまっている。

事務所のドアノブを握った瞬間に現実が戻ってくる

事務所のドアに手をかけた瞬間、体のどこかが固くなる。休日モードが終わりを告げ、現実がずしんと押し寄せてくる。「また始まる」と思うのと同時に、「終わりが見えない」という不安も湧いてくる。このドアの向こうには、書類の山と電話の嵐と、冷たい現実しか待っていない。なのに、それでも毎日そのドアを開けてしまう自分がいる。

夢の中では自由だった自分

休みの日にうっかり見た夢の中では、どこか知らない場所で自由に歩いていた。司法書士でもなく、誰かに「先生」と呼ばれることもない、ただの男として。目覚めてしばらくはその夢が忘れられず、もしかしてあっちが本当の自分なんじゃないか、そんな妄想さえ浮かぶ。現実は厳しく、逃げ場がないことを知っているからこそ、夢の中の自分に妙に惹かれてしまうのかもしれない。

机の上の書類が現実を突きつけてくる

朝、デスクに座ると、まず目に飛び込んでくるのは昨日の残務と、郵便で届いた書類の山。未処理の案件、チェック待ちの契約書、書きかけの報告書。自分が見なかったことにしても、それらは決して消えてくれない。ひとつひとつ手をつけていくたびに、「今日もまた戦うのか」と思わされる。この繰り返しに、心のどこかが少しずつすり減っていくのがわかる。

事務員の「おはようございます」に返す元気がない

うちの事務員は明るくて、きちんとした人だ。朝もきちんと挨拶してくれる。でも、それに返す言葉が出てこない朝もある。「あ、おはよう」とかろうじて返すけれど、声がうまく出ない。相手の明るさに、自分の気持ちが追いついていないのがわかる。嫌いなわけじゃない。ただ、余裕がない。笑顔を作るエネルギーさえ残っていないことに、自分自身が情けなくなる。

電話の音がまるで心を刺すナイフに思える時

電話が鳴る音に、毎回少し身構えてしまう。内容を想像するだけで、心拍数が上がる。登記の遅れか、依頼人のクレームか、法務局からの問い合わせか。良い知らせであることのほうが少ない。だから、電話の音はまるで「嫌なことの予告音」のように感じてしまうのだ。

内容じゃない、鳴るだけで嫌になる

誰からの電話かも分からない段階で、すでにストレスを感じている。電話という行為そのものが、自分の時間と心を一方的に奪っていくようで苦しい。スマホで鳴る通知音はスルーできても、事務所の固定電話はそうはいかない。鳴れば必ず取らなければいけない、そして何かを背負う覚悟を迫られる。この“鳴ったら負け”みたいな感覚、きっとわかってくれる人もいると思う。

相手のトーンに振り回される無力感

電話の向こうの相手が不機嫌だと、こちらの気分も一気に下がる。怒られているわけじゃなくても、言葉の温度で伝わってくる。「これ、どうなってますか?」という何気ない一言が、心に突き刺さることもある。急かされているように感じて、必要以上に焦ってしまう。相手の感情に影響されやすい自分が、本当に面倒だと思う。

元野球部なのに打たれ弱くなっていく

高校時代、野球部で鍛えたメンタルはどこに行ったのか。あの頃は、怒鳴られても次に切り替えられたのに、今では一言で引きずってしまう。たぶん、責任の重さが違うからだ。あの頃は自分一人の問題だったが、今は依頼人の人生や財産が関わっている。守るべきものがあるほど、怖さも比例して大きくなる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。