誰にも見せないフォルダがまたひとつ増えた日

誰にも見せないフォルダがまたひとつ増えた日

人に見せられないファイルが増えていく日常

「新しいフォルダ(2)」なんて名前のフォルダが、気づけばデスクトップにずらりと並んでいる。あれこれ整理しようと思って作ったものの、忙しさにかまけて中途半端な状態で放置されたファイルたち。仕事のメモや未送信のメールの下書き、削除しようか悩んだ文書…。結局、誰にも見せられないまま、気持ちごとパソコンに沈んでいく。そんな毎日が、もう何年も続いている。

言葉にできない感情を保存する習慣

たとえば依頼人とのやり取りの中で理不尽な対応を受けたとき。直接言えないから、とりあえずメモ帳に書いて保存する。何を言われた、どう思った、どう対応すべきだったか。そうして感情を一旦ファイルにして閉じておく。まるで、心のクッション材のように。誰かに話せれば軽くなるのに、話す相手がいないから、自分のPCが話し相手になる。

ついデスクトップに作ってしまう新しいフォルダ

一段落したと思ったらまたトラブル。事務員には見せたくないような内容だと、フォルダの名前はますます曖昧になる。「書類」「整理用」「後で見る」…そんな名前の中に、実は小さな怒りや悲しみがぎゅっと詰まっている。片付ける時間も心の余裕もなくて、結果的にそのまま積み重なっていく。

その中身は書きかけのメールと締め切りのメモ

書きかけのメールが何通もある。感情のまま書いたけど、送るには角が立つ。だから下書きのまま残る。それがまた見返されることもなく、放置される。締め切りのメモは、急ぎすぎて自分でも読めない文字。そういう「一応保存しとこう」という曖昧さが、このフォルダたちを増やしていく。

司法書士という仕事の特性が生む内向きの記録

この仕事は、意外と「人に話せないこと」が多い。個人情報やトラブル、言質を取られるようなやり取り、微妙な空気。口に出せば楽になるのに、それが許されない場面が多すぎる。だから、どうしても心の中かパソコンの中にしか置き場がない。

誰にも相談できないことの多さ

例えば、同業者に相談したら「あいつ、また愚痴ってる」と思われそうで怖い。かといって友人には専門的すぎて伝わらないし、事務員に話せば不安にさせるかもしれない。そんなとき、「誰にも見せないフォルダ」が一番安全な避難場所になる。自分のためだけの小さな防音室だ。

それ俺が言うと角が立つの繰り返し

お客さんの態度や、役所とのやり取りの中で「それ、普通に考えておかしいよな…」と思うことがある。でも、こっちから言えばクレームになってしまう。波風を立てたくない、でも納得できない。その結果、ひとりで抱え込んでしまって、また一つファイルが増える。

愚痴も弱音もまずはパソコンの中に

日報のつもりで書いた文章が、気づけば愚痴だらけになっていた。これは公開できないな、と思って保存フォルダ行き。弱音を人に見せるのが怖いから、まずは画面の中にしまっておく。誰にも見せないはずが、誰かに見てほしいという気持ちがどこかにあるのかもしれない。

フォルダの中身が消せない理由

いざ整理しようとしても、結局どれも削除できない。必要かもしれないから。何かあった時の証拠として。そうやって理由をつけては、削除を先延ばしにする。結果的に、過去の自分と向き合うことを避けているだけかもしれない。

過去のやり取りに潜むトラブルの種

過去に対応した案件の記録や、ちょっと怪しいやり取りのスクリーンショット。「念のため」と思って保存したけど、見返すと胸がザワつく。捨てたいけど捨てられない。トラブルが再燃したら?そんな不安が、削除ボタンを押す指を止めてしまう。

感情と記録を分けることが難しい

司法書士という職業柄、「記録」は重要だ。だから、感情も一緒に残してしまうことがある。「悔しかった」「つらかった」そんな気持ちも、文章の端ににじんでしまう。そのファイルを見るたび、当時の感情がよみがえってくる。感情と記録を分けるスキルなんて、そう簡単には身につかない。

証拠と未練の狭間で

実務的には「証拠として保存しておくべき」だと思っていても、実際は心の整理がつかないだけの未練だったりする。フォルダの中には、割り切れなかった出来事が詰まっている。捨てればいいのに捨てられない。それが、未練という名のデータ。

誰にも見せないものにこそ自分が出る

フォルダを開けば、そのときどきの自分がいる。誰にも見せたくないほど弱っていた日、怒りを抑えきれなかった日。そんな日々が記録として残っている。消せない理由は、きっとそのときの自分を否定したくないからなのだと思う。

後で見返すは見返さない前提

「あとで整理しよう」「後で見直そう」そう言い訳して保存するけど、実際に見返すことはほとんどない。見るとしんどいから。自分の過去の感情に触れるのは、意外とエネルギーを使う。だからフォルダは開かれないまま、静かに増えていく。

自分自身へのメッセージになっていく

だけど、そのフォルダの存在が、「頑張ってたんだな」と思える証拠にもなる。人には言えなくても、自分にとっては意味のある記録だ。無理やり消す必要もないし、いつか見る日のために取っておいてもいいのかもしれない。

削除できる日が来ると信じたい

いつか心が軽くなって、「もうこれはいらない」と自然に思える日が来たら、そのときに削除すればいい。その日まで、見せないフォルダが増え続けるのも、仕方ないことだと思う。見せられないものがあるというのは、生きている証なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓