ペンのインクが切れた日、自分もすり減っていた

ペンのインクが切れた日、自分もすり減っていた

ペンのインクが切れた日、自分もすり減っていた

ペン先のかすれと、心の摩耗

書いても書いても終わらない登記書類、委任状、そして確認の山。その日も朝からペンを握り続けていた。ふと文字がかすれた。ペンのインクが切れていた。それだけのことなのに、なんだかすごく疲れてしまった。まるで自分の中身まで出尽くしたかのような、そんな気持ちだった。地方の事務所で、一人と一人でまわしている日々。やることは山のようにあるのに、自分の気力が持たない。そんな毎日だ。

書類は減らないのに、気力ばかりが減っていく

処理しなきゃいけない案件は容赦なく積まれていく。今日やらなきゃ、誰かが困る。そう思えば思うほど、自分の気持ちが後回しになる。事務員さんも一生懸命やってくれているから、愚痴なんて言えない。けど、どうにもならない疲れってあるんだ。お昼を食べる時間すら忘れて、気づけば夕方。残っているのは使い切ったボールペンと、自分のため息だけ。

朝から晩まで、ひたすら記録と確認の繰り返し

たとえば、不動産の相続登記。地番の確認、評価証明書のチェック、法定相続情報の写しとの突き合わせ。何度も目を通して、何度も確認して、それでも不安になる。人間だからミスはある。そのたびに、自分はこの仕事に向いてないんじゃないかって思ってしまう。間違えてはいけないと分かってるからこそ、神経をすり減らしている。そして一日が終わる頃には、目も心も擦り切れている。

「人間らしさ」なんて言葉、最近使ってない気がする

最近、自分が人間だったことを忘れてる気がする。感情も、欲も、何もかも後回しにして、ただミスしないことに神経を集中させてるだけ。恋愛? そんな余裕はない。というより、誰かと話す時間すらないのが現実だ。たまにコンビニのレジで「温めますか?」と聞かれるだけで、涙が出そうになる。自分の存在を確認される、それだけで心が揺れてしまうくらいには、こっちも疲れてる。

静かに消えていく“自分”を見つけた瞬間

あの日、インクが切れたペンをじっと見つめてしまった。新品だったはずなのに、気づけばスカスカだ。まるで今の自分みたいだと思った。頑張ってるつもりなのに、結果が見えない。誰かに褒められるわけでもない。ただひたすら、無になって働いている感じ。仕事は好きなはずなのに、やりがいが見えなくなる日もある。

インクが切れたとき、ふと気づく孤独

一人でいる時間が長いと、自分の孤独にも気づかなくなる。でも、ふとした瞬間にそれは顔を出す。たとえば、書類に押印しようとしたとき、印鑑が見当たらず「あれ、どこやったっけ?」と独り言を言っても、誰も返事しない。あたりまえの光景なのに、その日は胸にじんときた。自分ってこんなに一人で頑張ってたのか、と。

事務所にひとり。誰もツッコミすら入れてくれない

テレビで芸人がボケてツッコまれて笑いが起きる。けれどこの事務所にはボケる相手もツッコミもいない。たまに冗談を言っても、事務員さんにはスルーされるし、言ったあとに自己嫌悪になる。「何言ってんだ俺」と。そんな小さなことで、自分の居場所のなさを再確認してしまう。

「大丈夫ですか?」のひと言が、こんなに恋しいとは

人間って、言葉ひとつで救われるんだなと思う。昔、知り合いの司法書士に「最近どう?」と聞かれて、泣きそうになったことがある。誰かが自分を気にしてくれる、その当たり前がありがたい。日常が業務だけで埋め尽くされていると、人の温度が恋しくなる。「お疲れさまです」のひと言に、どれほど救われるか。自分も誰かにそう言えてるだろうか。

優しさで仕事は回らない。でも優しさがないと終わる

世の中、優しいだけでは仕事は回らない。けど、優しさがなければ心が死ぬ。お金も大事、効率も大事。でも、疲れ果ててしまったときに残るのは、自分が誰かにどう接していたかだけだ。冷たくなりすぎないように、でも甘くなりすぎないように。そんな綱渡りのような日々が続いている。

頼られるけど、誰にも頼れない日々

「先生にお願いしたいんです」と言われれば、嬉しい。でも、同時にプレッシャーにもなる。ミスはできない、信頼を裏切れない。だからこそ、頼る相手がいないのがつらい。事務員さんにまで気を遣ってしまい、ひとりで抱え込む癖が抜けない。信頼されるって、孤独でもあるんだなと最近よく思う。

事務員さんに気を遣いすぎて、疲れてしまう自分

いい職場にしたいと思うからこそ、事務員さんには無理させたくない。だから残業はさせないようにして、自分が残る。細かいところまで気を配る。だけどその分、自分の負担は増える一方。ときどき「気にしすぎですよ」と言われるけど、気にしないと続かない気がする。優しさと無理の境界線が、だんだん分からなくなってきた。

いい人って、便利に扱われるだけなんじゃないか

「先生って優しいですよね」と言われたことがある。でもそのあとで、都合よく予定をねじ込まれた。「優しい」と言われると断れない。結局、自分がしわ寄せを受ける。いい人って、損な役回りだなと思う。でも、そうじゃないと自分じゃなくなる気がするから、結局また優しくしてしまう。そのループが、今も終わらない。

それでもまた、ペンを取る理由

そんな日々でも、またペンを取る。何のためかは分からない。でも、誰かの困りごとを一つでも解決できるなら、まだやれる気がする。インクを入れ替えるように、心にも少しだけ余白を持って、また今日も書き始める。それが、たった一人の司法書士としての、自分なりの答えかもしれない。

誰かの「ありがとう」が、全部をひっくり返す

本当にしんどいとき、依頼者の「助かりました」「先生に頼んでよかったです」の一言で、全部が報われることがある。そんなの綺麗ごとだと思っていたのに、自分がその言葉を聞いたとき、涙が出そうになった。見返りなんていらないと口では言うけど、心はちゃんと覚えてる。人の気持ちは、何よりの報酬だ。

無理だと思った日も、実は“通過点”だった

「ああ、もう無理かも」と思った日、何度もある。でも振り返ると、それらは全部“通過点”だった。今日もなんとか事務所に来てるし、書類も片づいてる。完璧じゃなくても、やってこれた自分を、少しだけ認めてやってもいいんじゃないか。そんなふうに思うようになった。

インクを替えるように、自分を入れ替えてみる

ペンのインクが切れたら、新しいインクを入れる。それと同じように、自分にも新しい何かを入れたい。本でもいい、旅行でもいい。人と話す時間でもいい。心の中のインクがなくなる前に、自分を補充する。それができれば、まだもう少し、この仕事を続けていけそうな気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。