忙しさの果てに見つめる空っぽな夜
今日も気づけば終電ぎりぎりの時間。事務所の電気を消し、駅までの道をひとり歩きながら、ふと「何のためにここまで働いているんだろう」と呟いてしまう。目の前の業務は確かに山ほどあって、それを片づけることに意義はある。でも、その達成感はなぜか長く続かない。全力で駆け抜けたはずなのに、心はぽっかりと空いている。それは、何かを置き忘れてきたような感覚だ。
一日中走り続けても心が追いつかない
朝イチの銀行対応から始まり、午後には法務局、夕方には立て続けに3件の相談。これが珍しくもない日常だ。途中でコンビニのおにぎりを口に放り込んだことすら覚えていないくらい、体は動いているのに、心がどこかで取り残されているような感じがする。仕事が好きなはずなのに、最近は“やらされてる”感覚がちらつく。
次々に処理されていく「案件」と感情の乖離
司法書士の仕事って、どれだけ頑張っても「感情」を置いていかないといけないことが多い。登記一件一件には人生が詰まってるのに、それを一つの処理として淡々とこなすうちに、自分の感情もどこかにしまいこんでしまう。効率は大事。でも、何かを感じてはいけない職業になりつつある気がして、怖くなる瞬間がある。
数字と成果だけが残る日々に思うこと
どれだけ案件をこなしても、月末に帳簿を締める瞬間に残るのは数字だけ。もちろん経営者として数字は大切だけど、人間として“何か”を残している感覚がないのがつらい。昔、野球部でバットを振っていた頃のほうが、結果が出なくても心は満たされていた。今は、結果を出しても心が空虚になる。それが不思議で、そして苦しい。
ありがとうも評価もない世界で働くということ
この仕事は「誰かに感謝されたい」なんて思って始めたわけじゃない。でも、1日頑張った後に「お疲れさまでした」の一言がない日が何十日も続くと、やっぱりこたえる。自分の仕事が正しかったのか、不安になる夜もある。結局、自分で自分を励ますしかないのが、独立した司法書士という働き方なんだと思う。
見えない努力に誰が気づくだろうか
クライアントに迷惑をかけないよう、確認作業を何重にも重ねる。でも、それは誰にも見えないし評価もされない。むしろ「あれ、まだですか?」と急かされることすらある。そのたびに「見えない努力」の価値について、自問自答する。人に見せない努力は、美談にならないのだろうか。
「お疲れさま」と自分で言うしかない現実
結局、誰もねぎらってくれないなら、自分で自分を褒めるしかない。でも、それがまた虚しい。缶ビールを片手に「今日もよくやった」と呟くけど、その言葉が空気に溶けていく。事務所の電気を消すとき、「ああ、また明日もこれを繰り返すのか」と思ってしまうのは、自分だけじゃないはずだ。
ふと気づく誰とも話していない一日
気がつけば今日は誰ともまともに会話をしていない。事務員さんとは最低限の業務連絡だけ。クライアントとのやり取りも電話かメール。人と話したいと思うわけじゃないけど、言葉を交わす相手がいない一日が続くと、心の温度がどんどん下がっていくような気がする。
事務員と交わす最低限の会話
「おはようございます」「書類ここに置いておきます」「お疲れさまでした」。それだけで業務が回るのは、ある意味すごいこと。でも、それ以上の会話がないというのも、なかなか寂しいものだ。事務員さんにも生活があり、無理に話しかけることはできない。だけど、もう少し人間的なやり取りが欲しいなと思う日もある。
会話はしているのに孤独感は増していく
不思議なことに、会話をしても「孤独」が晴れるわけじゃない。どこか他人行儀なやり取りが続く中で、自分の存在感が希薄になっていく。人と話していても、自分がそこにいないような感覚。それは、心が疲れている証拠かもしれない。
言葉を交わす相手が仕事の相棒だけという世界
唯一の会話相手が、事務員だけという日が何日も続く。決して仲が悪いわけじゃない。でも、そこに「人間関係」があるかといえば、そうでもない。どこかビジネスライクなやり取りに終始して、仕事が終わればそれぞれの生活に戻っていく。誰かと一緒に笑った記憶が、ずいぶん昔のことのように感じる。
明日もまた同じ朝が来る
それでも、明日は来る。いや、来てしまう。目覚ましの音で無理やり体を起こし、眠い目をこすってコーヒーを入れる。今日もまた「全力」で働く準備をするけれど、その全力がいつ報われるのかは、誰にもわからない。心が空っぽになる日が続くと、その“明日”がどこか怖くなる。
目覚ましの音が重たく響く理由
朝の目覚ましが鳴るたび、まるで罪を告げる鐘のように聞こえる。疲れが抜けきらないまま迎える朝は、体よりも心に響く。あと5分…と布団にしがみつきたくなるのは、肉体的な疲れよりも、精神的な“空虚”のせいかもしれない。
体は動くのに、心が動かないという感覚
シャワーを浴びて、スーツに袖を通し、事務所へ向かう。ルーティンはこなせる。でも、心がどこか置いてけぼりになっているような感覚。こんな状態で、誰かの大切な登記を扱っていいのかと不安になることもある。それでも動き続けるしかないのが、この仕事の現実だ。
「頑張る」は義務になってはいけないのに
「頑張らなきゃいけない」と思った瞬間から、それはもう“義務”になる。本来、頑張ることは自分の意思でやることのはずなのに、いつの間にか押しつけられた気持ちになっている。そう感じ始めたとき、人は心が壊れていくのかもしれない。