笑ってるけど、心は泣いてる日々──司法書士、建前と本音のあいだで

笑ってるけど、心は泣いてる日々──司法書士、建前と本音のあいだで

心の声と建前、そのすり減るあいだで

地方で司法書士として働いていると、どうしても「いい人でいること」に疲れてしまう瞬間があります。依頼者に対して誠実でいようとするあまり、本音を隠し続けてしまう。気づけば、笑っている顔と心の声のギャップが日に日に広がっていくような感覚に襲われます。「いい先生」と言われるたびに、「いやいや、本当はそんな余裕ないんです」と叫びたくなる。でも叫べない。司法書士って、そういう生き物なのかもしれません。

「大丈夫ですよ」と言いながら全然大丈夫じゃない

「急ぎじゃないのでお時間あるときで大丈夫です」って言われると、余裕があるように見せなきゃいけないと思ってしまうんですよね。本当は山のような案件に埋もれていて、今日中に終わらせないといけない登記もある。それでも「承知しました」と笑顔で返してしまう。自分でも、どこまでが建前で、どこからが本音なのかわからなくなることがあります。

依頼者とのやりとりはいつも“いい人”のフリ

「先生って本当に親切ですよね」と言われると、もうそれだけで泣きそうになります。だって、それを演じてるだけなんです。本当は、今日一日くらい誰ともしゃべらずに書類整理だけしていたい。だけど「また相談してもいいですか?」って言われれば、もちろん「はい、いつでもどうぞ」って答えます。そういう世界です。いい人でいないと信頼されない。それがこの仕事の怖さでもあります。

心の中では「早く終われ」と思ってる日もある

何度も同じ説明を求められる相続の案件。高齢の依頼者が、聞いたそばから忘れてしまう。それは仕方ないことだと頭ではわかっていても、心がついていかない日もある。「もう3回目ですよ…」と喉まで出かけた言葉を飲み込んで、笑顔を貼りつける。だけど、内心はぐったりです。家に帰ってから「ああ、またやってしまった」と自己嫌悪に沈む。そういう日が、けっこうあります。

電話一本で崩れる一日の段取り

朝イチで立てた完璧なスケジュール。それを無慈悲に壊してくるのが一本の電話です。「今日中に登記の相談を…」という言葉に、予定は一瞬で吹き飛びます。こちらにだって締切はあるし、やるべきことが山ほどある。でも、「無理です」とは言えない。それが地方の司法書士のリアルです。仕事を断ったら、次はもう来ないかもしれない。それが怖くて、結局全部受けてしまう。

「今から来ていいですか?」に毎回怯える

お昼ごはんを温めようとした瞬間、鳴る電話。「いま近くにいるんですが、今から相談できますか?」という声に、心臓がギュッと縮みます。断る理由が見つからないまま、「どうぞ、お待ちしてます」と口が勝手に答えている。昼ごはんは冷めて、午後の予定は総崩れ。自営業って、こういうことなんですよ。好きなときに仕事をする自由なんて幻想です。

こっちの事情は聞かれもしない、言えもしない

依頼者は悪気があるわけではない。むしろ、善意で言ってきてくれることがほとんどです。でも、こちらの事情にはまったく無関心。「今日ヒマでしょ?」とか言われた日には、顔は笑ってても心は泣いてます。本当は今日が一番ヤバい日なんですよって言えたら、どれだけ楽か。だけど、それを口にした瞬間に“感じ悪い先生”になる。だから今日もまた、建前の笑顔で迎えるのです。

“先生”という仮面の重さ

「先生」と呼ばれるたびに背筋が伸びる反面、プレッシャーもひしひしと感じます。「この人、何でも知ってる」「間違えない」そう思われているのが伝わってくるからこそ、余計に間違えられない。緊張感は慣れることなく、年々強まっていく気さえします。

信頼されるのはありがたい…でも疲れる

依頼者からの「先生に頼めば安心」という言葉に、もちろんありがたい気持ちはあります。でもその裏で、「この人の人生を左右する責任があるんだ」という重圧がのしかかってくる。夜中に「あれで本当に良かったのか?」と何度も考え込んでしまう日もあります。信頼に応えたい気持ちと、それに潰されそうになる自分。どちらも本音です。

完璧でなきゃいけない空気に飲まれる日々

司法書士って、ミスが許されない仕事です。一文字の間違いでも登記が止まるし、それが信頼を失うきっかけになることもあります。だからこそ、常に緊張感と戦っている。でも人間だから、ミスをすることだってある。だけど「先生なのに」と言われたら終わり。その恐怖と戦いながら、毎日書類とにらめっこしています。

弱音を吐く相手も場所もないという現実

一人事務所というのは孤独です。事務員さんはいても、やはり経営者という立場上、弱音は吐きづらい。「疲れた」と言ったら不安にさせてしまうかもしれない。だから今日も、黙って抱え込む。SNSで愚痴っても虚しさが残る。結局、自分の心の声を聞いてやれるのは、自分しかいないという現実に戻ってきます。

それでも続けている理由って何だろう?

毎日が建前と心の声のせめぎあい。それでもこの仕事を辞めずに続けているのは、どこかで「誰かの役に立っている」という実感を持てる瞬間があるからです。「助かりました」「本当に先生に頼んでよかったです」と言われるたびに、心のどこかがふっと軽くなる。たぶん、それだけを糧に、また一日を始めてるのかもしれません。

辞めたくなる瞬間は何度もあった

正直に言えば、辞めようと思ったことは何度もあります。特に、無理をして依頼を引き受けた結果、体調を崩して寝込んだあの夏。あのときは本気で「もうやめよう」と思いました。でも、ふと机に置かれていた依頼者からのお礼の手紙を読んで、涙が出ました。報われる瞬間は、ほんの少ししかない。でも、その「ほんの少し」が意外と大きいのです。

それでも依頼者の「ありがとう」に救われる

建前ばかりの日々のなかで、本音に触れられる唯一の瞬間が「ありがとう」の言葉。形式的なものではなく、本心からの感謝に出会えると、それだけで心が揺さぶられる。この仕事をしていてよかったと思える数少ない瞬間です。泣きたい日もあるし、逃げ出したい日もあるけれど、やっぱり続けてしまうのは、あの「ありがとう」があるからなのかもしれません。

“建前”が自分を守ってくれているという皮肉

皮肉な話ですが、「建前」でい続けることで、自分自身を保っている部分もあるのかもしれません。本音だけでこの仕事を続けるのは、逆にしんどい。本音を隠し、笑顔で応対することで、誰かを傷つけず、自分も壊れずに済んでいる。つまり、建前もまた一つの「優しさ」なのだと、今は少しだけ思えています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。