幸せそうな人を見たくない日もある

幸せそうな人を見たくない日もある

あの人の笑顔がまぶしすぎた日

ある日、事務仕事の合間にスマホを見ていたら、SNSに昔の友人の結婚式の写真が流れてきた。新郎新婦の満面の笑み。心から祝福すべき場面だとわかっていても、その瞬間、自分の心がずしんと重くなった。誰かの幸せが、まるで自分の欠落を突きつけてくるような感覚。忙しい日々の中で、ふと気が緩んだ時、そういう瞬間に不意打ちで胸を突かれることがある。

素直に「よかったね」と思えなかった

相手が幸せになることに嫉妬しているわけではない。むしろ、うまくいってる人を見ると安心する気持ちもある。でも、なぜか「よかったね」と心から思えない日がある。そんな日は決まって、こっちが疲れていたり、孤独を感じている時だ。笑顔を見るだけで、取り残された気分になる。

SNSで流れてきた結婚報告の笑顔

特にSNSは厄介だ。年賀状のように一斉に幸せが届く。同級生の中では自分だけが、まだ独身で、誰かの家族の集合写真を見ては、「あれ、自分はどこにいるんだっけ」と思ってしまう。別に恨んでいるわけじゃない。でも、あの笑顔をまっすぐ見られない自分がいて、それがまた情けなくなる。

うまくいってる人の話はなぜか刺さる

この前、仕事で関わった依頼者の方が「娘が結婚しましてね」と話してくれた。幸せそうに話す姿に笑顔を返しつつも、内心では胸に棘が刺さっていた。こんな時、自分の人生を他人と比べてはいけないとわかっていても、比較せずにはいられない。成功しているとか、家庭を持っているとか、そんな単純な話じゃない。ただ、「自分にはないもの」を意識してしまうのがつらいのだ。

嫉妬とはちょっと違う、でも重い感情

それは明確な嫉妬ではない。むしろ、自分の足元を見つめた時の空虚さのようなものかもしれない。「こんなに頑張ってるのに、なぜ報われた気がしないんだろう」。そんな思いが心に積もる。誇れる仕事をしていても、どこか孤独で、報酬の代わりに寂しさが増えている気がする。幸せそうな誰かを見ると、その現実が際立ってしまう。

自分が停滞しているように感じてしまう

誰かが進んでいるように見える時、自分が止まっているように感じる。実際は動いてるのに、気持ちだけが取り残されていく。例えば登記を終えて、報酬をもらっても、その日は何の達成感もなかったりする。「ただのルーチン作業」で終わってしまった時、自分が機械のように感じてしまう。そして、その夜に他人の幸せを目にすると、余計に空虚になる。

比べないほうがいいと頭ではわかっていても

人と比べることほど意味のないことはない。そんなの百も承知だ。でも、心はそう簡単にはコントロールできない。とくに、日々の疲れが溜まっている時ほど、比較の罠にハマりやすい。今日は自分が弱っている日なんだな、と自覚できればまだマシ。でもそういう日は、気づかないまま落ち込んで、ただただ「見なければよかった」と思ってしまう。

一人で抱えたままの感情

こういった感情を誰かに話せるかと言えば、なかなか難しい。相談を受ける立場にある職業ほど、自分のことは後回しにしてしまいがちだ。ましてや弱音なんて、口に出した途端に自分が崩れてしまいそうで、つい飲み込んでしまう。事務員さんにも言えないし、友人に愚痴るような柄でもない。結果として、感情だけが体の中にたまっていく。

誰にも話せない時のほうが多い

仕事のこと、家族のこと、自分の将来のこと。どれも重くて、どれも軽く扱われたくない。だからこそ話す相手を選んでしまう。でも、そういう「選ぶ」という行為が、さらに孤独を強めてしまう。誰かと居ても、「この人には話せないな」と思うと、逆に虚しくなることもある。

事務員さんには見せられない顔もある

毎日一緒に働いているとはいえ、事務員さんにはあまり自分の感情を見せられない。彼女にも生活があり、感情の波に巻き込むのは申し訳ないという気持ちがある。だからこそ、少し無理して笑ってしまうことがある。でもその無理が積もると、家に帰ってからどっと疲れがくる。誰かの前で“普通”を演じ続けるのも、なかなかしんどい。

相談を受ける仕事なのに、自分は誰にも話せない

矛盾していると思う。人の悩みを聞き、最善の手続を提案する仕事なのに、自分の気持ちは放置してしまっている。話せる相手がいないのではなく、話すことに慣れていないだけなのかもしれない。こうやって文章にしてみると、ようやく少しだけ整理できた気がする。司法書士も、人間なのだ。

それでも、今日を終える

どれだけしんどくても、夜は来て、そしてまた朝が来る。幸せそうな人を見て胸が痛む日があっても、そんな日が永遠に続くわけではない。むしろ、その感情を知っているからこそ、他人の痛みに敏感になれるのかもしれない。明日も、何かしらの手続きが待っている。それが、今の自分の立ち位置だ。

見ないようにしていた景色があった

少し目を逸らすことで、心が守られることもある。強くなろうとしすぎて、自分を壊してしまっては意味がない。今日はもうSNSは見ない。笑顔の写真も、成功話も、今日は距離を置いておこう。それは逃げではない。必要な“休憩”なのだと、自分に言い聞かせている。

人の幸せを避けることは、逃げではない

「見ないようにするなんて、器が小さい」なんて言葉をどこかで聞いた。でも、違う。自分の感情に正直でいることは、むしろ勇気だ。他人を妬まず、傷つかないように自分を守ることも必要なことだと思う。誰のためでもない、自分のための選択として、今日はそっとスマホを閉じる。

無理にポジティブにならなくていい

「前向きに」「感謝を忘れずに」そんな言葉に押しつぶされそうになる日もある。そんな日は、無理に笑わなくてもいいし、感謝できなくてもいい。今日を生き抜いた、それだけで十分。幸せそうな人を見たくない自分も、自分の一部として受け入れてあげる。それが、明日を少し軽くする唯一の方法なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。