赤い糸は登記簿に絡まる

赤い糸は登記簿に絡まる

登記の訂正依頼がもたらした奇妙な違和感

朝一番で事務所のドアが開き、書類を抱えた女性が現れた。目元は腫れていて、泣きはらしたようだった。「登記が間違っていたみたいなんです」と彼女はかすれた声で言った。

依頼内容は、所有権移転登記の申請に誤りがあったというもの。登記簿には確かに「田代芽衣子」という名が記されていたが、申請人の記載には別の名字がある。だが、それだけの話だろうか。

その違和感は、司法書士としての経験ではなく、元野球部の直感みたいなものだった。球筋が逸れたときの、あの嫌な予感に近かった。

誰の名前が間違っていたのか

依頼書類を確認すると、提出された委任状には「田代芽衣子(旧姓 小山)」と記載があった。しかし、申請書の「原因証明情報」には「小山芽衣子」となっている。

登記官が見落としてもおかしくないレベルの誤記だが、ここで引っかかるのは「旧姓」のわざわざの記載だ。それが正しいのか、それとも見せかけか。

「離婚歴はないと聞きましたが」と問うと、彼女は少し言い淀んだ。やれやれ、、、この手の依頼はだいたい“普通の登記”で終わらない。

登記済証の記載に残る謎の書き換え

さらに妙だったのは、登記済証の写し。原本には確かに「田代芽衣子」と記載されていたのに、なぜか一部に修正液の痕跡がある。

修正液の下に透けて見えるのは「小山」。修正ではなく「復元」に近い操作。普通ならこういう細工は目立たないようにするものだ。

それなのに、なぜこれほどまでに“気づかれること”を前提としたような加工をしてきたのか。まるで、誰かに真実を暴いてほしいと言わんばかりだ。

依頼人は泣きそうな顔の女性だった

改めて依頼人の顔を見た。30代半ばくらい、色白でどこか影のある目元。書類を握る手が小刻みに震えていた。

「本当に、、、ただのミスなんです」と繰り返すその声は、自信がなかった。まるで、自分でもどこかで信じたくないような響きだった。

「名字が変わった経緯はありますか?」と訊くと、しばらくの沈黙の後、「あの人のせいです」とぽつりと漏らした。

名字が一致するという偶然

彼女の旧姓「小山」と、登記義務者の姓「小山」。奇妙な一致だった。何かが、どこかでつながっている気配がする。

戸籍を取ることにした。サトウさんが無言でうなずき、申請用紙をプリントアウトして持ってきた。仕事が早いのが、彼女の強みだ。

「これは、わざと間違えたんじゃないですか」とサトウさんがぼそっと言った。いつもながら、直球すぎる。

妙に丁寧すぎる委任状の真意

委任状の文面はまるで法務局提出用に書かれたかのような丁寧さ。しかも、委任者欄にはフルネーム、住所、生年月日、そして捺印は朱肉の二重印。

これは、登記実務をよく知る人物の手によるものだろう。彼女が書いたにしては、不自然なほど「完成されすぎている」。

ふと、頭をよぎる。「これ、誰かに書かされたのでは?」と。となると、やはり話は少しロマンスの香りがしてくる。

サトウさんの鋭い指摘が突破口に

「この芽衣子さん、過去に婚姻歴があるかもしれませんね」とサトウさん。住民票の除票を確認したら、案の定、前の住所で「田代」という姓を使っていた。

しかも、その住所にはもう一人、「小山宏人」という男性の名が。関係性は書かれていないが、同居していた可能性が高い。

「赤い糸、、、ね」と彼女が鼻で笑った。「結ぶだけじゃなく、絡まるものですよ」と続けたのは、少し意味深だった。

婚姻歴に潜む不可解な空白

役所から取り寄せた戸籍謄本には、確かに一度だけの婚姻歴が記載されていた。しかし、離婚の記載がなかった。

それはつまり、婚姻が成立しなかったか、あるいは籍を入れずに暮らしていた可能性があるということ。だが、それにしては同姓同住所の履歴がはっきり残っている。

これは、書類上の「抜け」なのか、それとも誰かの意図的な隠蔽か。だんだんと、ただの登記訂正ではない雰囲気が濃くなっていく。

戸籍の附票に現れた接点

最終的な決定打は、戸籍の附票だった。そこには「小山宏人」の転出先と、芽衣子の転入先が、日付違いで同じ住所だったと示されていた。

つまり二人は、一度別れて、またどこかで再会していた。その再会のタイミングが、ちょうどこの不動産の取得と重なる。

「登記間違い」ではなく「登記に思い出を込めた」、そうとしか思えない記録だった。

登記ミスは本当にただのミスだったのか

話を整理して、彼女に伝えると、彼女は少し涙をこぼした。「やっぱり、見つかっちゃいましたね」と呟いた。

彼女は元恋人と一緒に住んだ家を購入する際、彼の姓を使って書類を揃えたのだという。今となっては遠い話だが、どこかに記録を残したかったのだろう。

「やり直す気はなかった。でも、、、忘れたくなかった」と、書類をそっと閉じた。

旧姓と現姓をつなぐ細い糸

結局、訂正登記は進めた。だが、彼女の中ではたぶん、それは“終わり”ではなく“整理”だったのだろう。

旧姓から現姓、現住所から過去の思い出への線。それが、登記簿の中で赤い糸のように繋がっていた。

法務局はロマンの敵だが、たまにはこういう哀しい記録も保管しているのだ。

過去の住所地が示すもうひとつの事実

そして驚いたのは、元彼の住民票が先週、彼女の現住所に転送されていたこと。サトウさんが何気なく調べた郵便記録で分かった。

どうやら、またどこかですれ違ったらしい。まるで、登記簿がその再会を導いたかのようだった。

サトウさんは言った。「司法書士って、恋愛小説家みたいですね」と。いや、俺はただ、仕事をしてるだけだ。

すれ違った運命と司法書士の推理

こうしてまた一件落着、、、なのだが、気分は複雑だった。お互い想いを断ち切ったはずが、書類の中でまた結ばれるなんて。

俺の仕事は、過去をきれいに片付けることじゃなく、記録すること。時にそれは、本人ですら気づかない“縁”を写し取ってしまう。

「やれやれ、、、記録は記憶よりしつこいな」とつぶやいて、次の依頼に目を通す。だがふと気になって、ポストを確認してしまった。

偶然ではない依頼の理由

あの依頼、最初から俺の事務所を指定していた。市内には他にも司法書士はいるのに、なぜか。

それを思い出して、彼女の最初の言葉を反芻する。「あなたなら、ちゃんと気づいてくれると思って」。

、、、やれやれ。なんでそういうことだけは的中するんだよ。

赤い糸はどこに向かっていたのか

数日後、事務所に封筒が届いた。中には登記完了証と、短い手紙。「ありがとうございました。また、どこかで」とだけ。

その字は、少し震えていた。でも、優しかった。

赤い糸は、登記簿を通じて、また誰かの未来をつないでいくのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓