終わらせるまでは泣けない――仕事に感情を挟む余裕なんてない
登記の締切、電話対応、郵便物、補正…司法書士という仕事は“いつでも誰かが待っている”というプレッシャーの連続だ。感情なんて挟んでる暇がない。今日もまた「急ぎでお願いします」と頼まれて、こちらは昼飯を抜いて資料とにらめっこ。依頼人の感謝の言葉が届く前に、次の依頼が飛び込んでくる。気づけば自分の感情の居場所がないまま一日が終わる。
「急ぎでお願いします」に始まり「助かりました」で終わる日々
「急ぎでお願いします」という依頼、これが一日に3件以上重なると、もうどこに“急ぎ”を割り振ればいいのかわからなくなる。それでも何とか対応して、「助かりました」と言われるとホッとする。しかしその言葉が心に染みる前に、次の電話が鳴る。まるで工場のベルトコンベアのように、感謝すら流れていく。こちらが“終わった”と感じる暇もない。
こっちは常にギリギリ、でも見せる顔は「大丈夫です」
電話では笑顔、メールは丁寧。役所にも頭を下げて、依頼人の前では冷静を装う。だけど実際のところ、こっちはギリギリ。パソコンの前で5分放心することもある。事務員さんにも心配かけたくないから、つい「大丈夫ですよ」と笑ってしまう。でも内心では「ほんとは誰かに助けてって言いたい」と思っている。
泣きたい日ほど、感情を封じ込めて判子を押す
感情が揺れる日もある。誰かの言葉が心に刺さったり、自分の無力さに嫌気がさしたり。でも泣いてる暇はない。書類に不備があれば補正、確認、郵送…。目の前の処理をこなすことが「自分を保つ手段」になっている。判子を押すたびに、感情を心の奥に押し込んでいるような気がする。
役所と法務局の間で崩れるメンタルバランス
とくに登記の完了間際。役所に書類を取りに行って、法務局に提出。受理されるかどうかドキドキしながら待つ。ミスが見つかれば再提出、手数料、謝罪…この繰り返しが地味にメンタルを削ってくる。まるで「いつ崩れるかわからない塔」を自分で積み上げながら、バランスをとってるようなもの。崩れても誰も責めないけど、自分では責めてしまう。
「また補正か」って、正直なところうんざりする
補正通知を見るたびに、胃がキュッとなる。もちろん人間だからミスはする。でも、「またか…」という気持ちがどこかにある。補正を出した日は、自分が“できない人間”のように感じる。何年やってても、何百件こなしてても、たった一件の補正で自信が削がれる。そんなとき、そっと涙が浮かぶこともある。
終わった瞬間、静かに押し寄せる感情という名の波
仕事がすべて終わって、机の上を片付けて、最後のメールを送って…ようやくふっと気が抜ける瞬間がある。そのとき、張りつめていた感情が一気にあふれてくる。涙が出るわけじゃない。だけど、胸の奥がじんわり痛む。「ああ、今日もなんとか終わった」そんな気持ちに、ただただ包まれる。
「登記完了です」その言葉がくれる救いと虚しさ
法務局からの「登記完了しました」の通知。ホッとする一方で、なんとも言えない虚しさを感じる。達成感よりも、「これでまた一つ終わった」という空虚。誰かに褒めてもらいたいわけじゃない。ただ、ほんの少し「お疲れさま」と言ってほしいだけなのに、その言葉がないまま次の案件へ進んでいく。
一人事務所の夜、封筒を片付けながらため息をつく
夜の事務所は静かだ。蛍光灯の下、机に広げた書類を一つずつ封筒に入れながら、ため息をつく。誰もいない事務所で、時計の音だけが響く。何のためにやっているのか、わからなくなる夜もある。けれど辞めるわけにもいかない。「また明日もやるしかない」と自分に言い聞かせる。
泣けたら楽なのに、泣けない夜が続く
感情を押し込めることに慣れてしまうと、いざというときに泣けなくなる。泣いたらラクになれるかもしれない。でも、涙を流すスイッチがもうどこかに行ってしまったような感覚になる。疲れた夜ほど泣けなくて、ただ眠れない。頭の中はぐるぐる仕事のことばかり。結局、眠れぬまま朝を迎えてしまう。
誰にも弱音を吐けない職業の孤独
「先生」と呼ばれる立場は、時に孤独だ。相談されることはあっても、相談する相手はいない。弱音を見せるわけにもいかない。家に帰っても話し相手はいないし、同業者との飲み会なんて何年も行っていない。こういうとき、独身ってきついな…と思う。
事務員には言えない。お客さんにはもっと言えない
事務員さんには迷惑をかけたくないし、なるべく明るく接しているつもり。でも、心の中では「誰かに言いたい」と思うことがある。お客さん相手に弱音なんて吐けるわけがないし、かといって誰に言えばいいのかもわからない。結局、誰にも言えず、また一人で溜め込んでしまう。
「先生」って呼ばれても、自分の人生がうまくいってるとは限らない
「先生」と呼ばれると、ちゃんとしてなきゃと思う。でも本音を言えば、自分自身の人生が整っているかと聞かれたら、自信はない。仕事はしてる。でも幸せか?って聞かれたら言葉に詰まる。誰かの人生を手伝っているのに、自分の人生の登記はまだ終わっていない気がする。
それでも仕事は続く――だからせめて、終わったら泣いていい
明日も同じように仕事は続く。それは変えられない現実。でもだからこそ、せめて今日が終わったあとだけは、自分の気持ちに素直でいたい。「泣いてもいい」そう思える時間が、心を守るためには必要なんじゃないかと思う。
涙の行き場を持てたら、少しだけ次の日がマシになる
泣いたからって何かが変わるわけじゃない。けれど、感情にフタをし続けると、どこかでポキッと折れてしまう気がする。ほんの少しでもいい。誰かの前じゃなくていい。自分だけの場所で、静かに涙を流せたなら、明日がほんの少しマシになるかもしれない。
これは甘えじゃない。続けるための、ほんの小さな逃げ道
泣くことは甘えじゃない。むしろ、これだけ張り詰めてる日々を続けるための「必要な抜け道」だと思う。人は感情を消して働けるほど強くない。だから、終わったあとくらい、泣いてもいい。それがまた、次の日も“司法書士”を続けていくための力になる。