急な呼び出しでドタキャンばかり

急な呼び出しでドタキャンばかり

また今日も「急で申し訳ないんですが」

電話の着信音が鳴るたびに、胃がキュッとする。午前中に予定していた登記の準備を終えて、ようやく昼ご飯でも…と思った矢先、「急で申し訳ないんですが…」の一言。これはもう合図みたいなものだ。ああ、またか。そんな風に心の中でつぶやいて、予定をひとつキャンセルする。司法書士って、本当に予定が予定じゃないことが多い。「急ぎじゃないけど早めに」と言われた件も、気づけば「明日の午前中には」になっている。依頼主の都合で予定がひっくり返るのが当たり前になっていて、逆にこちらの都合を伝えるのが気まずくなるほどだ。

予定は未定、確定はキャンセル前提

「金曜日に行けたら行きます」「水曜までに連絡しますね」…そのまま来ない。司法書士をやっていると、こういった“ゆるい約束”の崩壊に慣れてしまう。確定したはずの面談が前日キャンセル。しかも理由は「他の予定が入ってしまったから」。いやいや、こちらにも準備があるんですけど?と言いたくなるが、言ったところで信頼は得られない。どこか「どうせ事務所で暇にしてるんでしょ?」という空気がにじんでくる。

せっかく空けた時間が無駄になる

たとえば、午前中まるまる空けていた面談がキャンセルされたとする。その時間に別件を入れようにも、直前すぎて調整がきかない。しかも、書類も準備していたし、前日に連絡を入れて「よろしくお願いします」と確認もした。それでもドタキャン。やる気をそがれるというか、なんというか、「やってられないな」と独りごちる。お昼を食べる気も失せる。

準備してた書類、誰が見るの?

事前に作っていた委任状や登記申請書、チェックリスト。誰の目にも触れず、机の上にぽつんと置かれたまま。再利用できればまだマシだが、大抵はその人にしか使えない内容で、結局は破棄。自分の時間だけじゃなく、準備した労力ごと「なかったこと」にされる。これが一番きつい。

キャンセルの裏にある「優先順位」

ドタキャンが繰り返されると、次第に気づいてくる。「あ、自分って優先順位低いんだな」と。緊急の事情なら仕方ない。でも、飲み会や美容院の予約が理由だと聞いた瞬間に、こちらの存在は“その程度”ということが透けて見える。悲しいけれど、これが現実だ。

自分はその程度なんだと毎回思う

「ごめん、急に予定入っちゃって」その言葉の裏にある“選ばれなかった感”が胸に重くのしかかる。私はただのサービス提供者で、会いたい相手ではない。必要な時だけ呼ばれる存在。そんな風に自分の価値を見失いそうになる。

でも、怒れない。仕事だし、人だし

どんなに傷ついても、こちらは司法書士であり、プロとして接しなければならない。怒りたい気持ちもあるけれど、そこをグッと飲み込むしかない。関係を壊したくないし、相手も悪気があるわけじゃない。そう言い聞かせる日々だ。

「司法書士って暇そうだよね」と言われて

お客さんや知人にたまに言われる。「司法書士って、普段はけっこう暇でしょ?」って。思わず笑ってごまかすが、内心では「こっちは書類の山で息してるのもギリギリなんですが…」とつぶやいている。予定が変則的だから、見た目には暇そうに見えるのだろう。でも実際は、キャンセルされた予定の調整や再調整、外出後の戻りで予定が詰まり、ひと息つく間もない。

忙しいのに予定が自由になると勘違いされる

「急で悪いんだけど、今日の午後とか空いてない?」そう言われるたび、自由な時間があると思われてるんだなと痛感する。実際は、書類整理や期限付きの案件、登記の進行状況のチェックでびっしり。スケジュール帳を見せたいくらいだ。

一人事務所だから調整のしようがない

事務員さんはいるが、外出や面談の調整は基本的に私一人。だからこそ、予定の管理はシビアになる。でも急なキャンセルや変更が入ると、一気に崩れる。誰も代わりがいないって、本当にしんどい。

「なんとかなるでしょ?」って何だ

「なんとかなるでしょ?」「フットワーク軽そうだし」…軽く言う人ほど、こちらの状況に無関心だ。確かにフットワークは鍛えられている。でもそれって、無理を続けて慣れただけ。毎日が綱渡りなんだ。

独身だからって、予定がないと思わないで

「結婚してないなら時間あるでしょ」これ、何気ない一言のようで地味にダメージが大きい。独身だって生活があるし、気を抜ける時間が必要だ。誰かの予定を優先するばかりじゃ、自分の人生を見失ってしまう。

土日も平日も、誰かの都合で動く人生

「土曜の午前中、急だけど頼める?」という電話が金曜の夜に来る。予定をキャンセルして対応する。でもその後、感謝の一言もない。やるせないが、断る勇気もない。気づけば、自分の時間は常に“誰かの保留”になっていた。

「家庭がないから融通きくでしょ」は暴力

この言葉、意外とよく言われる。でも、家庭がないからといって自由なわけではない。仕事に追われ、自由時間もなく、孤独と戦っている。融通なんて、きいてるようで削られてるのが現実だ。

自由じゃない自由の中で暮らしてる

独身=自由という幻想は捨ててほしい。むしろ、不自由を自分一人でどうにかしなきゃいけない分、責任は重い。休みも仕事も自己責任。誰も助けてはくれない。

「急にこれお願いできませんか?」の殺傷力

この言葉に何度やられてきただろうか。「急で悪いんですが…」という前置きのあとに来るお願い。対応はする。でも、そのたびに自分のタスクは後ろに追いやられる。断れない自分にも腹が立つ。

断れない性格が損をする

「困ってるなら力になりたい」と思う気持ちはある。でも、それで自分の仕事や生活が崩れていくのを見るのは辛い。断ればいいだけなのに、それができない。性格なんて、変えられるものじゃない。

優しさと弱さの境界線

優しいね、と言われるたびに「それって弱いってことだよな」と感じる。自分のことを後回しにしてまで他人に尽くすのは、もはや美徳じゃない。でもやめられない。多分、少しでも誰かに必要とされていたいのかもしれない。

「また頼っちゃってすみません」の魔力

この一言に、何度ほだされたか分からない。申し訳なさそうな声で頼まれると、「仕方ないなあ」と引き受けてしまう。あとで後悔するのに、また引き受けてしまう。このループから抜け出す術がわからない。

結局、時間の使い方が一番の悩みかもしれない

仕事が嫌なわけじゃない。誰かの役に立つ実感があるし、誇りもある。ただ、時間が自分のものじゃない感覚がつらい。予定はいつも他人によって左右され、キャンセルと再調整に追われる毎日。少しでも、自分の時間を自分のために使える日がくればいいのにと、静かに願っている。

仕事と人生の境目がどんどんなくなっていく

家にいてもスマホが鳴れば仕事が始まる。休日でも呼び出されれば即対応。もはやオンもオフもない。気づけば、人生そのものが「他人の都合」でできているような気さえしてくる。そんな自分を、時々見失いそうになる。

キャンセルされた時間、戻ってこない

「無駄になった時間」ではない、と言い聞かせる。でも、キャンセルされたその時間が、自分のための何かに使えていれば…と思うことはある。失ったものは、単なる時間だけじゃなく、自分の気力ややる気も含まれている。

「今しかない」がいつも他人のもの

「急いでるから今しかない」と言われて動くけど、その“今”はいつも相手のものだ。自分にとっての「今しかない」は、ずっと保留にされたまま。そろそろ、自分の“今”を取り戻す時かもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。