資格を取れば人生が変わると思っていた
資格を取るまでは、どこかで「これさえあれば人生うまくいく」と思っていた節がある。司法書士の資格は決して簡単なものではないし、それを乗り越えたという事実には確かに自信もある。でも、その自信が通用するのは“合格発表の日”までだった。その後の生活はまるで別物。資格を取ったという事実は、現実の泥臭さを美化してくれるものではなかった。少なくとも、僕が期待していた「未来を変える切符」ではなかったのだ。
勉強していた頃はまだ未来に希望があった
仕事を辞めて本腰を入れたあの頃、朝から晩まで机にかじりついていた。模試の点数に一喜一憂しながらも、「合格さえすれば人生は上向く」と信じて疑わなかった。勉強漬けの毎日だったが、不思議とそこには希望があった。今より未来がマシになると心から思えていたからこそ、頑張れた。あのときの自分に「その希望、ちょっと危ういよ」とは言えなかった。
合格した瞬間がピークだったのかもしれない
合格の通知を手にした瞬間、正直涙が出るほど嬉しかった。それまでの努力が報われたと思えたし、ようやくスタートラインに立てたと感じた。でも今振り返ると、あの瞬間が精神的なピークだったのかもしれない。その後は下り坂というほどではないにせよ、登る気力もどこかに置き忘れてしまった。資格が自分を引き上げてくれるという幻想が、現実にじわじわと打ち砕かれていくのを感じていた。
事務所を開業したはいいけれど
開業という言葉には華やかさがある。でも実態はそんなことはない。地方でひとり、看板を掲げたはいいが、すぐにお客が来るわけでもない。むしろ不安と孤独が押し寄せてきた。「俺は本当にやっていけるのか?」そんな問いがずっと頭の中で鳴り続けていた。商売のセンスなんてない元野球部の自分に、経営なんて務まるのか、開業してからずっと葛藤している。
独立したけど自由なんてなかった
独立すれば時間も働き方も自分で決められる、そう思っていた。でも現実はまったく違った。むしろすべてを自分で決めなければならない不自由さに押しつぶされそうになる。どこにも逃げ場がなく、すべて自分の判断次第。その責任の重さに、自由の“代償”がこれほど大きいとは思わなかった。会社員時代の「指示待ち」も、今となってはある種の気楽さだったんだと気づいた。
すべてが自己責任という重み
相談を受けて、書類を作って、登記をして、報酬をもらう。それだけの話なのに、ちょっとしたミスが大きなトラブルに繋がるのがこの仕事。誰のせいにもできないし、誰も守ってくれない。自己責任という言葉はよく聞くが、実際に一人で全部背負っていると、胃のあたりに常に重石を抱えているような感覚になる。寝ても冷めても、仕事が頭から離れない。
相談相手のいない毎日に疲弊する
会社にいれば上司も同僚もいる。愚痴をこぼせる相手もいれば、相談に乗ってくれる人もいる。でも一人で事務所をやっていると、話す相手すらいない。事務員の女性はいるが、気軽に弱音を吐ける関係でもない。気を遣わせたくない気持ちもあって、余計に抱え込む。たまに出かけたコンビニの店員さんと交わす「暑いですね」の一言が、唯一の人間らしい会話だったりする日もある。
資格で得たものと失ったもの
確かに資格で得たものもある。食いっぱぐれない程度の仕事はあるし、「先生」と呼ばれることもある。でも失ったものも確実にあった。たとえばプライベートの時間、人付き合い、そして気楽さ。資格を取ったことで、ある意味「一生この道で食っていけ」という無言の圧力に縛られてしまったのかもしれない。誇りと不自由が同居するこの感覚は、正直しんどい。
手に入れたのは肩書きと不安
司法書士という肩書きがついてから、周囲の見る目は変わった。でもそれが嬉しいかといえば、微妙だ。期待に応えなければというプレッシャーばかりが増えて、気楽に過ごすことが難しくなった。肩書きがある分、失敗も許されにくい。おまけに、売上が伸びなければただの「肩書き持ちの自営業者」に過ぎない。不安の種は、資格取得前よりもむしろ増えた気がする。
昔の友人との距離感が変わった
資格を取って独立したあたりから、昔の友人たちと少しずつ距離ができてしまった。みんなは会社員としてそれなりに楽しそうに生きていて、僕だけが「背負ってる」感じになった。誘いも減ったし、自分からも行きづらくなった。いつの間にか「相談される側」になり、同じ目線で話ができなくなった気がする。別に偉くなったわけでもないのに、どこか寂しい距離感が生まれてしまった。
毎日同じようなトラブルと向き合って
この仕事、意外と「定型的なトラブル」のオンパレードだ。相続でも不動産でも、揉め方や困りごとは似通っている。でもだからといって感情が削れないわけじゃない。むしろ毎回「人の人生」に向き合うので、心がすり減っていく。ルーチンに見えて、毎回が戦い。特に精神的な消耗は、想像以上に大きい。
依頼人の期待が重くのしかかる
「先生に頼めば安心です」と言われることもある。ありがたい言葉ではあるけれど、それがプレッシャーになる日もある。全員を満足させることなんて無理だし、結果が思わしくないと一気に評価が冷たくなる。こちらがどれだけ誠実に対応しても、「結果がすべて」と言われる現実に打ちのめされることもある。正直、心の中では「もうちょっと優しくしてほしい」と思う日も多い。
感謝よりも苦情が多い現実
やったことの評価って、感謝じゃなくて「文句」で返ってくることのほうが多い気がする。「こんなに早く仕上げてくれてありがとう」と言われた記憶より、「思ってたのと違う」と言われた記憶のほうがずっと鮮明に残っている。もちろんこちらの至らなさもある。でも、ちょっとした誤解や勘違いが大きなストレスになるのが、この仕事のしんどいところだ。
土日も気が抜けないプレッシャー
独立すると、カレンダー通りに休むなんて幻想になる。土曜日に電話がかかってきて、緊急対応を迫られることもある。日曜日も「登記の件で聞きたい」とメールが届く。スマホを見るたびに、少し気持ちがざわつく。オンとオフの切り替えができず、常に気を張っている感覚。リラックスという言葉がどんどん遠ざかっていく。
それでもやめない理由があるとすれば
こんなに愚痴をこぼしておいてなんだが、それでもこの仕事を続けているのは、たまに「やっててよかった」と思える瞬間があるからだ。依頼人の笑顔、感謝の一言、難題を解決できたときの達成感。それがすべてのしんどさを帳消しにしてくれるわけではないが、心に少し光を差してくれる。その光がある限り、なんとか踏ん張っていられる。
感謝の言葉がたまに心を救ってくれる
「先生にお願いして本当に良かったです」。そんな一言が、どれほど自分を救ってくれているか。大げさではなく、その一言のために今日も机に向かっているような気がする。報酬より、評価より、人間として認められた気がして、胸の奥がじんわりと温かくなる。数は少なくても、そういう瞬間があるからまだ自分を嫌いにならずに済んでいる。
過去の自分に負けたくない気持ち
ここまでやってきた自分を、無駄にはしたくない。あれだけ時間と労力を費やして資格を取ったあの日の自分に、「無駄だった」なんて言いたくない。それが続けている大きな理由の一つかもしれない。逃げたくなる日もある。でも、諦めない限りは、自分の選択が正解になる可能性は残っていると思いたい。
同じように悩んでいる司法書士さんへ
もしこれを読んでいる司法書士さんがいたら、あなたに伝えたい。あなたは一人じゃない。僕も毎日悩んでるし、愚痴ばかりこぼしてる。でも、そんな日々でもなんとか生きている。同じように孤独や不安と向き合っているなら、少しでも共感してもらえたら嬉しい。
みんな本音は口に出せていないだけ
世の中には「うまくいってる風」の人が多い。でも実際のところ、本音はみんな口に出せていないだけだと思う。弱音を吐いたら負けだと思っている人もいるし、格好悪いと思っている人もいる。僕もその一人だった。でもこうして文章にしてみると、少し気が楽になる。もっと気楽に吐き出してもいいんじゃないかと思う。
理想と現実のギャップは誰にでもある
資格を取った当初の理想と、今の現実のギャップは確かにある。でもそれは僕だけじゃないと思う。たぶん、どんな職業にもあることだし、どんな人にもあることだ。だからこそ、そのギャップに苦しむことは、恥ずかしいことじゃない。むしろ「よくやってるよな」と、自分をちょっと褒めてあげてもいいんじゃないか。
悩むことは逃げではないと伝えたい
「もうやめたい」「向いてないかも」「なんでこの道を選んだんだろう」…そんな悩みは、誰にでもある。悩むことは逃げじゃない。ちゃんと向き合っている証拠だ。僕は悩みながらも、愚痴をこぼしながらも、今日も事務所に座っている。それでいいと思っている。少なくとも今は。