苦手をごまかす毎日はなぜこんなに疲れるのか
苦手なことって、できるだけ見せたくないですよね。司法書士という肩書がついている以上、なんでもできて当たり前と思われがちです。お客さんにも、関係者にも、ましてや一緒に働く事務員さんにも、「先生なのにそんなことも?」と思われたくない。だからこそ、苦手な作業ほど必死で取り繕ってしまう。でもその努力、実はものすごく消耗するんです。何もしていないように見えて、心の中では常に演技モード。そんな毎日を過ごしていると、ふと「俺、何やってんだろう」って、無性に疲れる夜があるんです。
司法書士だって完璧じゃない
司法書士だって一人の人間です。苦手なこともあります。僕の場合は、たとえば人前で話すのがあまり得意ではありません。なのに、講師として話を頼まれることが増えてきて、断ることもできずに「やります」と引き受けてしまう。事前に台本を作って、頭の中で練習して、いざ本番となると汗だく。終わると「上手に話されますね」なんて言われるんですが、それはもう、ただの必死の努力の結果であって、本当は内心パニック状態です。
誰にも見せない冷や汗の正体
この冷や汗の正体、実は“バレるかもしれない”という恐怖なんです。「実はこの人、苦手なんじゃないの?」なんて思われたくない。ましてや、それが仕事の依頼に影響したらどうしよう、なんて不安もつきまとう。そんなふうに思いながら対応していると、ひとつひとつの作業が緊張の連続になります。ちょっとした問い合わせの電話一本でも、実は頭の中で猛スピードで答えを探していたりして、電話を切ったあとにぐったりしてしまう。そんな自分が、少し情けなくなるときもあります。
「わかってますよ顔」で乗り切るスキル
たとえば、登記のオンライン申請に関して「この設定でいける?」と聞かれたとき、正直ちょっと怪しい。でも「たぶん合ってるはず」と思いながら「はい、大丈夫です」と即答してしまう自分がいるんです。もちろん裏でこっそり確認したりしますよ。でもあの「わかってる風」を装う瞬間って、かなりのスキルと精神力が必要で、なかなかに疲れるんです。あとで事務員さんが「なんで最初に確認しなかったんですか」とあきれ顔をすることもありますが、そのときはもう、「バレたか…」と心の中で肩を落とします。
バレないように頑張る自分が好きになれない
できないことをごまかして乗り切る。確かにその場はうまく回ることもあるけど、終わったあとに虚しさが残るんですよね。「本当にこれで良かったんだろうか」「あれで信頼を失ってないかな」って、自己嫌悪のループに入ってしまう。そういう自分を好きになれない。だからまた、「次こそは完璧にこなそう」と張り詰める。その繰り返しが、疲労感をどんどん積み上げていくんです。
苦手を隠すのは自己防衛か自己否定か
ふと我に返ると、自分は誰に対して何を守ろうとしてるんだろう?と疑問に思います。おそらく、バカにされたくない、信頼を失いたくない、という防衛反応。でもその裏には「できない自分=価値がない」と思ってしまう自己否定があるのかもしれません。特に司法書士のような“専門家”としての立場にあると、ちょっとしたミスや知識不足すら「終わりだ」と思いがち。だからこそ、余計に弱みを見せられない。だけどその隠す努力が、自分をどんどん苦しめていたりします。
演じている自分に酔えないつらさ
「プロっぽい振る舞いができている自分」に満足できればいいんですが、僕の場合は逆です。「こんな自分、嘘だ」と感じてしまう。昔、野球部だったころ、打てないくせに「4番顔」して打席に立っていた時期がありました。でも内心ビビってるから当然打てない。その感覚に似ているかもしれません。演じることに慣れても、どこかで「これじゃダメだ」と思いながらやっていると、自分自身に対してどんどん自信がなくなっていくんです。
見せかけの自信は本物にならない
周囲に「堂々としてますね」と言われても、自分の中ではいつも「バレてないだけ」という不安がある。たしかに“自信があるように見せる”のは大切かもしれません。でも、それが積み重なっても、本当の自信にはつながらない。むしろ“偽物の自信”ばかりが育っていくと、いつか崩れたときに立ち直れないんじゃないかと怖くなります。だからこそ、最近は「苦手なことは苦手だ」と、少しずつでも言えるようになりたいと思うようになりました。
バレたら終わりという幻想
実はある日、登記の手続きで凡ミスをやらかしたことがあります。急いで処理をしていたのが原因でした。事務員に気づかれたときはもう、顔面蒼白でした。でも、意外なことに彼女は「あ、これは仕方ないですね。次回から気をつけましょう」とあっさり。思っていたほど責められることもなく、逆に救われた気がしました。バレたら終わり、なんて思ってたけど、それって自分の思い込みだったのかもしれません。
実際にバレたときの反応とその後
バレることで信頼を失うのが怖かった。でも現実は、むしろそのときの対応が大事だったんですよね。素直に謝って、真摯に対処すれば、人はそれを見てくれる。逆に、「取り繕ってごまかしたまま」のほうが信頼を失うのかもしれません。ミスをしたことそのものよりも、どう対処したかを見られている。そう気づいたとき、ちょっとだけ肩の力が抜けた気がしました。
想像よりも他人は冷たくなかった
人って、そんなに他人の弱さを責め立てたりしないんですよね。少なくとも僕のまわりでは、ミスをした人を見下すような人は少数派でした。それよりも、「あ、この人も人間なんだ」と感じて、逆に親近感を持たれることすらある。そう思えるようになってからは、完璧でいようとすることよりも、誠実であろうとすることを意識するようになりました。
むしろ笑ってもらえたことに救われた
この前なんて、「先生、あの書類、逆に綴じてましたよ」と笑いながら言われて、「あーやっちゃったなー」と一緒に笑いました。たぶん昔の自分だったら、顔を真っ赤にして言い訳してたと思います。でも今は、そういうミスも“人間らしさ”として受け入れてもらえるなら、それでいいのかなと。ちょっとだけ、苦手をごまかさない生き方にシフトしてみようかな、と思ったりしています。
苦手と向き合うことで変わったこと
最近は、事務員とのやりとりも少し柔らかくなりました。以前は「先生っぽくしなきゃ」と思って、ちょっと威圧的なところもあったと思います。でも今は「ここ、よくわかってないんだけど、ちょっと見てもらっていい?」と素直に言えるようになってきました。すると、相手もちゃんと助けてくれるし、お互いの信頼感も深まるんですよね。苦手なことを隠すより、頼れる人を信じることの方が、何倍も楽だということを、ようやく実感しています。