謎の依頼人が訪ねてきた朝
その朝、俺は事務所の掃除機の音で目を覚ました。いや、正確にはサトウさんが無言で掃除機をこちらに向けて突撃してきた音で、だ。もう少しだけ寝ていたかったが、それは叶わなかった。
そこへ現れたのが、背広を着た中年の男だった。顔に薄く笑みを浮かべてはいたが、目は泳いでいた。何かを隠している、そういう目だった。
男は分厚い封筒から一枚の登記簿謄本を差し出し、「この家の登記、何かおかしくないでしょうか」と言った。
男が持参した古びた登記簿
登記簿は平成初期のもので、現在の所有者名義が記載されていた。しかし、妙だったのは、その前後の名義人が極端に短い期間で変わっていることだった。
まるで、何かを隠すように、数カ月おきに所有権が移転していた。普通はそんな頻度で家を売買しない。
「相続ですか?それとも贈与?」と俺が聞くと、男は目をそらした。どうやらそこに、鍵がありそうだった。
サトウさんの冷静な観察眼が光る
「この住所、地番と実際の家屋番号が違いますね」とサトウさんが即座に指摘する。俺はその時点でまだぼんやりしていた。
「あれ?本当だな……」とつぶやく俺に、彼女はいつもの塩対応で返す。「司法書士でしょ?」
やれやれ、、、朝から容赦ない。だが、確かに彼女の観察は鋭かった。登記簿の地番と、実際の住所にはズレがあったのだ。
登記簿に残された不可解な記録
法務局から追加で取り寄せた資料には、所有権移転の理由が「売買」ではなく「贈与」になっているものがあった。
しかもその贈与は、同姓同名の人物から別の同姓同名の人物へという奇妙な内容だった。まるで、名義だけを操作するための細工のようだ。
俺は昔読んだ『金田一少年の事件簿』を思い出した。偽名や二重生活が絡んだあの事件に、どこか通じるものがあった。
所有者の名義が三度変わった理由
書類上では、すべてが合法のように見える。だがそれは、「書類上は」だ。現実には住人の姿が見えない。
「この家に、今誰か住んでいるんですか?」と聞くと、男は言葉を濁した。なぜか、はっきりと答えようとしない。
それどころか、「夜になると、勝手に電気がつくことがあるんです」と、都市伝説めいたことを言い出した。
売買契約書に記された矛盾
見せてもらった過去の売買契約書には、買主の署名欄が消えかけていた。ボールペンのインクが、まるで最初から薄かったかのように。
契約書としては成立しているが、どこか不自然だ。まるで、誰かがそれを証拠に使うことを前提に、意図的に「不備のある形」で残したような違和感があった。
俺の中で、違和感が徐々に確信に変わり始めた。
古地図と照らして見える過去の構造
市役所の資料室で見つけた昭和の住宅地図には、現在の建物とは異なる間取りの家が描かれていた。
特に妙だったのが、現在の家には存在するはずの一室が、地図上には描かれていなかった点だった。
「増築ですね」とサトウさんがあっさり言う。「でも、登記されてない増築ってことは、なにか隠したいものがあったんでしょうね」
なぜ増築された部屋だけが登記されていないのか
調べてみると、その増築部分には窓がなく、外から見ると壁が不自然に盛り上がっている。
「隠し部屋ってこと?」と俺が聞くと、サトウさんはため息交じりに「刑事ドラマじゃあるまいし」と言ったが、少しだけ目が輝いていた。
そう、俺たちはまさに『相棒』の右京さんと亀山君みたいな気分だった。
かつての住人と語られる都市伝説
隣人の老婆が言うには、「あの家からは昔、女の人の悲鳴がよく聞こえてたんですよ」とのことだった。
一度は警察沙汰にもなったが、調査の結果、何も問題は見つからなかったらしい。
問題が「見つからなかった」ではなく、「見つけなかった」のではないか。俺の中に、そんな疑念が芽生えた。
家族の記録が一部抹消されていた
戸籍を辿ると、かつてこの家に住んでいた家族の一人が、死亡記録が無いまま消えていた。
失踪扱いにもなっていない。転出届もない。行政上、「存在しなくなっていた」。
それはすなわち、「居たことが無かったことにされた」ということだ。
司法書士としての違和感と勘
俺は、土地と建物の権利関係に強い司法書士だが、こんな奇妙なケースは初めてだった。
書類は整っているが、何かが違う。すべての手続きが完璧すぎる。その完璧さが、逆に不自然だった。
「誰かが、最初からこうなるように設計していたんじゃないか」と、思えて仕方なかった。
権利証が指し示す別の所有者
権利証のコピーには、過去に一度だけ登記されていた「第三者」の名義があった。しかしその後、なぜか抹消されていた。
理由は「登記原因証明書の不備」。だが、同時に提出された申請書は正しく、添付書類も整っていた。
つまり、それを「不備」としたのは、誰かの意図だった。
法務局で見つけた一枚の補正記録
俺たちは最後の手がかりとして、法務局の補正記録を洗った。そして、ある一枚の補正申出書に目を奪われた。
そこには、すでに亡くなっているはずの人物の筆跡があったのだ。しかも日付は、死亡後のもの。
これは、偽装だ。そう確信した。
訂正印の主が語った過去の事情
元々の家主の兄だという老人を訪ねると、彼は重い口を開いた。「あれはな、弟の奥さんが……」
彼の話は、家族内での密かな軋轢と、失踪した女性の存在を証明するものだった。実際には、亡くなっていた。
だが、それを認めれば、ある人物が法的に不利になる。だから家族ぐるみで隠された。それが、真相だった。
サトウさんが突き止めた登記外の真実
サトウさんは、役所の古い収納庫に残された過去の「家屋調査報告書」から、実際の間取り図と矛盾を見つけ出した。
そこに記された一行、「非公開区域あり」。それが、隠し部屋の存在を裏付けていた。
そしてそこに、かつての「住人」が、最後にいたのだ。
暴かれる偽装登記とすり替えの手口
全てを解明し、俺たちは静かに調査報告書を作成した。法的には微妙な線だが、不動産登記の補正と、申請者の意図を説明すれば、再登記は可能だ。
何よりも、その家の「真の姿」を知った俺たちにとって、これは義務だった。
そして依頼人が隠していたのは、自らがその「家族の一員」だったことだった。
静かに終わる調査と決着
俺たちは、家の名義を依頼人のものに戻す申請書を提出した。登記手続きそのものは問題なく完了した。
けれど、その家にはもう誰も住むことはないだろう。依頼人も、ただ「真実を知りたかっただけ」と言った。
俺たちの仕事は、そういう時に静かに終わる。
事務所に戻ってきた夜
「……疲れましたね」と俺がこぼすと、サトウさんは黙って缶コーヒーを差し出してきた。
「甘いやつしか残ってませんよ」と、いつもの塩対応。だが、少しだけ角が取れていたような気もする。
「やれやれ、、、これがあるから、この仕事はやめられないんだよな」と、独りごちた。