奇妙な依頼のはじまり
午前十時。事務所のドアが開いた音に、サトウさんが目も合わせず「どうぞ」とだけ言った。中に入ってきたのは、スーツ姿の中年男性。名刺には「不動産会社専務取締役」と書かれていた。
彼の依頼は、三年前に所有権移転の手続きをしたはずの土地について、「いまだに所有者が旧名義人のままになっている」というものだった。まさか登記漏れか? いや、そんな単純な話ではなかった。
午前十時の来訪者
「これはウチの取引先の土地でしてね。買主が登記を済ませたと報告してたんですが、最近その土地を売ろうとして気づいたんです。まだ前の名義のままだって」
男の額には汗がにじんでいた。夏でもないのに、背筋に妙な汗が流れる。こりゃ、ただの登記漏れじゃない。サトウさんと目を合わせると、彼女はわずかに眉をひそめた。
仮登記簿に残された名前
法務局で登記簿を確認した。そこには、仮登記の記録だけが残っていた。本登記にはなっていない。しかも仮登記の原因が「所有権移転請求権保全の仮登記」。
これはつまり、売買契約はあったが、買主がその権利を確保するために仮登記をしたということだ。だが、なぜその後本登記されていない? 契約が不成立になったのか、それとも――。
謎を呼ぶ土地取引
依頼人が見せてきた契約書には、確かに売主と買主の署名があり、手付金の授受も明記されていた。印鑑証明も添付済みだ。にもかかわらず、なぜ仮登記止まりなのか。
この違和感に気づけるかどうかが、司法書士の腕の見せ所。……と言いたいところだが、正直言って、やれやれ、、、妙に嫌な予感しかしない。
サトウさんの冷静な推理
「シンドウさん、この契約書、売主の印鑑証明、日付が妙に新しくありませんか? 契約日より数ヶ月後ですよ」
サトウさんが何気なく言った一言が、事態の核心を突いた。確かにおかしい。通常は契約と同時期の印鑑証明を添付するものだ。これが意味するのは、契約書が後から作られた可能性だ。
三年前の売買契約書
依頼人は「三年前に契約した」と言っていたが、その証明は契約書だけだった。売主に連絡を取ると、「そんな契約は知らない」と言い放った。となると、契約書は偽造されたものなのか。
こうなってくると、これは完全に刑事事件だ。土地をだまし取ろうとして、仮登記だけをしておいたのかもしれない。だが、何のために?
消えた登記申請書の謎
依頼人が「登記申請も済ませたはず」と主張するならば、その申請書はどこに行ったのか。通常、申請書が法務局に出されれば何らかの記録が残る。
そこで、旧知の法務局担当者に聞いてみると、「その地番の申請は出ていませんでした」との回答だった。やはり、提出されていない。
司法書士会に残る記録
司法書士会に問い合わせると、依頼人がかつて他の司法書士に相談していた記録が残っていた。その司法書士はすでに廃業していたが、わずかな記録が残っていた。
どうやら仮登記までの手続きを依頼されており、本登記については依頼されていなかったようだ。となると、依頼人が「登記した」と言っていたのは嘘だった可能性がある。
証拠を握る法務局の担当者
件の法務局職員が口を開いた。「あの仮登記、提出時にちょっとした騒ぎがありましてね。身分証の確認で揉めた記憶がありますよ」
話を詳しく聞くと、依頼人が別人の代理で申請に来たが、委任状の内容に不備があったという。それでも何とか通してもらったらしい。グレーというか、ほぼアウトな話だ。
うっかりと直感と
事務所に戻ると、サトウさんが一言。「シンドウさん、あの契約書の用紙、最新の様式ですよ。三年前のじゃありません」
……完全に見落としていた。やれやれ、、、自分の観察眼のなさに愕然とする。けれど、決定的な証拠をサトウさんが見つけてくれた。
旧友との再会
ふと思い出して、昔一緒に登記の研修を受けた司法書士に連絡してみた。彼は笑いながら言った。「あの会社、何回か似たようなトラブル起こしてるぞ」
まさかの常習犯。今回は仮登記止まりだったから被害が少なかったものの、本登記までされていたらと思うとゾッとする。
やれやれの一杯のコーヒー
自販機の缶コーヒーを開けて、ひと息つく。いつもの苦味が、妙に心にしみた。サザエさんの波平みたいに、「バカモン!」と叫びたい気分だ。
だが今は、静かにこの一件をまとめて、被害を最小限にとどめることに集中しよう。
法の網をすり抜ける者
この依頼人、法のギリギリを狙っていた。仮登記まで持ち込めば、あとは時間が解決する――そんな甘い考えだったのだろう。
しかし、司法書士の目はごまかせない。……いや、サトウさんの目がごまかせない、が正しいか。
元所有者の証言
元所有者は、今回の件でかなり憤っていた。「あんな奴に土地を取られたら、先祖に申し訳が立たない」と、すぐに弁護士を立てると言い出した。
当然だろう。これは詐欺未遂とも言える内容だ。
一筆の覚書に潜む罠
さらに見つかったのは、買主が作ったとされる覚書。そこには「登記は買主の判断で行うこと」と記載されていた。
これは売主にとって極めて不利な内容だ。だが、この覚書自体の有効性が怪しい。日付も、署名も、怪しい箇所がいくつもある。
仮登記が語る過去
結局、この仮登記は無効とされ、申請も抹消される方向となった。元所有者の名誉も守られた。法の網は思ったよりも強く、そして深かった。
私はほっと息をついた。やれやれ、、、
謎の司法書士の名義人
申請書に添付されていた司法書士の記名は、実在しない人物のものだった。調べてみると、廃業した司法書士の名を少し変えた偽名だった。
まるで漫画の怪盗が変装しているかのようだ。これはもう探偵漫画というより、喜劇だ。
登記簿に記された虚偽
こうして登記簿から虚偽の記録が消され、元の状態に戻った。だが、ここに至るまでの苦労は計り知れない。
やっぱり、世の中には“仮”のままがちょうどいいこともあるのかもしれない。
真相へのカウントダウン
全てのパズルのピースが揃いはじめたとき、私はすでに疲れ切っていた。が、ここまで来ればあと少し。
この事件の結末を記録に残し、同じようなトラブルが二度と起きないようにしたい。
サトウさんの一手
「あとは、警察に提出する書類を整えてください。シンドウさん、間違えないでくださいよ」
サトウさんが冷静に言った。彼女の書類整理力には毎度ながら脱帽だ。まるで名探偵コナンの灰原みたいに、淡々としている。
不自然な登記の時系列
全ての書類の時系列を時系列表にして並べてみると、確かに矛盾が浮き彫りになる。仮登記前に行われたはずの契約書の作成日が、実はその後になっているのだ。
ここまで来れば、あとは提出して終わりだ。
真犯人との対峙
最後に依頼人と話すことになった。彼は「バレるとは思わなかった」と呟いた。まるで自分が怪盗ルパンにでもなったつもりだったのか。
現実はもっとシビアだ。これは犯罪であり、許されない行為なのだ。
所有権移転の意図
彼の動機は単純だった。「地価が上がると思って早めに押さえておきたかった」とのこと。だから偽の契約書を作り、仮登記にこぎつけた。
だが、それが許されるはずがない。法を甘く見ていたのだ。
語られなかった動機
彼はもう一つの理由を口にした。「親父がその土地を欲しがってたんです。死ぬ前にどうしても……」
情に訴えるような言葉ではあったが、罪は罪だ。裁かれるべきことに変わりはない。
登記簿に戻った真実
数日後、法務局から正式に仮登記抹消の連絡があった。元所有者も安堵の表情を浮かべていた。
正しさが記録された登記簿。それこそが、私たち司法書士の守るべきものだ。
土地の行方と責任
土地は予定通り売却され、正当な手続きで新しい所有者のもとに渡った。元所有者の意志も報われたのだ。
あの依頼人は、詐欺未遂で書類送検された。
沈黙を破った最後の証言
最後に、かつての司法書士仲間からメールが届いた。「ああいう奴、時々いるんだよな。油断したらやられる」
彼の言葉に、私はただうなずいた。やれやれ、、、世の中、登記簿だけじゃ片付かないことだらけだ。
そして事務所の日常へ
コーヒーの湯気が立ち上る事務所で、私は机に向かって書類を整理していた。事件は終わった。だが仕事は、終わらない。
サトウさんは黙々とスキャナを操作している。彼女の手は止まらない。
ネガティブは今日も通常運転
「ふう……結局また俺が損な役回りだな……」と小声でつぶやくと、「いつものことですね」とサトウさんが返した。
ちょっとだけ泣きそうになったのは内緒だ。
サトウさんの塩対応は変わらず
「コーヒー、濃いめにしておきました。眠くなってまた何か見落とされると困るんで」
……やれやれ、、、これが俺の日常だ。