登記は完了するのに恋は未完のまま

登記は完了するのに恋は未完のまま

登記はスムーズにいくのに恋だけは詰まる理由

不動産登記なら、書類を整えて期日を守れば基本的に完了する。ミスは許されないが、手続きには正解がある。でも、恋の駆け引きにはその「正解」がない。どれだけ誠実に想っても、どれだけタイミングを見計らっても、結果がついてくるとは限らない。登記はロジックで完了するが、恋は感情が揺れる。私は今、登記の申請を終えて帰ってきたばかりの事務所で、ふとまた彼女のSNSを覗いてしまった。既読もつかない画面を前に、完了通知のような安心感が恋にはないことを痛感する。

業務では段取り上手でもプライベートでは空回り

昔から段取りが得意だった。学生時代の野球部でも、先回りしてボールを処理するタイプ。今も仕事では、依頼主の要望を聞いて、漏れなく進めるのが得意だ。でも、恋愛になると話は別。数年前、思い切って食事に誘った女性がいた。彼女の好みを事前に調べ、予約も完璧、会話の話題も練っておいた。ところが実際は、盛り上がりに欠け、気まずい空気に。仕事でなら「次にどう出るか」が読めるのに、相手の気持ちは読めない。あの夜の空回りが、今でも記憶に残っている。

登記申請書は通るのにLINEの返信は来ない

登記申請書を法務局に出すと、補正がない限り数日で結果が返ってくる。この安心感が恋にもあれば、どんなに気が楽か。好きな人に送ったLINEが既読にならない。既読にはなっても返信がない。そんな不安定さに、どう対処していいかわからない。以前、ほんの少し勇気を出して送った「お疲れさま、また話せたら嬉しいです」というメッセージ。返事はなかった。登記のように「補正依頼」が来てくれれば直しようもあるのに、恋は音もなく消えていく。

思い切った申請と小心者の告白

法務局に書類を提出する時は、それなりの緊張がある。でも経験が後押ししてくれる。ところが、想いを伝えるときの緊張はまるで別物だ。ある女性に、手紙を書くという形で想いを伝えたことがある。今どき手紙なんて古風すぎるかもしれないが、LINEよりもまっすぐ伝えられる気がした。でも、返ってきたのは「ありがとう、でもそういう気持ちにはなれない」という優しい断りだった。書面上は完璧だったのに、想いの「審査」は通らなかった。

司法書士という職業と恋愛の相性の悪さ

司法書士という仕事は信頼第一で、慎重さや誠実さが求められる。だが、それがそのまま恋愛に活きるかといえば微妙だ。正直なところ、慎重すぎてチャンスを逃してきたことのほうが多い。相手の気持ちを推し量りすぎて、声をかけられずに終わるパターン。仕事ではそれが「丁寧」と評価されるが、恋では「煮え切らない人」と見なされる。悲しいが、これは現実だ。

平日は忙殺土日は疲労これでどうやって出会うのか

平日は朝から夕方まで登記の準備、合間に相談対応、郵送のチェック。ようやく一息つくころにはもう夜。土日は疲れて寝て終わる。これが現実だ。婚活パーティーなんて行く気力が湧かないし、マッチングアプリを開く気にもなれない。そもそも「趣味は登記です」なんて書けない。こんな毎日でどうやって出会えというのか。昔の同級生はもう家庭を持っている。たまに年賀状が届くたび、取り残されたような気持ちになる。

人の縁をつなぐ仕事なのに自分の縁は結べない

相続や売買で人と人との権利をつなぐのが仕事だ。「先生のおかげで助かりました」と言われることもある。でも、気づけば自分の縁はどこにも結ばれていない。まるで「他人の幸せの黒子」みたいな存在。仕事には誇りがあるし、責任も感じている。でも、たまにふと思う。「俺は誰に登録されてるんだろう」と。登記簿に名前は残るけれど、誰の記憶にも残っていない気がして、時々胸が締めつけられる。

事務員とのやりとりはスムーズでも恋愛はうまくいかない

唯一の事務員さんとは、日々のやりとりがとてもスムーズだ。お互いの動きを読み合って、無駄のない業務ができている。でも、これは「恋」ではない。あくまで「仕事の信頼関係」だ。恋愛はこうはいかない。ちょっとした言葉のニュアンス、表情の違いで、大きく流れが変わる。仕事のように「次の手順」が見えてこないのが苦しい。時に「好きになってしまいそう」と錯覚する瞬間もあるが、それは疲れた心の錯覚だと自分に言い聞かせる。

絶妙な距離感は仕事向き恋愛向きではない

事務所での関係性は、「ちょうどいい距離感」を保つのが鉄則。踏み込みすぎればトラブルになるし、遠すぎれば連携が崩れる。その感覚が身についているせいか、恋愛でもなかなか踏み込めない。「好かれたい」よりも「嫌われたくない」が勝ってしまう。そうして何も起こらないまま、また一人静かに夜が過ぎていく。「あの人、いい人なんだけどね」で終わる人生のレールが、うっすらと見えてきてしまっている。

元野球部なのに積極性が生かされない恋模様

高校時代、野球部で4番を打っていた。泥まみれで走り回り、勝負に燃えていた自分。あの頃の「いけると思ったら振り抜く」感覚が、今の自分にはない。どうしてこうなったのか。年齢のせいだけではない。きっと「傷つくのが怖い」という気持ちが大きくなりすぎたんだと思う。打席にすら立てない恋。それは、どんな三振よりも悔しい。

昔はサインを読めたのに今は気持ちのサインに気づけない

野球の試合中、監督のサインはすぐに読めた。盗塁、エンドラン、バント。反応も早かった。でも、今の私は、人の気持ちのサインが読めない。笑顔の裏にある本音や、沈黙に込められた意味がわからない。以前、ある女性が「〇〇さんって忙しそうですね」と言ってきたとき、私は「そうなんですよ」とだけ返した。それが「もっと話したい」というサインだったかもしれないのに。今なら、そう思える。

恋愛における強気と弱気の配分ミス

仕事では「ここは押す」「ここは引く」の判断ができるのに、恋になると極端になる。強く出すぎて引かれるか、何も言えずに終わるか。そのバランスが取れない。ある女性と2回目の食事をした時、本当は次の約束をしたかった。でも、「またタイミングがあれば」と濁した。強く出る勇気がなかった。その後、連絡は途絶えた。あの一言が言えていたら。人生は「また次」がないと痛感する。

恋も仕事も思い通りにいかない夜

仕事が忙しくて、誰とも話せないまま一日が終わる。登記完了の通知が届くと、ひとまず安心する。でもその後、スマホの通知が鳴ることはない。誰かからの「お疲れさま」もない。ふとした瞬間に、自分が透明になったような気分になる。今日もまた、静かな夜が始まる。

登記完了の通知が届くたびにふと思うこと

完了通知のメールが届くと、「仕事が一区切りついたな」と思う。だけどそのたびに、「これだけ頑張ってるのに、なんで俺は独りなんだろう」とも思う。誰かと喜びを分かち合うこともなく、ただ一人で実績が積み上がっていく。それがむなしい夜もある。仕事は好きだ。だからこそ、時折感じるこの空虚さが余計に身に染みる。

もしもあの時もう一歩踏み込めていたら

後悔とは、いつも少しだけ足りなかった自分を責める感情だと思う。あの時、もう少し話しかけていたら。もう一歩勇気を出していたら。きっと結果は違っていたかもしれない。でも、そんな「もしも」を積み重ねても現実は変わらない。それでも、今日もまた、誰かに想いを寄せてしまう自分がいる。登記は完了しても、恋は未完のまま。それでも、きっとまた誰かに会いたくなる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。