午前九時の違和感
依頼者は突然に
事務所のドアが勢いよく開いたのは、いつもの書類山と格闘していた最中だった。 男は年の頃六十前後、手に分厚い封筒を抱えていた。無言でイスに座り、封筒を差し出す。 中身は登記簿謄本の束と、古い抵当権設定契約書。そこに「死んだはずの男」の名前があった。
古びた登記簿の記録
登記簿には、昭和の香りがまだ色濃く残っていた。筆文字のような書体、鉛筆で書き足されたメモ。 だが注目すべきは、抵当権の抹消がされていない点だった。しかも債務者はすでに十年前に死亡。 それにも関わらず、担保権者から先週、弁済の請求書が届いたという。
サトウさんの鋭い視線
休眠担保権という伏兵
「たまにありますよ、こういう眠ってた担保権が急に動き出すケース」 サトウさんは書類をぱらぱらとめくりながら、眉間に皺を寄せる。 「でもこれは、ただの休眠じゃない。起こされたんですよ、誰かに」
妙に多い不動産取引
対象の土地は、この十年で五回も名義が変わっていた。明らかに不自然だ。 一度も住宅が建たず、開発もされないのに、なぜか売買だけが繰り返されている。 サザエさんの波平さんの髪の毛くらい、意味の分からない動きだ。
不審な抵当権者の影
債務者はすでに故人
戸籍謄本で確認したところ、債務者は平成二十七年に死亡していた。 しかし担保権者の記録は生きており、郵送先も変更されていた。 幽霊が請求書を出す時代になったのか、それとも誰かが“演じて”いるのか。
紙の上に残る不自然な名前
送付された請求書の差出人名は、「田島源三」。これは確かに担保権者の名と一致している。 しかし調査を進めると、この名前は他にも複数の不動産に同じ形式で現れていた。 そして、全ての土地で不審な事故や所有者の急死があった。
午後の市役所での遭遇
登記情報のズレ
市役所の登記資料閲覧室。私は地図と地番情報を照合しながら、違和感に気づいた。 登記簿には存在しないはずの別筆が、実地にはしっかり存在していたのだ。 その土地だけ、妙に整備され、フェンスまで新しかった。
土地家屋調査士の曖昧な証言
調査士に話を聞くと、「十年前に測量はしたが、名義は触っていない」と歯切れが悪い。 しかし図面には調査士の印鑑と、田島源三の署名がしっかりとあった。 「まあ、記憶が曖昧でしてね」と男は笑ったが、目が笑っていなかった。
シンドウの独り言と愚痴
やれやれ、、、また厄介な話だ
「やれやれ、、、こっちは登記簿とコーヒーで手一杯だってのに」 ぼやきながらも、私はペンを握っていた。紙の上の不自然さが、すでに答えを物語っている。 誰かが、わざと抹消しなかった。証拠を残したまま、時間に埋もれさせるために。
でも放っておけない性分
元野球部はこういう勝負勘にはうるさい。 この抵当権は、間違いなく誰かの死を利用して金を動かしている。 私は警察ではないが、司法書士としての正義をまっとうせねばならない。
土地の履歴に隠された接点
旧抵当権者と死亡事件の奇妙な関係
調べると、田島源三の名義が関係する土地の所有者は、全員が不審死か急病で亡くなっていた。 その全てで、抵当権が一度も抹消されていない。 まるで死を利用して、金を絞り取る仕組みがそこにあった。
過去の債務整理と金の流れ
金融機関を通じて追った結果、抹消されなかった担保権を根拠に、複数の地権者から金銭が支払われていた。 名義上は合法の範囲内だったが、支払い先は全て同一のペーパーカンパニー。 その口座の受取人名が「タジマゲンゾウ」ではなく「タジマケンゾウ」と判明した。
サトウさんの一言が導く突破口
「これ、誰かが意図的に残してますね」
「抵当権が残ってると、普通は面倒だから抹消するはずなんですよ」 サトウさんの目が光る。「でもこれ、わざと残してる。むしろ“取引材料”として使ってる」 なるほど。誰かがこの担保を武器に、所有者の恐怖心を煽っていたのだ。
本当の犯人の目的
土地そのものではなく、「脅せる材料」が目的だった。 抵当権を持っていると偽り、死者の名義を利用して取引を仕掛ける。 現代の怪盗キャッツアイみたいなもんだ、ただし狙うのは美術品じゃなく、登記と心の隙。
真相解明と司法書士の役割
不正な登記の修正
法務局に申請書類を提出し、不正な抹消請求の根拠を突き崩す。 登記識別情報の不整合を根拠に、再調査が行われた。 正式な手続きを経て、全ての担保権が無効と判断された。
休眠担保権が証拠となる逆転劇
逆に、その抹消されなかった担保が決定的証拠となった。 真犯人は休眠担保の記録を使い過ぎて、証拠を自分で拡散していたのだ。 すべては登記簿が見ていた。書類の静かな逆襲だった。
警察の介入と逮捕劇
司法書士がつなぐ法と現実
県警が動き、偽名義口座を使っていた人物が詐欺と不正登記の疑いで逮捕された。 彼は全国で似たようなスキームを使い、土地所有者から金を引き出していたという。 警察官が言った。「司法書士さん、あなたのおかげです」
事件後の静かな午後
依頼者の感謝とシンドウのため息
「おかげで助かりました」依頼者は深く頭を下げて帰っていった。 私は椅子に沈みながら、ため息を一つ。「やれやれ、、、次は普通の登記がいいな」 すると、机の上に書類の山がドンと積まれた。
サトウさんの「コーヒー、いれますか?」
「少しはやるじゃないですか、先生」 サトウさんが、珍しく皮肉抜きで言った。 湯気の立つコーヒーを手に、私は久々に心から温かさを感じた。