無職って言われた日司法書士としての存在を見失いそうになった

無職って言われた日司法書士としての存在を見失いそうになった

無職って言われた日司法書士としての存在を見失いそうになった

肩書が通じない街で司法書士をやっている

私は地方の町で司法書士をしています。事務員さんと二人、細々と、けれど毎日それなりに忙しい日々を送っています。なのに「司法書士って何の仕事?」と聞かれると、説明するたびに肩の力が抜けるんです。街で「弁護士さんですか?」と聞かれればまだいい方で、「ああ、行政書士さんですね」と決めつけられることもあります。いちいち訂正するのも疲れて、最近では曖昧に笑って済ませています。

名乗っても伝わらないそれが地方のリアル

名刺を差し出して「司法書士の○○です」と言っても、相手が固まる瞬間を何度見てきたことか。「司法書士……さん?それって……なんの?」というリアクション、もう慣れました。説明しても半分くらいの人は「よくわからないけどすごそうですね」で終わるんです。それがリアルな反応です。都会なら違うのでしょうか。たぶん、違ってほしいと思ってます。

役所の人にも怪訝な顔をされる

ある日、法務局に提出した書類で少し確認が必要になり、窓口で名乗ると「え?司法書士さんですか?」と逆に驚かれました。確かに私服だったし、少しヒゲも伸びていたからかもしれません。でも「本当に?」とでも言いたげな顔にはさすがにこたえました。肩書があっても、それが信用になるとは限らない。それが現実です。

事務所の看板を見て営業電話が増えるだけ

事務所の看板は出しています。でも、それを見て電話してくるのは、ほとんどが営業。「補助金使えますよ」「集客サポートしませんか」「ホームページ、古いですね」……ありがたいけど、疲れます。地元の人が「あ、司法書士さんなんだ」と気づくことは滅多にありません。目立つようにしたはずの看板も、もはや営業ホイホイと化しています。

「無職ですか」と聞かれたあの日の昼下がり

あれはある平日の昼下がり、コンビニで弁当を買って出ようとしたときのことでした。たまたま前にいた年配の女性に話しかけられて、「お仕事はされてるんですか?」と聞かれたんです。私がスーツを着ていたにもかかわらず、です。「司法書士です」と答えると、「ああ、あんまり見ない職業ですね。てっきり……無職かと」と笑われて、心にザクリときました。

スーツ姿でもただの人扱い

スーツを着ていても、手ぶらでいると「働いてない人」と思われるらしい。とくに地方では「車に乗ってない=出勤してない=無職」となる傾向が強いようです。事務所が徒歩圏内だからと車を使わず歩いて出ると、まるで失業者のような目線を浴びる。どこかで「働いてるフリ」が必要なんだと感じて、悲しくなります。

コンビニで話しかけられた見知らぬ人の一言

その女性には悪気はなかったんでしょう。でも「無職かと」の一言が、どれだけ心に刺さったか。私は毎日登記の書類とにらめっこして、時には夜遅くまで働いています。電話対応、相談、役所とのやりとり、地味だけど大事なことをしてるんです。でも、それが見えない。それが伝わらない。悔しいというより、虚しかったです。

自己紹介が説明から始まるもどかしさ

「司法書士って何する人なんですか?」と聞かれて、短く答えるのは不可能です。登記、相続、裁判所提出書類の作成……いろいろやってます。けど、それを一言で説明するのは難しい。「なんかややこしい仕事なんですね」と返されて終わることもあります。説明が必要な肩書って、ちょっと切ないですよ。

仕事してるのにしてないように見える問題

机の前にじっと座って書類とにらめっこしてると、人からは「暇そう」に見えるらしいです。実際は、頭の中フル回転で依頼者の財産や不動産に関わる大切な判断をしているのに、パソコンに向かってカタカタしてるだけに見える。これがまた、見えないストレスを生むんです。

デスクワークは誰にも見えない

作業の9割は誰にも見えない仕事。相談も非公開、書類作成も内部処理、電話も外には聞こえない。何をやってるか見えないから「暇そう」と言われる。せめて「忙しそう」と見られるならまだ救いがあります。でも「ゆるそう」と思われた瞬間、自分の努力が否定された気になります。

外回りがない日は特に透明人間

一日中事務所で書類を作っていると、誰とも話さず終わる日があります。電話も来客もなく、自分の存在が誰にも認識されない時間。あれ?俺、今日ここにいた意味あるんだっけ?と思ってしまう。透明人間になったような感覚です。

書類とパソコンに囲まれた孤独

黙々と申請書を作りながら、ふと時計を見るともう夕方。誰とも会話せず、タイピング音とため息だけが事務所に響いてる。事務員さんも気を遣って静かにしてくれているけど、その沈黙が逆に孤独感を強める日もあります。人と関わる仕事のはずなのに、人を感じない一日。それが司法書士という仕事の一面です。

「なんのために働いているのか」とふと思う

忙しいときはそんなこと考える余裕もないけれど、ふと手が止まったときに思います。「俺、誰のために働いてるんだろう」って。人の人生に関わる仕事をしてるはずなのに、自分の人生は空回りしてるような、そんな感覚に陥る瞬間があります。

日々の業務が誰にも評価されない感覚

司法書士の仕事は結果が出ても「当たり前」とされることが多いです。登記が無事に終わっても、感謝されるどころか「こんなに費用かかるんですね」と言われる。成功しても評価されない、むしろ値切られる。そんな現実が地味に心を削っていきます。

依頼人には感謝されるけど顔は覚えられない

依頼人から感謝されることもあります。でも、それが持続することは稀です。「あのとき助かりました」と言ってくれた人も、半年後にはこちらの名前も忘れている。顔を覚えてもらえないって、ちょっと寂しいものがあります。名もなき仕事、それが司法書士かもしれません。

登記完了の連絡でさえ数秒の反応しかない

「登記終わりましたよ」と連絡しても、反応は「あ、はい。わかりました」の一言。こっちは何日もかけて書類を整え、神経すり減らしながら進めてきたのに。その一言で終わるんです。仕事とはいえ、もう少しリアクションがあれば救われるのになと思うこともあります。

それでも司法書士を続ける理由を探す

辞めたいと思うことがないわけじゃありません。でも、どこかに「それでもやりたい」という気持ちがあるんです。誰かの役に立ってるはず、自分にしかできないことがあるはず……そんな思いが、日々の原動力になっています。

誰かのためになっているはずという信念

たとえば、ある相続の相談で「家族で揉めたくないんです」と涙ぐみながら語ってくれた女性の話。最終的に穏やかに手続きを終えられたとき、「先生に頼んでよかった」と言われました。その一言だけで数週間の疲れが消えました。誰かの不安を和らげる、それが司法書士の役割だと、あらためて感じました。

昔の自分が困っていたとき思い出す存在

学生のころ、身内の土地のことで大人たちが揉めていたとき、ひとりの司法書士さんが登場してすっと場を収めたのを覚えています。そのときの安心感が、いまの私の原点かもしれません。目立たなくても、最後に頼れる存在でありたい。そう思ってこの仕事を続けています。

仕事が終わるたびに小さな達成感

登記が完了したとき、書類の束がぴったり収まったとき、申請が無事通ったとき……派手ではないけれど、小さな達成感が毎日の中に確かにあります。それを積み重ねて、やっと「今日も働いた」と思える。誰に見られなくても、自分の中の誇りとして積み重ねていくしかない。そう信じて、明日も机に向かいます。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓