強がるしかなかった独身人生がちょっとしんどくなった日

強がるしかなかった独身人生がちょっとしんどくなった日

強がりという名の甲冑を着て歩いてきた

司法書士として一人で事務所を構えてから、気がつけば十数年が経っていた。最初は「独立した以上、誰にも甘えられない」と歯を食いしばっていたが、気がつけばその歯を食いしばるのが日常になっていた。誰かに弱さを見せることは、恥ずかしいことだとずっと思っていた。昔から「男なんだから」と言われて育ったし、元野球部の名残か、「耐えること」こそが美徳だと信じてきた。だからこそ、どんなにしんどい日でも、どんなに寂しい夜でも、「俺は大丈夫」と自分に言い聞かせてきた。けれど最近、その甲冑が少し重く感じてきた。

誰にも頼らずに生きるしかなかった理由

大学を出てすぐに司法書士試験に受かるような優等生じゃなかった。何度も落ちて、ようやく掴んだ資格だった。周囲に「まだやってるの?」と言われながらも、独学でやりきったあの頃。頼れる人がいなかったわけではない。でも、頼ったときに返ってくる言葉が怖かった。「まだそんなことやってるの?」「もう諦めたら?」そんな言葉に傷つくくらいなら、一人でやった方がマシだった。そうして身につけた孤独なやり方が、そのまま生き方になってしまった。

親にも弱音を見せた記憶がない

実家に帰っても、つい「順調にやってるよ」と言ってしまう。親はもう高齢で、いちいち心配かけたくないという気持ちがあるのも本音だ。でもそれ以上に、自分の中で「親に甘える=情けないこと」という感覚が染みついてしまっている。中学の頃、野球部でベンチにも入れず落ち込んでいた時でさえ、母に「どうしたの?」と聞かれて「別に」としか言えなかった。あの頃からずっと、自分の中の弱さを口にすることができずにいる。

元野球部の精神論がしみついてしまっている

「気合で乗り切れ」「泣くな」「歯を食いしばれ」――。高校野球で繰り返し言われた言葉は、気がつけば人生全体にまで染みついてしまった。怪我をしても、ミスしても、どんなに悔しくても、「黙ってやれ」が正義だった。社会に出てからも、気持ちの整理ができないまま、ただ仕事に向き合うしかなかった。もしかしたら、もっと気楽に生きてもよかったのかもしれない。でも今さら、どう緩めればいいのかがわからない。

独身を選んだのではなく気づけば独身だった

「独身を貫く」とか、「自由に生きたい」とか、そんな格好のいい理由ではなかった。ただ、気がついたら誰とも深い関係を築くことなく、ここまで来てしまった。紹介されても続かない。誰かを好きになっても告白できない。仕事に忙殺されるふりをして、結局は自分の弱さから逃げてきた。強がって生きてきた結果、気がつけば本音を見せられる相手が誰もいない。そんな状態になっていた。

女性と縁がなかったのは性格だけの問題じゃない

もちろん自分にも原因はある。照れ屋で、気が利かず、女心もさっぱりわからない。ただ、それだけじゃない気もする。司法書士という職業自体、世間的な知名度は低く、出会いの場もほとんどない。友人の結婚式に行くたびに「紹介してよ」と冗談っぽく言ってはみるけど、内心は「どうせ無理だろ」と諦めている自分がいる。恋愛に対して、いつの間にか臆病になってしまった。

仕事ばかりしていたらこうなった

20代後半から30代にかけて、必死だった。ようやく開業できて、顧客ゼロからのスタート。頼れる人もいない中、チラシを自分でまき、飛び込み営業もした。やっと少しずつ案件が入るようになり、ミスが許されないプレッシャーに日々追われながら、寝る間を削って働いた。気がつけば、休日に何をしていいかわからなくなっていた。趣味もない、友達とも疎遠、結婚どころじゃない。それが積み重なって「気づけば独身」だった。

モテない現実に折り合いをつけてきた自分

昔は「俺だってそのうち…」とどこかで思っていた。でも、30歳を超え、40歳を目前にした頃から「もう無理かもな」と本気で感じるようになった。街中で手を繋いで歩くカップルを見ても、微笑ましいというより、自分には無縁の世界だと感じてしまう。そんな自分を笑い飛ばせたらまだ良かった。でも実際は、心のどこかで「なんで俺だけ…」とこぼしている。強がるしかなかったけれど、本音は寂しさでいっぱいだった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。