朝起きて最初に感じるのは不安か疲労か
目覚ましが鳴る前に目が覚める。これは年のせいだろうか、それとも心配ごとが積もっているからか。目を開ける前から、今日もやることが山ほどあると体が言っているような感覚。司法書士としての日々は、派手さこそないが、とにかく気を遣う仕事の連続だ。だからこそ、朝が来ることが怖くなる。自分の体と心がすでに仕事に追われている。そんな朝が続くと、ふと「この生活、あと何年続けられるだろう」と不安になる。
目覚ましが鳴る前に目が覚めるようになった
若い頃は、目覚ましを止めるのも面倒で二度寝していた。今は違う。頭の中で、今日のお客さんの顔、書類の締切、役所への提出期限が浮かんできて、勝手に体が緊張する。ベッドの中なのに、心はすでに仕事モードだ。夢の中でも「登記の期日を間違えた!」と飛び起きたこともある。笑えるようで、笑えない現実。もう少し鈍感だった頃の自分が、羨ましい。
眠りが浅いというより気が張っているだけ
眠れていないのではなく、常にスイッチが切れない。寝ているようで寝ていない。何かあったときすぐに動けるように、頭のどこかが警戒しているようだ。地震が多い地域だから、というのもあるけど、それ以上に心配性の性格が災いしているのかもしれない。職業病と言えばそれまでだけれど、「ちゃんと寝たい」と思うこと自体が贅沢に思えてしまうのが、また哀しい。
体は横たわっていても頭の中は仕事の準備中
布団の中で考えることといえば、今日の来所予定、昨日の書類の確認漏れ、そして「ちゃんとハンコもらったっけ?」という些細な不安の再確認。頭の中でToDoリストがぐるぐる回るうちに、目覚ましが鳴る。結局「ちゃんと寝た」という実感がないまま、また一日が始まる。
事務所に向かう道すがら考えてしまうこと
出勤途中の車内。地元の風景は変わらない。田んぼ、川、山。そして曇りがちな心。ふと「今日はなにかいいことあるかな」と思ってみるが、特に思いつかない。司法書士の仕事は、人の人生に関わる大事な役割。でも、ふと自分の人生が誰にも関わられていないような気がしてしまうときがある。
誰かのトラブルを解決するのが仕事だけど
遺言、相続、成年後見、不動産登記……どれも人の人生の節目に関わる仕事。それをこなしていると、「ありがとう」と言われることもある。でもその一方で、相手のストレスをそのまま受け止めてしまう日もある。人の人生に寄り添うということは、同時に自分の心に負担をかけるということでもある。自分の感情の居場所が見つからないとき、ひとりになると泣きたくなる。
自分の生活がトラブルの塊みたいな気がするとき
登記ミスに気をつけながら、役所の電話に対応し、事務員の報告を受ける。毎日が戦場。でも、ふと立ち止まると、自分の食生活、健康、貯金、将来、全部がぐちゃぐちゃ。どっちが依頼人か分からないな、なんて苦笑いしてしまう。自分自身が一番助けを求めているのかもしれない。
たまに猫と入れ替わりたいと思う朝
近所の野良猫が、日なたで寝ているのを見ると「代われ」と思ってしまう。なぜあんなに穏やかに生きていけるのか。あの毛づくろいに、なんの責任もない。書類の不備もない。誰からも急かされない。「ニャー」と一言鳴いて、済ませられるなんて羨ましい。そんなことを考える自分に、少しだけ笑える朝。