何もなかったように始まる朝
朝7時。今日も変わらず、玄関の鍵を開けて、蛍光灯の明かりをつけた。古びた事務所に差し込む朝の光は、どこか冷たくて、特にこの時期は余計に寂しく感じる。45歳、独身、地方の司法書士。何かが起こるわけでもないいつもの一日。だけど今日は、ちょっとだけ特別な日だった。自分の誕生日。そんなことを誰かが覚えているわけもなく、期待していないはずなのに、心の奥で小さく灯っていたロウソクのようなものがあった。
事務所の空気はいつも通り
事務員の彼女はいつも通り出勤して、いつも通り「おはようございます」と言った。それに対して、俺も「おはよう」と返す。別にそれでいい。何も変わらない朝。それが仕事というものだ。俺たちは誕生日を祝うような関係でもないし、そんな文化があるような会社でもない。ただ、心のどこかで「もしかしたら」という期待があったことを、俺は否定できない。
コーヒーの湯気だけが静かに立っていた
机の上には、いつも通りのコーヒー。インスタントだけど、気遣いでいれてくれていることは知っている。でも今日は、その湯気の向こうに、ほんの少し「誕生日おめでとう」という言葉を期待していた自分がいた。野球部の仲間たちとバカみたいに騒いでいた若い頃、誕生日といえばイジられて笑いに変えてくれるやつが必ずいた。そんな日々は、ずいぶん昔に置いてきたはずだった。
今日が自分の誕生日だということ
日付を確認する必要なんてない。6月、俺の誕生日は毎年やってくる。もう何度目かわからない。でも今年は、なぜか胸がざわついた。「今日くらい何かいいことあるかも」なんて、普段なら絶対考えないのに、朝から心がそわそわして落ち着かなかった。
誰かが気づくかもしれないという淡い期待
昼過ぎ、仕事がひと段落して、ふと事務員の彼女がスマホを見ていた。何か通知を確認しているようだった。もしかして誰かがSNSで俺の誕生日に触れていて、それが伝わって――なんて妄想が頭をよぎる。だが、彼女は何も言わず、そのままパソコンに向かっていった。俺の淡い期待は、静かに消えた。まるで、誰にも見られずにしぼむ花のように。
通知をオフにしている事務員さん
後になって聞いた話だが、彼女はSNSの誕生日通知を全部オフにしているらしい。理由は「いちいち覚えていられないし、義理で言うのも面倒だから」と。まあ、それはそれで正直な姿勢だ。でも、その正直さが、今日は少し刺さった。「おめでとう」の一言がほしかったわけじゃない、なんて言い訳しながら、心の奥はずいぶん傷ついていたのだと思う。
別に祝ってほしいわけじゃないけど
「別にいいんです、祝ってもらわなくても」なんて言葉を何度も自分に言い聞かせた。でも、そうやって言い訳するたびに、どんどん自分がみじめになっていく。45にもなって、誕生日に誰からも声をかけられなかったくらいで何を落ち込んでるんだ、と自分で自分を責める。でも、そう簡単に割り切れるようなメンタルだったら、そもそも司法書士なんて選ばなかった。
ハンコを忘れて市役所で叱られた
午後、登記の書類提出で市役所に行った。書類は完璧に仕上げたつもりだった。でも肝心の実印を忘れていた。市の職員に「司法書士さんなのに…」とため息まじりに言われた瞬間、何かがぷつんと切れた気がした。「すみません、すぐ取りに戻ります」とだけ言ってその場を後にしたが、正直、情けなさと虚しさで涙が出そうだった。
怒られるのは慣れてるつもりだったけど
司法書士という仕事は、何かと言えば責任を求められる。少しの不備が命取りだし、信用を失う。だからこそ細心の注意を払ってやってきたつもりだ。だが、人間だから忘れることもある。ミスしたことよりも、「なんで今日なんだよ」と思ってしまう自分が情けなかった。誕生日に一人で市役所で怒られる――なんて哀しいシナリオ、誰が書いたんだ。
帰り道に気づいた本当の寂しさ
車を運転しながら、ラジオから流れる陽気な音楽がやけに耳障りだった。家に帰ってケーキを食べるでもなく、誰かからLINEが来るわけでもない。帰りのスーパーで半額の弁当を手に取ったとき、自分の人生って何なんだろうってふと思った。寂しさは静かに、しかし確実に体に染み込んでくる。そんな日だった。
司法書士という仕事の孤独さ
この仕事をしていて、誰かと感情を共有できる場面は少ない。感謝よりもクレームの方が多いし、成功よりもトラブルの方が記憶に残る。何かを誰かと分かち合う、という場面がほとんどない。喜びを噛みしめる相手もいなければ、怒りをぶつける相手もいない。ただ、目の前の案件を処理し続ける。それが司法書士のリアルだ。
誰かと分かち合うタイミングのなさ
結婚して家庭がある同業の友人は、仕事が終われば家族と食卓を囲むという。当たり前のようで、今の俺にはまったく想像ができない。家に帰れば真っ暗な部屋、スマホの通知は仕事関係ばかり。そんな日常に慣れてしまっていたと思っていたが、今日のような日はふと「これでいいのか」と立ち止まりたくなる。
愚痴も出ない夜の事務所
夜になってもまだ事務所で仕事をしていた。書類に向き合っている間は、少しだけ自分の感情から逃げられる。だけど、ふと手を止めたとき、あの静けさが一気に押し寄せてくる。誰にも言えない愚痴が、喉の奥でつっかえている。でも吐き出す相手がいない。だからまた、書類に目を落とす。それしかできなかった。
来年もまた一人かもしれないけど
別に、誕生日がどうでもいい日だったとしてもいい。だけど、今年のそれは、妙に胸に残った。きっと、心のどこかで「誰かに見ていてほしい」という気持ちがあったのだろう。自分の存在を、少しでも認めてほしい。そんな願いが、自分でも気づかないうちに膨らんでいたのかもしれない。
自分の誕生日くらい自分で覚えていよう
誰かに祝われなくてもいい。来年もきっとそうだろう。でもせめて、自分だけは覚えていようと思った。今日は自分がこの世に生まれてきた日だということを。仕事がどんなに忙しくても、誰にも気づかれなくても、自分の誕生日だけは、自分が認めてやる。それが、今の自分にできるせめてもの優しさかもしれない。