司法書士という肩書が僕らを孤独にする

司法書士という肩書が僕らを孤独にする

司法書士という肩書が僕らを孤独にする

司法書士という響きが生む距離感

「司法書士をやっています」と自己紹介すると、場が少し静かになるあの独特な空気。おそらく、悪気はない。けれど、相手が一瞬身構えるような、距離をとるような感覚は、何度経験しても慣れない。まるで法律という言葉が、目に見えない壁を作ってしまうかのようだ。実際にはそんな大した人間じゃない。書類に追われ、法務局とにらめっこしてるだけの毎日なのに、響きだけで高尚なイメージを持たれてしまう。だからこそ、司法書士という肩書が時に自分を孤独にしていると感じてしまう。

街中で名乗るときの微妙な空気

居酒屋で隣の席と会話が始まるような場面があったとする。相手は気さくに「何やってる人なんですか?」と聞いてくれる。ここで「司法書士です」と答えると、たいてい反応が2つに分かれる。ひとつは「へぇ、すごいですね」と距離を置くパターン。もうひとつは「それって何する人?」と逆に構えられてしまうパターン。前者には会話が途切れ、後者には妙に説明を求められ、場が硬くなる。まるで「先生」っぽくしなければいけないような空気になり、こちらも素の自分でいられなくなる。

ただの自己紹介のはずが

たとえば、大阪の実家に帰省したときのこと。親戚が集まる場で、昔の友人が子どもを連れて遊びに来てくれた。近況を話す流れで「今は司法書士をやってる」と言うと、その場にいた全員が「へぇーっ」となぜか姿勢を正し出した。いやいや、俺は相変わらず野球もしてないし、犬の世話でいっぱいいっぱいだし…と心の中でツッコミながら、なんとも言えない疎外感を味わった。

誤解されやすい「士業」の印象

「士」がつく職業には、なぜか堅物で上から目線なイメージが付きまとう。弁護士、税理士、そして司法書士。実際は地域密着の相談窓口として、市民の身近なトラブル解決に奔走しているというのに、世間のイメージはそう簡単には変わらない。しかも、説明しても伝わらないときも多くて、「じゃあ弁護士さんってこと?」と聞かれ、「いや、そうじゃなくて…」と毎回、弁明に疲れる自分がいる。

親しみを持たれにくい職業名

会社勤めの人と話していると、「うちは法務にまわすだけですから」なんて言われることがある。こちらとしては、もっと気軽に相談してほしいのに、どうしても「法律」というワードが先に来てしまって、堅苦しさが先行してしまう。これが「パン屋さん」とか「配達員」とかだったら、きっともっと自然に話が広がるのだろうなと羨ましくなるときがある。

相談よりも緊張が先に立つ

初対面のお客様からの電話。「司法書士の〇〇さんですか?」と聞く声が、明らかに緊張している。まるで裁判官に呼び出されたかのような口調で話し出す人も多く、こちらもどこか申し訳なくなる。「そんなにかしこまらなくてもいいですよ」と言っても、声は固いまま。相談がスムーズになるまでに、心の緊張をほぐす時間が必要なのは、この仕事ならではかもしれない。

「なんかすごそう」と言われる虚しさ

「司法書士ってなんかすごそうだよね」って、何度も言われてきた。でも、その「すごそう」は実体のない飾りのように思えるときがある。確かに国家資格で、勉強も大変だった。でも、実際は泥臭くて、地味で、細かくて、全然華やかじゃない。そんな現実を知っているからこそ、「すごそう」の一言に返す言葉がなくなってしまう。こっちは今日も法務局で順番待ちして、印紙に悩んでるだけだ。

実際は人間くさい仕事なんです

表面は硬いが、中身はドロドロと人間味あふれる。それが司法書士の仕事だと思っている。書類の山に囲まれ、細かいミスに怯えながら、感情をもらいすぎるほど依頼人と向き合う。時には泣かれ、時には罵られ、謝っても終わらない夜もある。そんな毎日を過ごしていると、「司法書士」という看板の裏側が、どれだけ人間くさいかを身にしみて感じる。

泥臭い書類仕事に追われる日々

ある日、机の上が完全に書類で埋まった。案件ごとにクリアファイルを分けてはいるが、すぐにどれがどれか分からなくなる。印鑑証明ひとつが足りないだけで、全部やり直しになることもある。そんな日常を過ごしていると、「士業」なんて言葉とはまったく無縁に感じる。ただの雑務屋、というのが正直な実感だ。

デスクに積まれるファイルの山

「先生、あのファイルどこにありますか?」と事務員さんに聞かれて、「えーと、たぶんあの山の左から3番目の…」と指差す。そう言ってから、自分でもよくそんな状況を放置してるなと思う。整理しようとは思うのだが、次の案件、次の電話に追われ、気づけばまた山が高くなっている。こんな風に、誰にも見せられない仕事ぶりが、日々のリアルなのだ。

完璧を求められるのにミスはある

登記の仕事は、一文字違えばやり直しになる。完璧を求められる。けれど人間だから、どうしてもミスは出る。あるとき、住所の番地を1つ間違えて入力してしまった。その修正に何時間もかかり、依頼人にも謝り倒した。どれだけ気をつけても、どこかでうっかりする。そのたびに自分が小さく思える。「士業」という言葉の重さに、押しつぶされそうになる瞬間だ。

依頼人とのやりとりは感情の連続

家族が亡くなった直後の相続手続きや、離婚後の名義変更など、司法書士の仕事は人生の節目に関わることが多い。だからこそ、依頼人の感情に触れることも避けられない。涙ながらに語る人の前で、ただの書類作成とは思えない重さを感じるときがある。「この人の人生に関わっている」という感覚。それは、仕事を超えた人間同士のやりとりだ。

泣かれたり怒られたり謝ったり

ある相続案件で、遺言書の内容に納得がいかないという姉妹が口論になったことがある。書類の説明中、片方が泣き出し、もう一方は怒鳴り出した。僕はその間に立って、必死に調整しながら説明を続けた。終わった後、ただただどっと疲れた。でも、こういう場面は珍しくない。言葉一つが感情を揺らすからこそ、慎重に、そして誠実に向き合わなければならない。

「士業」という名のクッションがない

よく「先生業は楽でいいですね」と言われるが、それは外からの幻想だ。実際には、クッションなんてない。むしろ「士業」としての責任がある分だけ、相手の感情を真正面から受け止める場面が多い。時には「どうしてそんなことになるんだ」と怒鳴られ、こっちが涙を堪えて謝ることもある。そんなとき、士業だからって何なんだろうと、ふと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。