朝一番の来客
その朝、事務所のドアが開いた瞬間、ぼくはまだ湯気の立つコーヒーを片手にため息をついていた。どうせまた、手続きの期限ギリギリで持ち込まれる面倒な案件だろうと踏んでいたからだ。
予想は当たった。いや、想像以上だった。中年の男性が、ややくたびれたスーツ姿で、妙に分厚い封筒を握りしめていた。目の奥に不安と焦りが交錯している。
「すみません、この家…どうやら二重に抵当権がついてるようなんです」男の第一声が、それだった。
サトウさんの冷静な観察
サトウさんは男が差し出した書類を受け取ると、まるで冷凍庫から出したアイスをそのままスキャンするような目で中身を確認した。何か、引っかかるものを感じたのだろう。
「この債権者、亡くなってるはずですよね。登記簿上に生きてるなんて、ちょっとありえません」
僕は口の中のコーヒーを思わず吹きそうになった。そこまで言い切るか、と思いつつも彼女の観察力には毎回舌を巻く。
依頼人が手にしていた一通の通知書
封筒の中には法務局からの「抵当権設定登記に関する通知書」があった。問題はその中に記されていた日付と登記原因だった。
「去年の…8月?いや、そのときこの物件はすでに買い手がついていたはずだ」
依頼人が震える声で言う。「僕、ちゃんと登記簿取ったんです。前の持ち主から抵当権は抹消されてるって…」
登記簿に眠る謎
登記簿を見直すと、確かに抵当権は一度抹消された記録がある。だが、そこに重ねてまったく同じ内容の抵当権が、別の日付で再設定されていた。
しかも、それが「故人」名義になっている。これは通常ありえない。いったい誰が何のために、死人の名を使って登記を?
「これは、第三者が“故人の名前”を利用して仕組んだ偽登記の可能性がありますね」サトウさんがボソリと言った。
抵当権の設定が二重に
調査を進めると、件の抵当権は以前の金融機関が抹消したものと“まったく同じ内容”だった。内容、金額、物件、さらには契約書の押印まで。
だが、ある違いがあった。「印影が僅かに違う」…司法書士としての僕の経験が、その違和感をすくい上げた。
「これ、偽造だ。でも偽造するなら、もっと変えるのが普通だ。これは逆に“同じに見せる”意図がある」
亡くなったはずの債権者
債権者とされる人物、加納という名の男性は三年前に亡くなっていた。登記識別情報の失効も記録に残っている。
にも関わらず、今年に入ってその名義で登記が行われた。それは法務局が気づかなければすり抜けてしまうような綱渡りだった。
「誰かが、故人の権利を“利用”した。いや、“悪用”したと考えるべきでしょうね」
前所有者の足跡
ぼくは前の所有者の行方を追った。すると、ある法務局提出書類に気になる署名が見つかった。字体が他と異なり、筆跡も違う。
さらに突き止めたのは、前所有者が認知症を患っていたという事実だった。その時点で、ある種の構図が浮かんでくる。
「本人が判断できないうちに、勝手に書類を作った奴がいるってことか…」
古い登記簿の端に残された余白
登記簿の端に、修正痕のような余白があった。訂正線と書き換え。だがこれは、法務局ではまず見かけない手書き修正だった。
まるで“そこにあったものを消した”ような不自然さ。僕はふと昔見た『怪盗ルパン』の話を思い出した。偽装の名人だったな。
「やれやれ、、、本職顔負けの書類マジックってわけか」
一枚の名刺から始まる聞き込み
封筒の中にひっそりと入っていた一枚の名刺。それは「加納事務所」と印刷された、見覚えのない名前だった。
だが裏にはこう書かれていた。「登記のこと、ご相談ください」…死んだ人間の名刺を、なぜ今、誰が?
ぼくとサトウさんは手分けして調査を開始した。該当住所はすでに空きビル、そして近隣の不動産業者が口を濁した。
司法書士の直感
この仕事をしていると、書類の違和感には敏感になる。筆跡、捺印、日付のずれ、紙の種類。すべてに意図が宿る。
だが今回は、すべてが「同じように見せる」ために緻密に作られていた。違いを感じさせないことが目的だった。
「つまり、“死者の登記”はただのカモフラージュ。真の目的は、所有権の偽装移転だな」
やれやれ、、、また一歩も外に出ず謎解きか
推理は完了したが、証拠が足りない。だが、謄本申請時のIPアドレスが法務局に記録されていた。そこからアクセス元の事務所が特定された。
それは以前、数件の登記トラブルで内々に問題視されていた司法書士の名が出てきた。完全にクロだ。
僕は証拠一式を整理し、依頼人に伝えた。「君の家は、もう誰にも奪われない。正しい手続きで守ったから」
結末は登記完了後に
依頼人は深々と頭を下げた。「本当にありがとうございました…」と声を震わせた。僕はそれを受け流すように肩をすくめた。
「まあ、仕事だからね。感謝されると照れるんですよ。そういうの、慣れてないんで」
サトウさんが小さくため息をつく。「そのわりにはコーヒー一杯で三時間しゃべってたくせに」
依頼人の涙とサトウさんのため息
僕は窓の外を見ながらつぶやいた。「登記ってのは記録じゃない。人の営みの痕跡なんだよな」
サトウさんは「詩人気取りはやめてください」と、コーヒーを差し出してくれた。苦かったけど、ちょっとだけ温かかった。
やれやれ、、、また明日も、何か起きる気がする。