たまにはお疲れさまと言ってほしくなる日もある

たまにはお疲れさまと言ってほしくなる日もある

誰にも気づかれない仕事に疲れた夜

誰かのために動く仕事をしていると、時々ふと虚しくなることがある。今日もあちこちの役所を回り、電話で説明し、依頼人からの無茶な要望にも笑顔で応じた。でも、誰からも「お疲れさま」と言われることはなかった。事務員さんが「お先に失礼します」と出て行ったあと、静まり返った事務所に一人。ふと窓の外を見ると、もう真っ暗だった。頑張っていること自体が当たり前にされるこの仕事。45歳、独身、田舎の司法書士。誰にどう思われようと、ちょっとだけ「ねぎらいの言葉」がほしい夜がある。

褒められることよりも欲しいもの

子どもの頃は、野球でヒットを打つたびに「よくやった!」と声をかけられた。監督も、親も、チームメイトも。大人になって、それが当たり前じゃなかったことを思い知らされた。仕事でどれだけうまく案件を処理しても、登記が完了しても、「助かりました」と言われることはあっても、「お疲れさまでした」は、ない。なんだろうな、別に褒められたいんじゃないんだ。ただ「頑張ったね」の一言があれば、明日もやれる気がする。そんなに贅沢な望みなんだろうか。

ありがとうじゃなくてお疲れさま

感謝の言葉ももちろんありがたい。でも「ありがとう」って、どこか他人事なんだ。「ああ、助かったよ、ありがとうね」で済まされると、機械的にこなしただけのような虚しさが残る。一方で「お疲れさま」は、そこに頑張りがあったことを認めてくれる響きがある。「疲れたでしょう」「よくやったね」という体温がある。だからこそ、誰かにそう言ってもらえたら、ほんの少し報われる。言葉の違いって、こんなに重みがあるんだなって、最近よく思う。

ただそれだけで報われた気がする瞬間

数ヶ月前、珍しく依頼人の一人が、最後に「本当にお疲れさまでした」と言ってくれた。あの一言が、なぜかずっと頭に残っている。それだけで「この仕事続けてて良かったかも」と思えたんだ。大げさかもしれない。でも、それくらい「お疲れさま」って心に染みる。日々の仕事がしんどいときこそ、人のひとことが支えになる。自分も、事務員さんにもっと言わなきゃなと思う。そういう気持ち、大事にしたい。

士業という名前の孤独

士業って、肩書きの響きは立派かもしれないけど、中身は案外孤独だ。専門職だからこそ、自分の判断で進める場面が多いし、相談できる人も限られる。特に地方では、他士業との連携も取りにくいし、愚痴を言える相手もいない。自分で自分を励まさないとやっていけない現場。それでも、誰かの人生の節目に関わっているという自負があるから続けてこれた。だけど、時々その「重さ」に潰されそうになる。

先生と呼ばれても人じゃない気がする

「先生」って呼ばれるのはありがたい。でも、その言葉に込められているのは、尊敬というよりも、距離感だ。お客さんも役所の人も、みんな少し遠くにいる。まるでガラス越しに対応してるみたいな感じ。自分のことを気にかけてくれる人なんていない。先生=完璧で冷静でいつも余裕があるべき存在。そんなの、幻想だと思う。僕はただの、ちょっと疲れやすいおじさんなんだ。

強く見えるだけで実際はヘロヘロです

周囲からは「いつも落ち着いてるね」と言われる。でもそれは、感情を出す余裕がないだけ。誰かに頼られると、断れない性分だし、やるしかないと背負い込んでしまう。だからこそ、仕事が終わったあとの疲れ方は半端じゃない。今日も20件以上の電話に出て、何件も書類を作って、ミスがあってはならない緊張感の中で一日が終わる。笑ってても、内心はくたくたなんだ。

事務所に帰ってきても誰もいない

出張や外回りが続いた日、事務所に戻ると誰もいない。事務員さんはもう帰ってるし、電話も鳴っていない。その静けさに、ホッとする反面、少しだけ胸が痛む。「ああ、俺一人で全部やってるんだな」と。誰も待っていない場所に帰る。家に着いても、テレビをつけるくらいしか音がない。こんな生活、いつまで続けるんだろうと思うこともある。でも、それでも明日はまた朝が来る。

独身司法書士のリアル

45歳、独身。地方の司法書士。華やかでもなく、ドラマチックでもない。でも、そんな日常にも、ちょっとした喜びや救いはある。誰かに必要とされること、責任をもって仕事をすること。それが生きてる実感になる。ただ、「ひとり」であることの重さも年々増してきた。誰かに頼るのは下手だし、そもそも頼る相手もいない。そんなときこそ、言葉の力が必要になる。

モテないのももう慣れたけれど

昔は多少なりとも恋愛を意識してたけど、今はもうそのステージじゃない。「モテない自分」にもすっかり慣れてしまった。今さら出会いを求める気力もない。でも、ふとしたときに人恋しくなる。コンビニのレジの「ありがとうございました」さえ、やけに心にしみることがある。こんな自分を笑う人もいるだろう。でも、誰かにちゃんと労われたいと思う気持ちは、恥ずかしいことじゃないはずだ。

支えられず支え続ける日々

仕事って、支える側に回ることが多い。でも気づくと、自分は誰にも支えられていないことに気づく。事務員さんにも気を使うし、依頼人には安心を与えなきゃいけない。誰かの不安やトラブルを背負ってばかりで、自分のケアは後回し。それでも仕事だからと割り切っていたけど、やっぱり心が疲れる時もある。そういうときに、誰かがそっと「お疲れさま」って言ってくれたら、救われる。

それでも辞めなかった理由

何度も「もう辞めたい」と思った。でも辞めなかったのは、多分、どこかで「まだ誰かの役に立てる」と思っているから。しんどいし、報われない日も多い。それでも、依頼人が笑顔になったとき、自分の存在が確かに意味を持ったと感じられる。それが、僕にとっての原動力。たまには「お疲れさま」と言われたくなるけど、それがなくても進んできたし、これからもきっと、進んでいくんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。