ひとりの自由が好きだったはずなのに
昔は「ひとり行動」が得意なほうだった。映画もひとり、ラーメン屋もひとり、旅館も平気でひとり泊まり。むしろ誰かに気を使うことがないぶん、気楽でいいと思っていた。でも、ここ数年、歳を重ねるにつれて、同じ「ひとり」が少しだけ違う意味を持つようになってきた気がしている。自分で選んだつもりの「ひとり時間」が、実は誰にも誘われないだけなのではないかと、ふと疑ってしまう瞬間がある。そんなとき、「それ、おひとりで?」と無邪気に聞かれると、どこか心の中がザワついてしまうのだ。
ひとりでいる時間が心地よかった過去
若い頃、大学時代の友人に「お前はマイペースだな」とよく言われた。確かに、団体行動よりも一人で喫茶店に入ってノートを広げたり、静かな場所で本を読む方が性に合っていた。司法書士を目指していた頃も、図書館でひとり黙々と勉強する時間が好きだった。だからこそ、社会人になって「おひとりさま」という言葉が流行ったときも、「ようやく世間が俺に追いついたな」くらいに思っていた。でも、その「ひとり」を貫くには、思ったより精神力が必要だった。社会は、思った以上に「複数」を基準に設計されている。
最近感じる視線の変化
最近は、コンビニで2人前の弁当を買っただけで「お箸は1膳でよろしいですか?」と聞かれないことが増えてきた。逆に「2つですか?」と聞かれると、「あ、これひとりで食べますけど?」と内心ムキになったりして。店員さんには何の悪気もないし、むしろ気遣いだってわかっているのに、どうしても心の奥で反応してしまう。自分が「ひとりであること」を無意識に気にしている証拠なのだと思う。そしてそれに気づくたび、またちょっとだけ落ち込む。このループに、出口はあるんだろうか。
カウンター席でも気を使ってしまう
カウンター席に案内されたときも、どこかで「寂しい人に見えてないかな」と気にしてしまう自分がいる。昔はむしろ「常連っぽくてカッコいい」くらいに思っていたのに、今では「帰省中の学生かな」なんて妄想してしまう。たまに居酒屋で隣の席のカップルが談笑していると、ビールが少しだけ苦く感じる。そんなときは「このあと登記の打ち合わせがあるから」と、誰にも聞かれていないのに心の中で言い訳している。孤独と自由は紙一重で、それをコントロールできる日は多くない。
おひとりさまはもう死語なのか
「おひとりさま」って言葉、少し前まではポジティブな響きがあった。けれど今は、どこかネガティブなニュアンスに変わってきた気がする。SNSを見れば、ランチもカフェも「誰かとシェア」が前提の空気。なのに自分は、誰かとシェアするほどの話題もなければ、シェアする相手すらいない。だからといって誰かと無理に過ごしたいとも思えず、その中間でいつもぐらぐら揺れている。おひとりさまでいられる強さと、そうせざるを得ない弱さ。このふたつの間で、今日もカレーライスをひとりで食べている。
飲食店でよくあるこの瞬間
ある日のこと、仕事帰りにふらっと入った定食屋で「ご注文は以上でよろしいですか?」と聞かれ、「はい」と答えたら、店員さんが「ではお水、おひとりぶんですね」と。たったそれだけの言葉が、なぜかズンときた。疲れていたのかもしれないし、たまたま気にしすぎただけかもしれない。でもそのときは、まるで「あなたには誰もいません」と告げられたような気分だった。言葉って、無意識のうちに人を深く傷つけることがあるんだなと実感した瞬間だった。
説明不要の気まずさとの戦い
誰かと一緒にいるときは、気まずさなんて説明し合えば笑い話になる。でもひとりのとき、その場で誰かに「いまの刺さったわ」と話せる相手はいない。だから気まずさはそのまま残ってしまい、たまっていく。事務所に戻ってからも、なんとなく引きずってしまい、目の前の書類に集中できなくなる。書類は感情を持ってないぶん、淡々とそこにある。でも人間は、ちょっとした言葉に過剰に反応してしまう。だからこそ、今日は少しだけ早めに仕事を切り上げようと思ったりする。
独身司法書士という肩書きの重さ
「先生って結婚されてるんですか?」と聞かれることがある。軽い世間話のつもりだろうけど、こっちはそんなに軽くない。独身であることは事実だけど、それを「まだ」なのか「ずっと」なのかで答え方が変わってくる。そしてどっちにしても、少し気まずい空気になる。仕事は真面目にやってる。お客様にも信頼されているつもりだ。でもプライベートはどうにも空白のままだ。そのことに目を背けようとして、さらにまた少し疲れる。司法書士という肩書きは、思ったよりも重たいものだった。
信頼されるけど見られていない
登記や相続の相談を受けているときは、たしかに信頼されていると感じる。人の人生の節目に関わる仕事だ。だからこそ、こちらも誠意を持って対応する。でも、その信頼は「人」としてではなく、「職業」として向けられている気がするときがある。個人としての自分には、誰も興味がない。そんなことを思うと、また夜が長くなる。プロ野球のナイターを流しても、気が紛れない日もある。寂しさって、じんわりときて、しつこく残る。
お客様対応は丁寧でもプライベートは空白
事務所に来る方には、いつも丁寧に接している。笑顔も忘れずに。けれど、そうやって外で気を張っているぶん、帰宅するとどっと疲れが出る。晩ごはんを作る元気もなく、コンビニで買ったおにぎりをそのまま口に放り込むだけ。誰かに話したいことがあっても、話す相手がいない。週末の予定も、特にない。だからといって誰かを誘う勇気もない。そんな状態が続くと、自分って何のために働いているんだろう、とふと考えてしまう。答えは出ないけど、また朝は来る。
愚痴を吐ける場所が少なすぎる
「先生は大変ですね」と言われることがあるけれど、誰かに本音を吐ける場所はほとんどない。仕事の愚痴を話せば「先生のくせに」と言われそうだし、弱音を吐けば「頼りない」と思われそうで怖い。だからいつも、笑ってごまかす。たまには自分も誰かに「しんどいね」と言ってほしいだけなのに、それすらも許されないような空気がある。司法書士という肩書きの裏で、誰にも見えない溜息をひとり吐いている。
事務所では先生でいなきゃいけない
事務所では「先生」としてふるまう必要がある。事務員さんも気を使ってくれているのがわかるから、なおさら弱みは見せられない。自分が崩れたら、全部が崩れる気がしてしまう。でも、ほんとはたまには事務員さんに「ちょっと今日しんどいわ」とこぼしてみたい。たった一言でも吐けたら、少しは気が楽になるかもしれない。でも、それができないのが「経営者」でもあり、「独身者」でもある現実なんだと思う。
事務員さんの前では弱音を吐けない
事務員さんは若くて明るい性格で、空気を読んでくれる。でも逆にそれがプレッシャーになることもある。せっかく頑張ってくれているのに、こちらが元気をなくしていたら申し訳ない気がするのだ。だから、どんなに辛くても「今日もありがとう」と笑顔で言う。事務所の空気を守るために。でも、その代償は、家に帰ってから一気に押し寄せる孤独と疲労感。テレビの音だけが鳴っている部屋で、自分の存在を確認するように、ただ座っている夜がある。