司法書士なのに、なぜか人生相談

司法書士なのに、なぜか人生相談

なぜ司法書士に人生相談が舞い込むのか

私は司法書士。登記や相続、成年後見なんかを専門にしている。なのに、気がつけば仕事の大半が「人生相談」になっていることがある。いや、本当に。書類作成の話で来たと思ったら、気づけば夫婦関係や子育て、果ては「どう生きればいいのか」とか。「いやいや、僕はカウンセラーじゃないんだけど」と何度も心の中で突っ込んだことがある。でも、誰もそんな境界線を守ってくれない。気づけば相談者の人生ごと、抱え込んでいた。

法律相談と人生相談の境界線があいまいすぎる

例えば、相続の相談に来た女性がいた。登記のことだけ聞いて帰ると思っていたら、「実は父とは折り合いが悪くて…」から始まり、「兄とはもう10年口もきいてなくて」と、延々と家庭の事情が続く。最後には「私の人生って、これでよかったんでしょうかね…」ときた。私は苦笑いするしかなかった。司法書士って、こんなに人の心の闇と向き合う仕事だったっけ?

登記の相談がいつの間にか家庭の悩みに

「お父さんが亡くなったので相続登記をお願いしたいんです」と言われて、「じゃあ必要書類を集めてくださいね」と返す。すると、「でも、母がうるさくて…」「妹が実家を欲しがってて…」と話が横にそれていく。気づけば私、A4の紙の前じゃなくて、家庭の人間関係の迷路に迷い込んでいる。しまいには「先生だったら、どっちに家を譲りますか?」なんて聞かれる始末。正直、そんな判断できる立場じゃない。

「こんなこと聞いてもいいですか?」から始まる人生劇場

「あの、ちょっといいですか?こんなこと聞いてもいいのかわからないんですけど…」このセリフ、だいたい人生相談の始まりだ。仕事の合間に軽く対応するつもりが、1時間経っても終わらない。「主人の態度が冷たくて」「息子が引きこもりで」などなど。気づけば私は、人生の苦悩を受け止める係。そう、もう司法書士じゃなくて、人生劇場の脇役だ。

田舎の人間関係と司法書士の立ち位置

地方で司法書士をしていると、仕事とプライベートの境界なんてあってないようなものだ。どこに行っても「先生」と呼ばれ、何かと頼られる。スーパーでも役場でも、声をかけられてしまう。「ちょっと相談いいですか?」って。その相談、ぜんぶ無料。そして重い。人間関係が濃いこの町では、司法書士はなんでも屋にされがちだ。

世間話が仕事より長い問題

田舎では、世間話こそ信頼関係の土台。だから黙って仕事だけしていたら「冷たい人」と思われる。でもその“雑談”が曲者で、1時間の面談のうち、実質の仕事の話は20分だけってこともある。ひどい時は「今日は何しに来たんだっけ?」と思うほど世間話に終始する。登記簿謄本より、最近の近所の噂のほうが重要扱いされる世界。

「先生はしっかりしてるから」に隠れた圧力

「先生はしっかりしてるから、話しやすいんですよ」そう言われると、なんかうれしくなる反面、プレッシャーも半端ない。常に正しい対応を求められ、間違えられない空気になる。「何でも知ってるんでしょ?」という期待が、肩にのしかかる。たまには「わかりません」って言いたい。でも、許されない雰囲気がある。実はこれ、けっこうしんどい。

なぜ断れないのか、その理由と葛藤

本音を言えば、「人生相談は専門外なんです」と一言で断りたい。でも、どうしてもできない。性格的にもそうだし、田舎のコミュニティでは無視できない距離感がある。話を聞かないと「冷たい人」と思われ、仕事にも影響する。だから、今日もまた「うんうん」と頷きながら、知らぬ間に人生相談に巻き込まれていく。

つい話を聞いてしまう性格

私は優しいというか、断るのが下手というか…。昔から「話しやすい」と言われるタイプだった。高校の頃から、なぜか恋愛相談をされる側。なのに、自分の恋はうまくいかない。不思議なものだ。司法書士になってからも、「ちょっと聞いてくださいよ」が増える一方。無視できずに付き合ってしまう自分が情けない。でも、放っておけない。

共感しすぎて疲弊する日々

人の話に感情移入しすぎるのが、私の悪い癖だ。夜、家に帰ってからも「あの人、大丈夫かな…」と心配になってしまう。たまに夢に出てくることもある。まるで自分の人生のように感じてしまって、ぐったりしてしまう。まさに「共感疲労」。聞いても何もしてあげられないくせに、勝手に疲れて、勝手に落ち込んでいる。

断ることに罪悪感を感じる矛盾

「それは弁護士さんの領域です」とか、「カウンセラーに相談したほうが…」とか、言えなくはない。でも言った瞬間に、相手の顔が曇る気がして、言えないままになる。そして、また1時間の話を聞いてしまう。「断ってよかったのか?」と自己嫌悪に陥り、ぐるぐる考えてしまう。そのうち、自分の仕事の軸がどこにあるのか分からなくなる。

地域密着という名の逃げられなさ

この町で司法書士としてやっていくなら、人付き合いを避けることはできない。顔を覚えられ、噂もすぐ広がる。下手にそっけない態度を取ったら、翌日には「あの先生は冷たい」なんて話になっている。だから、断るよりは聞いた方が楽。でも、その積み重ねが疲れになるのも事実。逃げられないからこそ、うまく付き合っていくしかない。

噂は光の速さで広がる小さな町

この町のすごいところは、誰が何を話したか、すぐに回るところ。「先生にこんな話をしたら、泣いてくれたんですよ〜」なんて話まで広まって、次の相談者が「泣いてくれる先生」と期待してやってくる始末。おかげで、自分の感情まで期待されることに。噂って、ほんと怖い。

「話を聞いてくれた」の重み

ある高齢の男性に、1時間以上話を聞いたことがある。内容は半分以上、昔の武勇伝だった。でも、帰り際に「先生に話せてよかった。ありがとう」と言われた時、何かが報われた気がした。書類じゃない、心に触れた瞬間だった。司法書士の仕事って、書類を扱うだけじゃないのかもしれない。そんな風に思った。

司法書士としての仕事とどう折り合いをつけるか

書類と人生の間で揺れながら、どうバランスを取るか。それが、今の私の大きな課題だ。人生相談を無視もできない。でも、それだけに時間を取られて本業が滞るのも困る。少しずつ、自分なりの“境界線”を引いていくしかないのだろう。

本業の時間が削られていくジレンマ

今日は午前中に2件登記の面談があった。どちらも人生相談に化けて、午後の予定がすべて後ろ倒しになった。依頼者の「ちょっとだけいいですか?」に、どう対応するかで1日の進みが変わる。でも、冷たくあしらえば信頼を失う。まさにジレンマだ。

登記より長い雑談時間

登記の説明は10分、雑談が40分。こんな日常が当たり前になっている。おかげで書類の山はたまる一方。残業しても追いつかない。しかも私は、事務員1人の小さな事務所。雑談のコストは、誰も吸収してくれない。全部自分で抱えるしかないのだ。

予定が詰まるのは雑談のせい説

1日にこなせる仕事量が減った。原因は、間違いなく雑談。1人あたりの滞在時間が倍増してる。それなのに、料金は変わらない。むしろ「話を聞いてくれてありがとう」と言われると、なんだか値下げしちゃうこともある。完全に採算が合ってない。

人生相談が信頼につながる paradox

でも、皮肉なことに、その人生相談こそが信頼の源になっている。何でも話せる“先生”として、次の紹介につながることもある。心の距離を縮めるためには、避けて通れない道なのかもしれない。矛盾しているけど、それが現実だ。

結局リピーターになるのは人生を話した人

「前に先生に相談したんですけど」と再訪する人のほとんどが、人生相談をした人たちだ。書類だけの人は、すぐ忘れられる。記憶に残るのは、やっぱり“気持ち”に寄り添った時。司法書士というより、半分人生の伴走者のような立場だ。

書類より心を扱う日々

書類は、正しく作ればそれで終わる。でも、人の心はそうはいかない。何度も確認し、時間をかけて、やっと信頼が生まれる。今日も私は、登記簿の横で、誰かの人生を聞いている。司法書士なのに、なぜか人生相談。でも、それが今の私の“仕事”なのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。