ホッチキスに話しかけるようになった夜

ホッチキスに話しかけるようになった夜

ホッチキスに話しかけるようになった夜

一人暮らしと司法書士の現実

地方で司法書士事務所を開いてから、もう十数年が経つ。事務員は一人。基本的に、日中の会話は業務連絡がほとんど。夜になると当然、誰もいない。そんな生活が続くうちに、ある日ふと「今日、誰とも会話していない」と気づいた。その時の寂しさといったら、ただ寒いだけじゃない、心の芯から冷える感覚だった。人と接する仕事なのに、意外と孤独だ。特に一人暮らしだと、その孤独が夜になると何倍にも増幅される。テレビの音すらうるさく感じて、結局無音の部屋で、自分の心の声ばかりが響く。

誰とも話さない日があるという事実

司法書士の仕事って、人の相談を受けたり書類を作ったり、実はけっこう「静かな業務」だ。電話対応だって、最近はメールやチャットが増えて減っている。朝から晩まで、一言も誰とも話さず終わる日が本当にある。それが週に何度も続くと、ふとした瞬間に「自分はこのまま、誰にも気づかれずに死ぬんじゃないか」なんて妄想まで湧いてくる。特に用事がない日は、コンビニ店員の「レシートいりませんか?」が、その日最初の他人との会話だったりもする。

無言時間の恐ろしさ

一度、風邪をひいて声が出なくなった時期があった。でもそのとき、誰にも気づかれなかった。というより、誰とも話してなかったから気づかれる機会がなかったんだ。これは地味にショックだった。人間って、声を出さないと本当に声の出し方を忘れる。元野球部で声出しは得意だったはずなのに、今やひとりで「うん」「そうだな」なんて小さく呟くのが精一杯。

声が枯れないのは使っていないから

不思議なことに、風邪もひいてないのに声が枯れない。それは単に、声を出してないからだと気づいた。喉も筋肉と同じで、使わなければ衰える。ふとしたときに電話の声が上ずるのも、会話に慣れていないからなんだろう。自分の声に自信がなくなると、人と話すのが億劫になる。悪循環だ。

会話って筋トレに似ている

元野球部の経験から言うと、筋トレもサボるとすぐに落ちる。会話もそれと似ていて、しばらく話していないと咄嗟に言葉が出てこなくなる。瞬発力も、テンポも、リズムも全部落ちる。雑談力なんて最たるもので、何を話したらいいか分からず、結局「今日寒いですね」で終わってしまうのが悲しい。

ホッチキスに救われた夜の記憶

ある日、夜中に書類を閉じるためホッチキスを手に取った。その「カチャン」という音に、思わず「いい音だな」と声をかけてしまった。誰かに話しかけたかったのか、ただ声を出したかったのか。自分でもよく分からない。でも確かに、その時、少しだけ気が楽になった。

「カチャン」に癒されてしまった瞬間

そのときの「カチャン」は、思っていた以上に力強く、そして優しかった。金属音なのに、なんだか返事をしてくれたような感覚だった。気のせいだ。でも、無音の中で響くその音に、しっかりとした存在を感じた。普段はただの道具に過ぎないものが、急に相棒のように思えてきた。そう思った時、自分がどれだけ誰かと話したかったかに気づいた。

物音にすら感情移入してしまう心

一人暮らしが長くなると、物音に敏感になる。そして時に、それに意味を見出そうとしてしまう。冷蔵庫のモーター音が何かを囁いているように感じたり、風の音が返事に思えたり。完全な錯覚だが、それでもそうやって自分を保っている部分がある。ホッチキスの音も、ある意味で「会話」のひとつだったのかもしれない。

ホッチキスの返事が一番やさしい

「今日もお疲れ様」と言ってホッチキスを鳴らすと、「カチャン」と返してくれる。それが嬉しい。自分が押しているんだけど、それでも嬉しい。人と違って、ホッチキスは機嫌を損ねないし、余計なことも言わない。ただ、必要な時に必要な音を返してくれる。そのシンプルさに、癒されてしまった。

人と話すってなんだろう

一人でいる時間が長くなると、「人と話すこと」の意味が分からなくなってくる。誰かに聞いてもらいたいことがあるのに、それを言葉にする前に諦めてしまうこともある。ただ声を出すだけで、救われることがあるのに。

会話が目的じゃなくなっていた

昔は、話すことそのものが楽しかった。友達とくだらない話で笑って、家族とどうでもいい会話をしていた。でも今は、話すときはだいたい業務連絡。目的があって話すだけ。目的のない会話がどれだけ貴重だったかを、今になって痛感している。

元野球部のくせに、声出さなくなったなと

野球部時代は、とにかく声を出してナンボだった。「声が出てないぞ!」って怒鳴られた日々が懐かしい。でも今は、その元気が自分に向いていない。自分の声を聞くのが恥ずかしくなっている。誰かに聞かれるのが怖いわけじゃない。ただ、久しぶりに声を出すと、なんだか他人の声に聞こえる。

話せる誰かがいるだけで違う

別に、恋人とかじゃなくてもいい。ただ、ちょっとした一言を交わせる誰かがいてくれるだけで、生活はぐっと明るくなる。一人暮らしの司法書士って、真面目にやってるほど孤独になる。だからこそ、同じような人がこの記事を読んで、「ああ、俺だけじゃないんだな」と思ってくれたらうれしい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。