効率化って言ったの誰だよ…手間が倍増する不思議な世界
効率化のはずが、なぜか忙しくなっている現実
業務を効率化するために、導入されたシステムやツール。しかし現場の感覚としては「むしろ面倒になった」と感じることが多い。司法書士として働く中でも、業務の電子化やクラウド管理など、便利になると聞かされて導入したはずが、結果的に作業時間が延びた。便利なはずが、朝のルーティンが2倍に膨れ上がる。「あれ、今って効率化の話だったよね?」と思わず口に出そうになる。ひとつひとつは小さな作業かもしれないが、積もり積もって、日々の業務を圧迫しているのだ。
システム導入後の“余計な仕事”
ある日、登記申請のために導入したオンライン申請システム。役所とのやり取りもスムーズになるし、紙も削減できると言われた。実際に使ってみると、まずログイン手順が長い。さらに一件ごとの申請情報の入力が非常に細かい。「手書きのほうが早かったな」と思ったのは、導入2日目のことだ。効率化とは、新しい仕事を生むことなのか?という疑問が頭から離れない。
データの手入力作業が増えた理由
本来、自動で連携されるはずのデータが、なぜか一部の項目だけ手入力を求められる。依頼人の名前や住所など、前もって入力してある情報まで再入力させられるのだ。「あれ?前に入れた情報どこ行った?」と探し回る時間こそが非効率の象徴。まるで穴の空いたバケツに水を入れているような気分になる。
自動化したのに“確認作業”が手動ってどういうこと?
さらに辛いのは、自動計算されたはずの数値や情報を、最終的には“人間の目”で確認する工程が必要になる点だ。ミスがあれば「それ、あなたの責任ですよ」と言われるのも辛い。自動でやってくれると思っていたのに、結局「信じるな、確認せよ」が現場のルールになる。本末転倒とはまさにこのことだ。
「便利ですよ」と言われたツールの落とし穴
新しいクラウドサービスを紹介されるたびに、「これは便利ですよ!」と営業マンは笑顔で言う。でも実際に使い始めてみると、設定項目の多さや不親切なインターフェースにうんざりする。便利なはずのツールに、私はどれだけ使い方を教わる時間を費やしただろうか。最終的に、「あれ?これ、紙の方が楽だったのでは?」という原点回帰に至るのだ。
現場の声を無視したIT化
「ITに詳しい人が使えば便利」という考えが根底にあるのだろうが、こちらは日々の仕事で手一杯なのだ。業務効率化という名目で導入されたシステムが、むしろ現場の声を置き去りにしている。役所への対応、顧客との電話、膨大な書類。現場の複雑さを理解しないまま導入された効率化は、ただの負担でしかない。
結局アナログ作業の二重構造が残った
紙とデジタルが混在し、どちらも完全に手放せない状態になる。たとえば、PDFで申請書を作成して印刷し、それをスキャンして再アップロード。もはや意味がわからない手順が日常になる。紙で確認しないと不安だし、データだけでは役所が受け付けない。こうして“二重構造”の地獄が始まるのだ。
誰のための効率化だったのか
最初に効率化を言い出したのは誰だったのだろうか?たぶん本部とか、大きな企業とか、システム開発の担当者とか。現場で働く自分には、選択権がないまま“改善”の波が押し寄せてきた。そしてそのツケは、全部こっちに回ってくる。あの人たちはもう違うツールに夢中なのかもしれないが、私はまだ前回の“便利ツール”の後始末に追われている。
事務員に丸投げされる“効率化”の現場
「とりあえず事務員さんに操作を覚えてもらって」と言われるたびに、うちの一人しかいない事務員が眉をひそめる。仕事は増えたのに、感謝もされず、評価もされず。「覚えるのは早いほうなんですけどね、やる意味があるかは別です」とため息混じりに言われた。結局、便利な道具は、誰かに犠牲を強いて成り立っていることを痛感する。
気づいたら説明役とサポート要員になっていた
事務員に操作方法を説明し、役所の問い合わせに対応し、エラー対応に時間を取られる。なんで自分がこのツールのヘルプデスクになっているのか。司法書士の仕事って、もっと専門的な知識を活かすものだったんじゃなかったっけ?説明しているうちに、自分が何をしていたのか忘れてしまうほどだ。
しかも感謝はされないという現実
「それくらい、できて当然」と思われているのだろう。誰も「大変ですね」とは言ってくれない。むしろ、「前より楽になったでしょ?」と誤解されることもある。結果だけを見て評価される仕事の中で、誰が水面下のバタ足を見ているのか。孤独な戦いが続くばかりだ。