幸せを届ける側の人間が抱える矛盾
司法書士という仕事は、人の人生の節目に立ち会うことが多い。結婚、住宅購入、会社設立…。依頼者はみな希望に満ちていて、こちらはそのお手伝いをする立場だ。形式的には「おめでとうございます」と笑顔で送り出すのが仕事だ。でも、心の奥でふと虚しさが湧くことがある。書類は完璧。手続きも滞りなく進んだ。でも、その向こうにある「人生のキラキラ」が、まぶしすぎて目をそらしたくなる日もある。
手続き完了の瞬間に訪れるのは達成感ではない
先日、マイホームを購入されたご夫婦の登記を終えたときのこと。最後の書類に押印していただいた瞬間、お二人は顔を見合わせて満面の笑みを浮かべた。「これで本当に私たちの家ですね」と。その言葉を聞いて、自分も「よかったですね」と返した。けれど、そのあとに残る感情は、達成感ではなかった。ただ淡々とこなした仕事の終わりであり、なんなら少し疲れが押し寄せたくらいだった。
笑顔の依頼者に、どうしても重ねられない自分
ふと、依頼者のように誰かと一緒に何かを築くという人生の瞬間を、自分は味わったことがないなと思う。45歳、独身。モテないし、誰かに祝福された記憶も遠い昔。彼らの笑顔はまぶしくて、でもどこか遠くて、自分とは別世界のもののように見えた。そっと目をそらしながら、書類をファイルにしまう手が、少し震えていた。
祝福の言葉が口先だけに聞こえる自分が嫌になる
「おめでとうございます」「末永くお幸せに」…何度も口にしてきた言葉。でも、今日ほどそれが空虚に聞こえた日はなかった。自分で言いながら、自分に刺さる。心がこもっていないわけではない。ただ、あの幸せの温度に触れるたび、自分の冷え切った現実が際立つ。依頼人の幸せを喜びたいのに、どこかで羨んでしまっている自分がいる。
依頼人の門出を支えながら見えてくる孤独
登記を終えた午後、事務所に戻ると、外の明るさとは裏腹に、室内はいつもより静かに感じた。パソコンのファンの音すら耳につく。誰かの門出を支えながら、自分はまた同じ場所に留まっているような感覚に包まれた。応援してるはずなのに、置いていかれるような寂しさが残る。
誰かの幸せの裏で一人机に向かう夜
その日の夜、帰りのコンビニで夕飯を買い、机に向かった。月末の処理と、週明けの登記の準備。そんなとき、ふとLINEの通知が光った。依頼者から「ありがとうございました!新居での初夜です!」というメッセージと、幸せそうな写真。画面を閉じた指がピタリと止まる。誰かの幸せの裏で、自分は一人、黙々とキーボードを叩いていた。
登記簿を閉じる音がやけに響く
今日の最後の仕事、登記簿を閉じる。その「パタン」という音が、なぜか胸に響いた。まるで自分の心を閉じる音のようだった。誰かの人生の扉が開かれた裏で、自分の扉はまた一つ閉じていく。そんな錯覚に陥った。
元野球部が感じる、試合に出ていない感じ
高校時代、ベンチから試合を見ていた感覚を思い出した。グラウンドでは仲間が汗を流して全力でプレーしている。その姿に声援を送る。でも、自分はそこに立っていない。今の仕事も、そんな感覚に似ている。他人の人生の試合には関わっているけれど、自分はまだベンチでスコアをつけているだけだ。
事務所という小さな舞台での喜怒哀楽
日々の仕事は、華やかでも派手でもない。事務所という狭い空間で、書類と会話と気遣いが交差する。それでも、ここにしかないドラマがある。問題を抱えてやってきた依頼者が、少し表情を和らげて帰る。それが嬉しくて、また机に向かう。
一緒に働く事務員の前ではつい強がる
一人でやっていた頃より、事務員さんがいてくれるだけで助かっている。でも、彼女の前ではつい強がってしまう。「大丈夫です」「こっちでやります」なんて言いながら、実は余裕がないこともしょっちゅうだ。頼れる上司に見せたいという気持ちと、本当は甘えたい気持ちが交錯する。
「任せて」と言いながら余裕はない
あるとき、「この登記の件、私でもできますか?」と聞かれ、「任せていいよ」と答えた。でも内心はドキドキだった。失敗させたくないし、時間もないし、でも任せることで彼女も育つ。そんな葛藤の中、心の余裕が削られていくのを感じた。
頼りにされることのプレッシャー
誰かに頼られるのは嬉しい。でもそれが毎日続くと、プレッシャーになる。「あの先生ならなんとかしてくれる」と言われるたび、「本当にそうか?」と自分に問い直す。自信がある日もあれば、ただ疲れて返事してるだけの日もある。
比べてしまうのは依頼者じゃなくて昨日の自分
一番苦しいのは、他人と比べて落ち込むことじゃない。昨日の自分と比べて、成長していないと感じる瞬間だ。今日も同じミスをした。昨日と同じ愚痴をこぼした。そんなとき、自分が何をしているのか分からなくなる。
成長が見えづらい日々の積み重ね
この仕事、目に見える成果が出にくい。契約が決まるわけでも、表彰されるわけでもない。感謝の言葉はもらえても、それで自分の価値が上がったとは感じられない。だからこそ、毎日積み重ねている「地味な努力」が、自分にとって意味あるものだと思いたい。
喜ばれた瞬間すら自己評価につながらない
ある依頼者が、「本当に助かりました、先生に頼んでよかった」と言ってくれた。でもその夜、なぜかモヤモヤしたままだった。「でもあの対応、もっと早くできたかもな」なんて、反省が頭をよぎる。結局、自分で自分を認められないと、外からの言葉も響かない。
同業者のSNSがやけにまぶしく見える夜
夜、何気なくSNSを開くと、同業者が「今日も〇件登記完了!感謝!」なんて投稿しているのを目にする。眩しい。でもそれを見て、自分はやっとブログの下書きを書き終えただけ。そんな自分がみじめに思えて、スマホを裏返す。
それでもこの仕事を続けている理由
たしかにしんどいことは多い。孤独も感じるし、ネガティブな感情に押しつぶされそうな日もある。それでも、辞めたいと思ったことは一度もない。それはきっと、誰かの人生にほんの少しでも関われる、この仕事の「意味」に惹かれているからだ。
依頼者の笑顔に救われているのは自分の方かもしれない
依頼者の笑顔がまぶしくて、つらい。けれど、その笑顔に出会えるからこそ、また机に向かう気持ちになれるのも事実だ。誰かの「ありがとう」に救われているのは、むしろこっちの方だ。きっと、それがこの仕事の根っこにある。
書類の先にある人間ドラマに少しだけ報われる
登記や契約の向こうにあるのは、誰かの人生だ。書類を交わすだけじゃない、その一瞬の表情や言葉に、自分は何度も報われてきた。今日も明日も、たぶん大きくは変わらない日々だけど、それでもこの小さなドラマに立ち会えることが、なによりの意味になっている。