記憶訂正登記の真実

記憶訂正登記の真実

古びた登記簿が語り始めた

市役所の倉庫に眠っていた古びた登記簿。それが今回の事件の発端だった。茶色く焼けたページをめくったその日から、記憶と記録の境界が曖昧になっていった。

依頼人の話では、50年前の土地の名義が誤っているという。しかし本人も確証がない。なんでも昔、頭を打ってから記憶が曖昧なのだという。もしかしたらサザエさんのカツオばりに、うっかりしていたのは過去の自分かもしれない、などと冗談めかしていたが、私は眉間にシワを寄せた。

依頼人は記憶喪失の元地主

元地主を名乗る男、岡崎氏は70代後半。口調は穏やかだが、登記情報を訂正してほしいと何度も繰り返した。だが、登記簿には彼の名前は一度も現れていない。

それでも彼の中には確かな「住んでいた記憶」があるようだった。昭和40年代の古い住宅地図を持ち込んできて、「ここだ、間違いない」と力説する。私はただ、黙って頷いていた。

事務所に舞い込んだ不可解な登記相談

更正登記というのは、記録上の誤りを正すだけの作業だ。しかし、その誤りが本当に「誤り」であることを証明するのが何より難しい。ましてや記憶を頼りにされたら、私の胃もキリキリする。

登記済証も識別情報もない。住民票も追えない。岡崎氏の主張だけが、まるで幽霊のようにぽつんと浮かんでいるだけだった。

本人確認書類と過去の戸籍の矛盾

古い戸籍をたどっていくと、確かに岡崎家がその町内にいたことは分かった。ただし、登記されていた土地の所有者とは微妙に違う姓。これは偶然の一致か、それとも意図的な何かか。

「こんがらがった糸をほどくには、まずサトウさんに糸口を渡すことです」私は独り言のように言った。塩対応の彼女なら、きっと冷静に判断してくれる。

記録に残らないもう一つの土地

調査の中で、面白い地図を見つけた。旧地番台帳だ。そこには、現在の登記とは異なる分筆前の形で土地が描かれていた。岡崎氏の記憶は、どうやらこの時代のものだったらしい。

しかしそれは、すでに分筆され、何代も所有者が変わった後だった。つまり彼の「正しい記憶」は、今の登記とは無関係に見えた。

登記識別情報の扱いに不自然な点

さらに不審だったのは、ある所有者の識別情報が何故か登録されていなかったことだった。本来、自動的に発行されるはずなのに、その記録がごっそり抜けていた。

私はファイルを指ではじきながら、ひとつの可能性をつぶやいた。「やれやれ、、、また誰かが書類を勝手に処分したんじゃないか」と。

戦後の仮登記と忘れられた申請書

登記簿の中に、戦後の混乱期に申請された「仮登記」が見つかった。それはまさに岡崎氏の父親名義によるものだった。だが、その後「本登記」に切り替えられた記録がなかった。

つまり、仮登記のまま放置され、別人が本登記をしてしまった可能性がある。それが事実なら、更正登記ではなく、場合によっては訴訟による抹消手続きが必要だった。

サトウさんの推理が過去を暴く

「つまり、登記の流れそのものが正しいようで正しくない、と」サトウさんは抹茶をすすりながら言った。思わず私は、その落ち着きに野球部時代の先輩を思い出した。勝負の直前でも絶対に動じないやつがいた。

彼女の指摘によって、我々は記憶ではなく記録の中に矛盾を見つけたのだ。

やれやれ気づけば真相に近づいていた

数日後、古い法務局の職員から一本の電話があった。「当時、仮登記の抹消申請があったが、補正待ちで放置されてた記録があったよ」と。

それが事実なら、現在の登記は不完全な状態の上に成り立っていたことになる。私は、重いため息をつきながら再びつぶやいた。「やれやれ、、、まさかこのタイミングで出てくるとは」

すり替えられた登記原因証明情報

そこにはさらに驚くべき事実があった。仮登記の原因証明情報が、別人の名で補正されていた。名義人はなんと岡崎氏の父親の弟、つまり叔父だった。

遺産相続時に、家族間でなんらかの取り決めがあった可能性が高い。だがそれは、登記としては「合法的に」処理されてしまっていた。

真実を記す訂正申請書

岡崎氏と話し合った末、我々は「更正」ではなく、「確認」と「同意」に基づいた形での登記内容整理に踏み切った。これ以上の手続きは、本人と現所有者との間の協議によるしかない。

申請書には、訂正ではなく「補足説明」を加える形で経緯を記した。そして念のため、別紙で経緯メモも添付した。それが将来の誰かの役に立つかもしれないからだ。

法務局提出前夜の決断

夜遅く、サトウさんが静かに言った。「書類、まとめておきました。あとは押印だけです」。私はうなずいた後、ペンを持ちながらふと思った。記憶も登記も、どちらも人が作る記録なのだ。

どちらかが正しいというよりも、どちらも不完全で、どちらにも意味があるのだろう。

事件の幕引きと忘れ去られた記憶

結果として、今回の件は事件にもならず、誰も損をしなかった。ただ、岡崎氏はようやく「安心して思い出を語れる」と言って帰っていった。

私の机の隅には、訂正されなかったままの古い地図が置かれている。それは、彼の記憶の中でだけ存在する街の証明書のようにも思えた。

登記に残ったものと残らなかったもの

結局、登記に残るのは「現在」の事実だけだ。過去の記憶も、そこに至る感情も、ほとんどが記録にはならない。それでも私は思う。「登記の裏には人の物語がある」と。

やれやれ、、、またひとつ、忘れられていた記憶を訂正してしまったようだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓