何のために生きてるか分からない朝にコーヒーを淹れる

何のために生きてるか分からない朝にコーヒーを淹れる

司法書士という肩書きが重たく感じる日

朝、パソコンの電源を入れてメールチェックをしても、心がまったく動かない日がある。登記の完了通知を見ても、「はい、仕事ですね」といった感じで、自分が機械になったような錯覚すら覚える。司法書士としての業務は年々効率化しているのに、気持ちのほうはむしろ磨耗している気がしてならない。資格を取ったときのあの熱は、もうどこにも残っていない。ふと手を止めて、「俺、これを一生やるのかな……」とぼんやり考える。肩書きの重みより、空虚感のほうが重たい。

資格を取ったときの気持ちはどこへ行ったのか

合格通知を受け取ったとき、嬉しかった。親にも電話したし、古い友人に「俺、司法書士になれたよ」とメールも送った。人生が開けたような気がしていた。だが、実際にこの仕事を続けてみると、思っていたより「華」がない。地味で、単調で、誰にも気づかれない仕事の繰り返しだ。「俺がやらなくてもいいんじゃないか」と思う日すらある。あの頃の「やってやるぞ」という熱意が、今は郵便物の山の下で息をしていない。

「これで食べていける」と思ったあの頃

資格試験の勉強中、夜中にコンビニで買ったチョコパンとコーヒーで済ませた夕食。あのときは「これさえ受かれば、報われる」と本気で思っていた。実務を知らなかったから、理想だけで突っ走れた。でも、現実の仕事は違う。時間に追われ、書類に追われ、クライアントの理不尽にも耐える。食べていける、どころか、食べる意味すら分からなくなる日もある。

現実は手続きと書類とクレームに追われる日々

登記申請、遺産分割、抵当権設定…やることは多いし、神経を使う割に、報われた感じがしない。たまに事務ミスがあれば、こちらのせい。依頼人の勘違いでも、責任はこちらに回ってくる。誰も知らないところで、必死にミスを防ぐ毎日だ。正直「何やってんだろう」と思う瞬間は、一日に何度もある。

誰にも評価されない孤独な努力

司法書士という仕事は、成功しても誰かに褒められるわけじゃない。そもそも、うまくいって当たり前の仕事だ。たとえば登記がスムーズに終わっても、「ありがとうございます」と言われることは稀だ。逆に、少しでも遅れたり手続きが滞ると、怒りや苛立ちをぶつけられる。「やって当然」が前提の仕事は、意外に心が削れる。

「すごいですね」なんて言われない仕事

たとえば初対面の人に職業を聞かれたとき、「司法書士です」と答えても、「ふーん」と流されることが多い。医者や弁護士ほどのインパクトもなく、税理士ほど身近でもない。地味で知られてない仕事なんだと、改めて感じる。誰かに「すごい」と言われたいわけじゃないけど、時々、少しくらい認められたくなる夜もある。

家族もいない職場で自分をどう保つか

独身で、一人暮らし。職場でもひとり。事務員さんはいるけど、プライベートな話をする仲ではない。昼休みはだいたいコンビニかスーパーのお弁当。話し相手もいないまま午後の業務に突入する。このまま何十年もひとりで書類と向き合うんだろうかと、コーヒーを飲みながら思う。

朝起きても、別に誰かが待ってるわけじゃない

朝、目が覚めても、誰かに「おはよう」と言われるわけでもない。自分で目覚ましを止めて、シャワーを浴びて、無言でパンをかじる。テレビの天気予報をぼんやり見ながら、「このまま二度寝したらどうなるんだろう」と考える。誰も困らない気がする。それが一番つらい。

独身男性司法書士の寂しさは地味に堪える

よく「一人で気楽そうですね」と言われるけど、正直うらやましくなんて思われたくない。確かに自由はある。でも、その自由が毎日を空虚にしていく。休日に行く場所もないし、趣味も飽きてきた。何かをしても、誰とも共有できない。「ああ、今日も無事終わったな」と言ってくれる人が、ひとりもいない日々だ。

モテないとかいうレベルの話ではない

正直、女性との縁はまったくない。飲み会も誘われなくなったし、アプリなんか試す気力もない。「どうせ俺なんか」と思ってる時点で負けなのは分かっているけど、勝ち負けの土俵にすら立てていない。自分が社会からフェードアウトしてる気がして、たまにぞっとする。

帰宅して話す相手がいないという現実

仕事を終えて、家の鍵を開ける。真っ暗な部屋に入って、「ただいま」と言うこともない。テレビをつける音が、寂しさを誤魔化すBGMになっている。冷蔵庫には昨日の残り物。あたためて食べながら、YouTubeでも見て、寝る。誰のための毎日なのか分からなくなっても、不思議じゃない。

一人事務所の空気が冷たい理由

人が少ない事務所というのは、物理的に寒いだけじゃない。会話がない、気配がない、反応がない。パソコンのキーボードを叩く音だけが響く。そんな空間で一日を過ごすと、自分が消えかけているような感覚になる。誰かのために働いているはずなのに、その「誰か」の顔が思い出せなくなる。

優秀な事務員に甘えてしまう自分

事務員さんは本当に頼れる人で、業務の半分以上は彼女が支えてくれている。でも、あまりにも頼りすぎて、自分の存在意義が曖昧になる。「彼女がいれば俺いらないんじゃないか」と思うときもある。もちろん感謝はしてる。でも、自分が主役になれない事務所って、何なんだろう。

休憩時間も業務のことを考えてしまう

外に出てコーヒーを飲んでいても、ふと「あの申請、ちゃんと通ったかな」「あの相続の件、依頼人納得したかな」と考えてしまう。休憩のつもりが、気づけば仕事モード。心が完全に休まる時間がない。これではどんなに体を休めても、気持ちはずっと走り続けたままだ。

それでもなぜか続けてしまう仕事

毎日が虚しいのに、辞めたいと思っても、本気で辞めようとしないのはなぜなのか。たぶん、それはほんの少しだけ「やってよかった」と思える瞬間があるから。誰かの人生に、ちょっとだけ関われた気がするあの一瞬のために、また次の日も事務所に向かう。元野球部の性分なのかもしれない。

依頼人の「ありがとう」に救われた瞬間

ある日、相続登記の手続きを終えたあと、依頼人の女性が泣きながら「ほんとに助かりました」と頭を下げた。そのとき、自分の存在がちゃんと役に立ったんだと思えた。報酬より、その一言がありがたかった。その帰り道、なんだか足取りが軽くて、自分でも驚いた。

本気で泣かれた相続登記の帰り道

実はその女性、他の事務所で門前払いされていたという。複雑な家族関係と、時間が経ちすぎた案件。うちも手間はかかったけど、なんとか完了させた。あの涙は、努力が無駄じゃなかったと教えてくれた。ああいうとき、少しだけ生きててよかったと思える。

人生の岐路に立ち会う責任と誇り

司法書士の仕事は、地味だけど、人の人生の節目に立ち会うことができる。相続、売買、会社設立…。ただの手続きじゃない。その裏には、それぞれのストーリーがある。自分にしかできない支援がある。だからやっぱり、まだこの仕事を辞めるわけにはいかないんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。