封印された印鑑証明

封印された印鑑証明

古びた封筒と一通の依頼

朝イチで届いた茶封筒は、どこか異様な重さを感じさせた。差出人は「相澤宗一郎」、記憶にはない名前だが、その筆跡はどこか神経質で細かかった。封を開けると、数枚の書類とともに一通の手紙が入っていた。

「兄の相続登記をお願いします。必要書類は同封しています。」と書かれた手紙に、ひと言だけ赤いボールペンで「至急」と追記されていた。

その瞬間、どこかで見たことがあるような違和感が胸に刺さった。何かが引っかかっていた。

相続登記をめぐる不可解な要求

添付されていたのは、戸籍、遺産分割協議書、そして印鑑証明書。すべて形式的には整っているように見えたが、どうも妙だ。協議書に記載された「妹」の署名が、どこか子供っぽいのだ。

「この筆跡、どう思う?」とサトウさんに渡してみると、彼女はわざわざ見開きの辞書を閉じてからチラッと一瞥した。

「なんか、サザエさんのカツオの字みたいですね」そう言って再び目を落としたのは、『書類偽造の境界』という法律書だった。

二度提出された印鑑証明書

ふと気になって、数か月前の相続登記の案件を引っ張り出してみる。すると――同じ名前、同じ生年月日、同じ住所で出された印鑑証明書が出てきた。だが、印影が微妙に違う。

光にかざしても、まったく同じ印影ではなかった。よく見ると、朱肉の滲み方すら異なる。通常、印影の個体差は多少あるが、これはおかしい。

サトウさんが手元のファイルを閉じ、「偽造ですね」とさらりと断言した。彼女にとってはファミレスのメニューを選ぶ程度の判断だった。

サトウさんの無言の指摘

私はそのまま市役所の印鑑登録担当へ確認の電話を入れた。驚くべきことに、同姓同名・同住所・同生年月日の登録が二つ存在していたのだ。だが、片方は去年の春に無効になっていた。

「偽造どころか、登録そのものを二重にしていた可能性がありますね」と彼女はファイルを指でトントン叩いた。私は電話を握る手に汗を感じていた。

「なぜそんなことを……」呟くと、「犯人が二人いるんですよ、多分」とだけ言って彼女はコンビニに昼を買いに行った。

もう一人の依頼人の存在

再び封筒を見直すと、そこには微かな消印があった。「西町局」、あの町には確かもう一人、相澤の名字を持つ男がいたはずだ。私は登記簿をめくり、そしてひとつの住所に行き当たった。

そこにいたのは、依頼人と名乗った相澤とは違う顔の男だった。声をかけても「兄です、あの人」とだけ言い、家の中に引っ込んでしまった。

その態度がすべてを語っていた。やれやれ、、、話が一筋縄でいくはずがない。

遺言の筆跡と印鑑の違和感

遺言書も発見されたが、形式が不備だった。筆跡は明らかに依頼人とされる相澤宗一郎のものではなかった。そして何よりも、そこには印鑑がなかった。

「おかしいですね。形式にこだわる人ほど印鑑を押したがるんですけど」とサトウさんはミートソースパスタをすすりながら言った。

彼女の観察力は、時に名探偵コナンのように冷静で的確だった。私はただ、それに追いつくのがやっとだった。

実印か三文判か見極める視点

本物の印影は縁がしっかりと出ており、押印の力加減に一貫性がある。だが、今回の印鑑証明は不自然に濃すぎた。まるでスタンプ台で押したような均一さ。

コピーから転写したような印影だった。しかも拡大してみると、朱肉の粒子が妙に平坦だった。おそらく画像処理されたもので、サトウさんは「印刷機のフォントと同じ匂いがしますね」と冷めた目で言った。

もう疑いようはなかった。犯人は印鑑を偽造していた。しかも、極めて精巧な方法で。

市役所で見つけた封印の記録

私は直接市役所に出向き、印鑑登録の過去履歴を確認した。そこにあったのは、一年前に亡くなった被相続人が登録したとされる「印鑑廃止届」だった。

その届け出は、偽造印鑑の直前に提出されていた。つまり、何者かが廃止届を出し、そのあとでまったく同じ名前で再登録を行っていたのだ。

「それ、完全に怪盗キッドレベルのすり替えですね」とサトウさん。おいおい、俺はモノクルもマントも持ってないぞ。

依頼人の動機と隠された真相

結局、依頼人は実の兄ではなかった。戸籍も調べると、遠縁の親戚で、財産分与から外れていた人物だった。彼は他人になりすまし、印鑑を偽造して相続を奪おうとしていたのだ。

動機はただひとつ。「不公平感」だった。実の兄弟だけが遺産を得て、自分には何もないことへの憎しみ。それを司法書士の手続きを使って合法に見せようとした。

だが、印鑑はごまかせても「正義」はごまかせなかった。私は報告書をまとめ、静かに検察庁へ提出した。

遺産を守ったのはひとつの押印だった

正しい印影がなければ、登記は進まない。法務局の目も甘くはないが、最終的には私たちの調査が大きな証拠となった。遺産は正しく、正当な相続人へと引き継がれた。

「司法書士って、地味だけど意外と探偵向きですよね」とサトウさんが言う。そうかもしれない。事件は書類の裏に潜んでいる。

そして今日もまた、誰かの登記の依頼が届いている。あぁ、やれやれ、、、本物の書類ってのは、重いもんだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓