帰り道で泣いたあの夜をいま思い出す
新人時代の帰り道に流した涙の理由
司法書士として独立する前、どこかの事務所で必死に修行していたあの頃。あの帰り道を思い出すと、いまだに胸が締めつけられる。真っ暗な夜道、家路に着く途中で涙が止まらなくなった。別に何かされたわけじゃない。ただ、今日一日、自分が全然役に立てなかったこと、自分のせいで空気が重くなったこと、それを全部背負ってしまっていた。真面目すぎたのかもしれない。でも、あの頃の僕には、それ以外の生き方がわからなかった。
誰にも相談できなかったあの頃
「何かあったら言って」と言われても、何をどう言えばいいのか分からなかった。職場の空気を乱したくなかったし、怒られるのも怖かった。でも本当は、誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしかっただけなんだ。夜、部屋に帰ってからも気持ちは晴れず、悶々としながら翌日の準備をしていた。たまに母に電話してみても、泣きそうな声を隠して「大丈夫」としか言えなかった。
先輩にも言えずただ謝ってばかり
失敗しても、まず謝る。それが当然だと思っていたし、それしか知らなかった。けれど、繰り返すうちに謝ることに慣れてしまって、自分のミスの本質を振り返ることができなくなっていた。叱ってくれる先輩がいたのに、その声すらも耳に入らなかった。頭を下げてばかりで、心がついていかない日々だった。
事務所の鍵を閉めた後の静けさがつらかった
みんなが帰った後の事務所は、妙に静かで、その静けさが心に染みた。電気を消し、鍵を閉める。その行為がやけに重く感じる夜もあった。ひとりだけ取り残されたような気持ちになる。そこで「もう辞めようかな」とふと考えたこともある。でも、やめたら負けだと、根拠のない意地だけで踏みとどまった。
自分のミスが招いた沈黙と怒号
司法書士の世界は、一文字のミスが命取りになることがある。それを身をもって知ったのは、ある登記申請でやらかしたときだ。顧客の名前を一文字間違えただけで、すべてが差し戻しになった。依頼人の怒り、上司の苛立ち、職場の沈黙。何一つ逃げ道はなかった。
登記の内容を一文字間違えた日のこと
入力ミスだった。疲れていたとか、集中力が切れていたとか、言い訳しようと思えばいくらでもできた。でも、結果として依頼人に迷惑をかけた。訂正手続きの段取りを自分で取りながらも、ひたすら冷や汗が止まらなかった。申し訳なさと悔しさで、あの日は家に帰るのが怖かった。
訂正申請のやり方もわからずパニックに
事務所のパソコンに向かって検索しても、実務に合う情報は出てこない。本棚の奥にあった分厚い解説書を開いたが、時間ばかりが過ぎていく。誰かに聞こうにも、そもそも怒られていて声もかけづらい。パニックの中で、余計にミスを連発しそうになる。深呼吸すらできず、呼吸が浅くなっていた。
依頼人の目が怖くて目を合わせられなかった
謝罪のために電話をかけた。依頼人の「はぁ?」という冷たい一言が刺さった。「ほんと、ちゃんとやってくださいよ」と言われたとき、声が震えそうになった。目の前にいなくても、あの言葉は今でも耳に残っている。責任って、こういうことなんだと思い知らされた。
その日の帰り道がやけに長く感じた理由
いつもより帰り道が長く感じた。歩く足が重く、心はもっと重かった。自転車に乗る気にもなれず、街灯の下をとぼとぼと歩いた。信号を待つ間、ふと空を見上げた。曇っていて、星も見えなかった。そのとき、涙があふれてきた。
涙をこらえたつもりが止まらなかった
人通りも少ない夜道だったのに、なぜか人の目が気になった。泣くことが恥ずかしいと感じる年齢になっていた。でも、こらえようとしてもこらえきれなかった。涙が勝手に出てきて、自分でも驚いた。あんなに悔しかったのは、きっと本気で向き合っていたからなんだろう。
交差点の信号待ちで涙があふれた
赤信号が青になるのを待つ間、深くうつむいた。ポケットに手を突っ込んで、ただ突っ立っていた。目をこするふりをして、涙を隠したつもりだったけど、頬をつたう感覚はどうしようもなかった。あの交差点の記憶は、いまでも通るたびによみがえる。
なぜ今もその夜を忘れられないのか
10年以上経った今でも、あの夜の感覚は消えない。むしろ年を重ねるごとに、当時の自分をいとおしく思う。あんなに苦しかったのに、やめずに続けてきたこと。それが、今の自分をつくっている。
挫折が深かった分だけ記憶に焼きついた
人は、順調だった記憶よりも、失敗の記憶の方が鮮明に残るという。まさにその通りだ。順風満帆だったら、きっと今のような粘りは身につかなかった。あの頃の涙が、土台になっていると感じる。
あの日の自分にかけてやりたい言葉
「大丈夫だ。泣いたっていい。全部ムダにはならない」――あの日の自分にそう伝えたい。間違いだらけでも、誠実に向き合ったことは、いつか報われる。そう信じられるようになったのは、あの夜があったからだ。
仕事に慣れた今でも思うこと
今は独立して、自分の名前で仕事をしている。事務員さんも一人雇って、どうにか日々をまわしている。でも、心のどこかで、あの頃と同じ不安や焦りを抱えている。
泣かなくなったけど心はすり減ってる
ミスは減った。でも、責任は増えた。毎日がプレッシャーとの戦いだ。笑顔で接していても、夜になるとぐったりしていることもある。泣くことはなくなったけれど、それは鈍感になっただけかもしれない。
強くなったねとは言われるけど本当は
「独立してすごいね」「一人でやってるなんて尊敬する」――そんな風に言われることもある。でも、実際は綱渡りだ。強く見せるのが癖になっているだけで、本音を言えば「誰か助けてくれ」って思っている夜もある。
逃げ出したい夜は今もある
月末の請求、登記の確認、急な依頼、事務所の掃除まで。全部自分でやる日々に、何度も「もう無理」と思った。でも、そのたびにふとあの夜の自分を思い出す。泣きながら帰ったあの夜が、「お前、まだやれるだろ」と背中を押してくれる。
同じように悩む人へ
今、泣きたくなるくらい仕事がつらい人がいるなら、伝えたいことがある。泣くことは弱さじゃない。むしろ、それだけ真剣に向き合っている証拠だ。
泣いても辞めなくてよかったと思える日
あの夜、辞めていたら、今の自分はいない。辞めなかったからこそ、こうして文章を書いている。あのときの涙があったから、今は少しだけ人の痛みに気づけるようになった。
だからこそ今は後輩に優しくしたい
同じように失敗したり、戸惑ったりしている後輩には、できるだけ優しく接したい。過去の自分にするように、声をかけたい。「それ、俺もやったよ」と。そんな言葉がどれほど救いになるか、自分が知っているから。
あの頃の自分と向き合う勇気
涙を流した過去は、決して恥ではない。むしろ、それを認めることで、ようやく本当の意味で自分を肯定できるようになる。あの帰り道を思い出すたびに、いまも頑張る自分を褒めてやりたくなる。