今日もちょっとしんどい司法書士のぼやき

今日もちょっとしんどい司法書士のぼやき

今日もちょっとしんどい司法書士のぼやき

司法書士として独立して十数年。気づけば今日も、朝からしんどい。決して体調が悪いわけじゃないけど、布団から出るのに気合いが要る。目覚ましの音が鳴っても、二度寝してしまうこともしばしば。そんな自分に嫌気がさすけど、また同じような一日が始まってしまう。愚痴っぽくて申し訳ないが、そんな日常を少しだけ吐き出させてほしい。

毎朝の目覚めが重いのは歳のせいか心のせいか

若いころは目覚ましより早く目が覚めたものだ。それが今ではアラームを3つセットしても起きられない。まるで体に鉛を仕込まれたみたいに、重たい。これが歳のせいなのか、心が疲れているのか、自分でもよくわからない。ただ、元野球部で朝練も頑張ってたあの頃の自分を思い出すたび、少し情けない気持ちになる。

寝起きから疲れている理由

「休んだはずなのに疲れてる」って感覚、わかる人にはわかると思う。昨日も夜遅くまで書類をチェックして、ふと気づいたら日付が変わっていた。たしかに寝た。でも脳が休んでいない。夢の中でも登記のことを考えていた気がする。これじゃ回復するわけがない。

仕事に行きたくない自分とどう向き合うか

心のどこかで「行きたくない」と思っている自分がいる。でもこの気持ちを口に出したら、崩れてしまいそうで怖い。だから今日も、コーヒーを流し込んで、無理やりエンジンをかける。誰かが見てるわけじゃない。でも、誰かに頼られている気がして、それが背中を押す。

依頼が増えるのはありがたいでも

事務所を開いたばかりのころ、「お客さんが増えるといいな」と心底願っていた。それが今では「どうやって全部こなそうか」と頭を抱える毎日になった。忙しい=成功、ではない。むしろ、心の余裕が減っていくばかりで、感謝の気持ちすらすり減っていく。

忙しさが嬉しいと感じられない日もある

「予約がいっぱいですね、人気ですね」と言われることもある。でも正直、嬉しさよりも「どこで息抜きしようか」と考えてしまう。時間に追われていると、感情が平坦になる。嬉しいことも悲しいことも、等しく処理されてしまう自分がいて、それがまたしんどい。

処理しても処理しても終わらない書類の山

事務所のデスクには常に書類の山。まるで終わらない雪かきのように、やってもやっても積もっていく。どこかで「完了」と言いたくても、そのタイミングは誰も教えてくれない。司法書士の仕事って、終わりが見えにくいんです。

事務員さんがいるからこそ回っているけれど

うちには一人、事務員さんがいる。本当に助かっているし、彼女がいなかったら回っていない。でも、その分プレッシャーも大きい。彼女の生活を守るのは自分だという責任感が、知らず知らずのうちにのしかかっている。

一人で抱え込んでしまう性格がつらい

性格なのかクセなのか、なにかと一人でやろうとしてしまう。頼るのが下手で、「これくらい自分でやろう」と思ってしまう。でも、その積み重ねがしんどさを呼び込む。自分が壊れたら、全部止まる。それが一番怖いのに。

感謝しながらも本音では頼りすぎてしまう

事務員さんが少し休んだ日、仕事の進みが全然違うことに驚く。「あ、こんなに頼ってたんだ」と気づかされる。感謝と依存の境目は難しい。でも言葉では感謝を伝えきれない自分が、もどかしくて情けない。

電話対応だけで一日が終わることもある

「今日はこれだけしかできなかった」と思う日がある。振り返れば電話対応に追われて終わった。書類にも手をつけられず、予定もズレ込んで、疲労感だけが残る。電話を切った瞬間に次のコールが鳴る。まるで出口のない迷路にいるような気分になる。

電話の向こうのトゲのある言葉に落ち込む

「それくらい、そっちでどうにかしてよ」と言われると、胸がズンと重くなる。感情的な言葉が多い人もいるし、理不尽なクレームもある。声だけのコミュニケーションだからこそ、言葉のトゲが直に刺さってくる。表情が見えない分、想像だけで心がすり減っていく。

「プロなんだから当然でしょ」に感じる疲弊

「そちらはプロなんですから」と言われるたびに、なんだか冷たい石を握らされたような気持ちになる。プロ意識は持っている。でも、それは万能であることを求められる言葉ではないはずだ。完璧を求められるたび、気力をそがれていく。

ふとした瞬間に辞めたくなる

昼休みにスマホを見ていたら、求人広告が目に入る。「週休3日」「残業なし」「未経験OK」…なんだか、自分の世界とは別次元に感じる。そんなふうにして、つい「こんな生活、もうやめたいな」と思ってしまう瞬間がある。でも、踏み出す勇気はない。やめたら誰が残るのか、そう思うと逃げ出せない。

繰り返しの毎日に自問自答する夜

夜、ふと時計を見たら23時。「今日も終わらなかったな」と独り言が漏れる。繰り返される一日の終わり、ふと「なんのためにやってるんだろう」と思うことがある。答えが出ないまま、明日もまた同じように始まることがわかっているから、余計にしんどい。

続ける理由を見失いそうになる瞬間

「なんで司法書士になったんだっけ」と考える時間が増えた。最初は人の役に立ちたかった。法律の力で困っている人を助けたいと思っていた。でも、今の自分はただ処理しているだけじゃないか。そんな気持ちになるたび、情熱を失ってしまいそうになる。

それでも続けているのは誰かのため

正直、儲けたいなら別の道もあったかもしれない。楽になりたいなら辞めればいい。でも、自分のことを信頼して頼ってくれる依頼者がいる。その顔を思い出すたび、「まだもう少し頑張ろう」と思える。自己満足かもしれない。でも、それが今の自分の支えになっている。

誰かの役に立てるという小さな灯り

相続手続きで混乱していたご家族から「本当に助かりました」と言われた日、久しぶりに心があたたかくなった。劇的な感謝じゃなくてもいい。小さな「ありがとう」が、自分の背中を押してくれる。そういう瞬間が、まだ司法書士を続けている理由かもしれない。

優しさだけではやっていけないけど

世の中は優しさだけでは回らない。事務所経営だって、冷静な判断やお金の管理が必要だ。それでも、優しさを忘れたくはない。疲れても、傷ついても、それを捨てたら自分じゃなくなってしまう気がする。今日もちょっとしんどいけど、明日もまた、机に向かうんだろう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。