理想と現実のギャップに打ちのめされて
司法書士になったばかりの頃、「この資格さえ取れば人生安泰」と、どこかで思っていた自分がいました。でも、実際に独立してみると、理想と現実の落差に膝から崩れ落ちそうになることが何度もありました。事務所を構え、看板を掲げても、依頼が自動的に来るわけではなく、書類の山と向き合いながら、生活の心配ばかりしていました。勉強ではカバーできなかった“経営”の難しさに、何度も「やっぱり俺、向いてなかったのか」と自問しました。
勉強の先に待っていたのは終わらない事務作業
資格試験は確かに大変でした。何年もかけてやっと手に入れた「司法書士」という肩書。でも、実務に出てみると、待っていたのは毎日同じような登記書類と、気が遠くなるような数の押印確認。クライアントの期待に応えつつ、期限に間に合うよう神経を張り詰めて作業する毎日。体力的というより、精神的にじわじわ削られる感覚です。元野球部の体力をもってしても、正直ヘトヘトです。
登記申請の山に埋もれて見えなくなる夢
登記申請の処理が続く日々の中で、ふと「自分は何のためにこの仕事をしているのか」と考えることがあります。夢見ていた「人の役に立つ仕事」という理想は、気がつくと「ミスをしないことが最優先」の現場に変わっていました。まるで内野手が一日中ノックを受けているような、そんな気持ちです。エラーしたら即アウト。その緊張感は、慣れてもやっぱりきついものです。
司法書士になっても「自由」は手に入らない
独立開業すれば自由があると思っていたのに、実際はその逆でした。休みを取るどころか、電話も来客もすべて自分で対応しなければならず、「自由」なんてどこにもない。事務員さんがいなければトイレに行く時間さえ気を使います。まるでマウンドに一人で立ち続けるピッチャー。試合終了の笛は鳴りません。
万能と思われるプレッシャーがしんどい
お客さんや知人から「先生なら何でも分かるでしょ?」と言われることがありますが、それが一番つらい。司法書士は確かに法律職ですが、税金や保険、不動産の相場まで詳しいわけではありません。それでも「知らない」と言えばがっかりされ、「調べておきます」と言えば追加で時間が取られ…。万能であることを求められるのが、じわじわプレッシャーになっていくのです。
「先生ならわかるでしょ?」という無茶ぶり
以前、相続の相談で来た方に「この土地の固定資産税って高いですか?」と聞かれたとき、正直「それは市役所に聞いてくれ」と心の中で叫びました。でも、言えないんですよね。無碍にできない。でも知識外のことはやっぱり即答できない。その結果、休日にこっそり役所に電話して調べたりして、また疲弊するという…。万能じゃない自分を責める気持ちにもなります。
法律以外の相談が一番多い矛盾
実は、相談件数の中で一番多いのが「法律以外」の話だったりします。家族関係やお金のこと、場合によっては人生相談まで飛び出すことも。「先生は信頼できるから…」という言葉に弱くて、つい話を聞いてしまうのですが、その分、本来の仕事が押してしまうこともあります。人に寄り添いたい気持ちはある。でも、自分の限界もある。ここでバランスを取るのが難しいんですよ。
ひとり事務所の限界と孤独
地方で一人事務所を運営していると、「どこにも逃げ場がない」と感じることがあります。電話は鳴り続け、来客の対応も、登記のチェックも、郵送の準備も、全部ひとり。事務員さんがいても、週に何度か休みが重なれば、一人戦線です。誰かと愚痴をこぼし合える環境があるだけでも、どれだけ救われるか。けれど、同業者と話す時間もなかなか取れません。
事務員さんが休むと一気に地獄
うちには優秀な事務員さんがいます。でも、その方が急に体調を崩したとき、一気に業務が滞りました。封筒の宛名一つ書くのにも手間取り、電話対応しながら書類作成して、ついにお客さんから「連絡が遅い」と怒られる始末。野球で言えば、キャッチャー不在で試合開始の笛を鳴らされたようなもんです。誰にも頼れない中、ただひたすら投げ続けるだけの日々でした。
外出もできず電話も出られない日々
急ぎの登記が入っているのに、外出もままならない。誰かが事務所にいなければ、電話もFAXも止まってしまう。ある日はトイレに行っている30秒の間に2件着信があり、「折り返しが遅い」とクレームが来ました。その時は本気で「自分の分身がほしい」と思いましたよ。便利屋じゃないのに、そういう扱いをされることも、正直つらいです。
業務効率以前に人手不足がすべてを狂わせる
効率化とかIT導入とか言われますけど、それ以前に人手が足りない。どんなにツールを導入しても、それを使いこなす時間も余裕もありません。「先生は一人事務所なんですか?」と驚かれることもありますが、現実はそんな事務所が大半だと思います。回らない現場を、一人でなんとか押し流していく日々。これが「現場のリアル」です。
人には話せない「辞めたい気持ち」との向き合い方
仕事がうまくいっていないとき、ふと「もうやめようかな」と思うことがあります。でも、そういうことって人にはなかなか言えないんですよね。特にこの業界では「弱音=失格」みたいな空気もあって、自分の気持ちを押し殺してしまう人も多い気がします。そんな中、自分はどう生きるのか。葛藤の日々です。
司法書士=安定、は幻想なのかもしれない
昔は「司法書士になれば安定だ」と思っていました。だけど、現実はそんなに甘くありません。景気や人口減少の影響もあり、件数が減ったり、報酬も下がったり…。それでも「安定職」と思われていることに、違和感すら覚えるようになりました。安心どころか、むしろ不安との戦いの連続です。
それでもなんとか続けてる理由
それでも辞めずに続けているのは、「誰かの役に立てた」と感じる瞬間があるからです。依頼者に「先生に頼んでよかった」と言われた日。事務員さんに「この仕事、好きです」と言われた日。そんな些細な言葉で、もう少し頑張ろうと思えたりします。万能じゃないけど、自分なりの意味を、この仕事に見出していたいんです。
万能じゃないからこそ、誰かに頼れるようになった
万能でなければいけない、という思い込みから解放されてから、少しだけ心が軽くなりました。税理士や弁護士、不動産屋さんと連携することで、仕事の幅も、気持ちの余裕も生まれます。自分一人で全部やらなきゃというプレッシャーを手放すことで、やっと「人としてのバランス」が取れてきた気がします。
他士業と組むことの現実と希望
最初は「他士業と組むなんて気を使いそう」と思っていました。でも、やってみると意外とスムーズでした。むしろ、自分がカバーできない部分を任せられる安心感は大きい。士業同士、愚痴をこぼし合う時間もまた、救いになったりします。敵じゃない、仲間なんだ。そう思える関係性が持てたことが、最近の一番の収穫かもしれません。
弱さを認めたら、少しだけ楽になった
「先生なんだから」と言われるたびに背筋を伸ばしてきたけれど、最近は「万能じゃないんです」と笑って言えるようになってきました。それを聞いて、安心する依頼者も多いです。完璧じゃない人間だからこそ、寄り添えることもある。そんな気づきが、司法書士という職業の幅を、静かに広げてくれているように思います。