誰のミスかより先に自分を責めてしまう癖
書類の不備が見つかるたびに、まず「自分が悪い」と反射的に思ってしまう。たとえ事務員が入力ミスをしていても、「気づけなかった自分が悪い」と感じてしまう。こういうとき、責任感と自己否定の境目があいまいになる。仕事で信用を失うのが怖くて、咄嗟に自分を差し出してしまうのだ。ミスの責任が問われる現場で生きてきたせいか、まず自分の非を認めることで安心しようとする。けれど、その積み重ねは、だんだん自分の心をすり減らしていく。
「またか」と思われるのが怖くて確認が止まらない
書類を提出する前のチェックは、最低でも三度。何度見直しても不安は消えない。ミスを恐れるあまり、深夜まで何度も同じページを読み返す。頭では「完璧にした」と分かっていても、「何か見落としている気がする」と疑ってしまう。特に、過去に大きなミスをした案件のあとほどその傾向は強くなる。あのときの「冷たい目」や「ため息交じりの電話」を思い出して、手が止まる。「またか」と思われたくない、それが確認作業の動機になってしまっている。
事務員さんのミスでも結局は自分の責任という現実
小さな事務所では、事務員の仕事も最終的には代表である自分の責任になる。だからこそ、彼女が入力した情報も、押された印鑑も、提出書類の体裁も、全部こちらで確認しなければならない。とはいえ、実際に一人で全件を見るのは限界がある。仕事が立て込んでいると、つい信じて任せてしまう。だがミスが起これば「代表者の管理責任」とされる。理屈は分かるけれど、そのたびに「信用」が目減りするような感覚に陥るのがつらい。
書類ひとつで信頼も時間も全部吹っ飛ぶ感覚
どんなに頑張って積み上げてきた信頼も、たった一枚のミスで簡単に崩れることがある。たとえば、名前のフリガナが一文字違っていただけで、登記が差し戻されたときがあった。依頼人は当然不満げで、「ちゃんと確認してたんですか?」と問われた。どれだけ丁寧に仕事をしてきても、その瞬間は全部帳消しになる。まるで積み木を一気に崩されたような感覚。書類ひとつで信頼も時間も消えていくのが、何よりこたえる。
なぜこんなに責任を背負い込んでしまうのか
冷静に考えれば、すべてのミスが自分だけの責任というわけではない。でも、どうしても「自分さえもっと注意していれば」と考えてしまうのは、昔からの性格かもしれない。人のせいにするのが苦手で、誰かを責めるくらいなら自分を責めたほうが気がラクだと思ってしまう。それが積み重なって、自分をすり減らす日々になっているのかもしれない。
元野球部の「全部自分のせい」精神が抜けない
高校時代、野球部のキャプテンをしていた。チームが負ければ、ミスをした選手ではなく、自分の采配が悪かったと思ったし、監督の叱責も全部受け止めていた。そのときの「責任感」が、今の仕事でも根強く残っているのだろう。「お前が悪い」と言われなくても、自分から「俺の責任だ」と言ってしまう。良く言えば男気。でもそれは、今となっては自分を苦しめるクセにもなっている。
独立した自分を信じたい気持ちと空回り
事務所を開いたとき、「全部自分で責任を取れる自由さ」が魅力に感じていた。だが今は、その自由が孤独に変わりつつある。事務員はいても、最終判断は自分。誰かに相談しても「それは先生の判断で」と返される。間違っても正しくても、自分を信じて突き進むしかないのに、正直なところ自信が揺らぐ日もある。そんなときほど、小さなミスに過敏に反応してしまう。
「俺が悪い」で終わらせるのが一番ラクという罠
「すみません、私のミスです」と言えば、話は早く終わる。相手もそれで納得するし、場も収まる。けれどそれを繰り返していると、「何でも自分が悪い」と思い込むクセができてしまう。反射的に謝ることで、自分の中にある責任感が肥大化していく。しかも、周囲もそれに慣れてしまい、ミスが起きたときの矛先が自然と自分に向けられるようになる。これは本当に危ない。
書類の山の中でひとりになっていく心
毎日のように積み上がっていく書類の山。その中で静かに、だけど確実に、孤独も積み上がっている気がする。誰かに弱音を吐く余裕もなく、誰かに見てほしいわけでもなく、ただ机に向かってひとり、ペンを走らせ続ける。それが今の「仕事」だと自分に言い聞かせる日々が続いている。
誰にも相談できないままミスに怯える日々
事務員には言えない。同業者にも相談しづらい。家族はいない。そうなると、すべてを自分の中で処理するしかない。「これは間違っていないか」「この印鑑は正しいか」そんな疑問が頭の中をぐるぐる回って、夜も眠れなくなる。確認作業に追われるというより、確認しないと不安で仕方がない。そんな状態が続いている。
お客さんの前では笑っているのがまたつらい
どれだけ心がすり減っていても、依頼人の前では笑っている。それが「プロ」だと思っているし、それで乗り切ってきた。でも、ふと鏡を見ると、無理して笑っている自分がいて、少しだけ虚しくなる。笑顔の裏で、本当は逃げ出したい気持ちを抱えているときもある。それでも仕事は待ってくれない。
電話一本で崩れる予定と心の余裕
やっと一息ついた昼休み。そんなときに限って、一本の電話が鳴る。「すみません、書類に不備がありまして…」その言葉を聞いた瞬間、すべての予定が崩れる。午後の予定も、心の余裕も一瞬で消えてしまう。電話を切ったあと、無言のまま書類を引き出しから引っ張り出して、チェックを始める。その姿は、もう「確認」ではなく「罪探し」に近い。
少しだけラクになる考え方を見つけたい
全部が全部、自分の責任じゃない。そう思えるだけで、少しだけ呼吸がラクになる気がする。責任感は大事だけれど、自分を潰してまで守るものではない。そう自分に言い聞かせながら、今日もまた書類に目を通している。
「確認すること」と「責任を抱えること」は別
確認作業は大事。でも、それはあくまで「仕事の一部」であって、「責任の全部」ではない。事務員が見落とした箇所をカバーすることはできても、それをすべて自分の心に背負い込む必要はない。仕事の正確さと、心の健康は両立してもいいはずだと、最近は思えるようになってきた。
ひとりでやってるけど、ひとりじゃ限界がある
どれだけ優秀でも、どれだけ誠実でも、ひとりで抱え込めることには限界がある。事務所の規模が小さくても、助けを求めることは恥ではない。他の司法書士とのつながりでも、オンラインの相談でもいい。小さなSOSを出せる場所を持っておくことが、何より大事だ。
優しさは時に自分を追い詰めることもある
誰かを責めたくないという気持ち。相手に嫌な思いをさせたくないという優しさ。でもその優しさが、自分にばかり矢印を向けてしまうことがある。やさしさが苦しさに変わる瞬間、自分にもやさしくする必要があるんだと、ようやく気づき始めている。
最後に 思い詰めすぎないために
たまには深呼吸して、「今日は誰も悪くなかった」と言ってみてもいい。ミスがあった日でも、自分を責めるのではなく、次に活かすことだけを考える。そうやって、少しずつでも前に進んでいければ、それで十分なのかもしれない。
今日は誰のせいでもなかったと言ってみる
ミスがあった日も、「これは誰のせいでもない」と声に出してみる。そう言うだけで、肩に乗っていた重しが少し軽くなる。責任感を手放すことではなく、受け止め方を変えること。それが今の自分には必要なのかもしれない。
それでも書類を前に座り続けるあなたへ
今日もきっと、誰にも褒められずに、書類とにらめっこしている人がいる。その人に、少しでも「自分だけじゃない」と伝えたい。責任を感じるのは、真面目だから。優しいから。だからこそ、自分のことも、ちゃんと大事にしてほしいと心から願っている。