ある依頼人の不自然な態度
朝一番、まだコーヒーが煮詰まる前にその男はやってきた。 黒いスーツに無理やり身を包み、妙に挙動が固い。椅子に腰を下ろすなり、「父の遺産の土地について相談が」と、開口一番。 なのに目は、俺じゃなくて事務所の壁時計ばかりを見ていた。
朝一番の訪問者は妙に落ち着きがなかった
「遺産分割協議書はありますか?」と聞くと、ぎこちなく鞄から紙束を出した。やけに綺麗にホチキスされた書類。 経験的に、こういう整いすぎた書類はどこかが怪しい。 だが、それを見抜くには時間がかかる。サトウさんはすでにメモ帳に何かを走り書いていた。
亡き父が残した土地の謎
土地は山間部にある古い別荘跡。価値は低いが、なぜか兄弟で揉めているらしい。 「父が生前、兄には譲らないと言っていたんです」と男は言った。 しかし登記簿には、その兄の名前が記されていた。しかも亡くなる数日前の日付で。
登記簿に記載された不自然な移転の時期
亡くなる直前、というのはよくあるが、同日に病院に入院した記録があることもまた多い。 病院に照会をかけると、その日はICUに入っていたと判明。筆跡を書ける状況ではなかった。 「やれやれ、、、またか」と、俺は思わず独り言を漏らした。
サトウさんの鋭い一言
「この時期、確定申告の準備があるんじゃないですか?」 彼女の言葉にピンときた。もし兄が財産を自分のものにしていたなら、所得税の申告履歴があるはずだ。 だが、それを照会してみると、不思議なことに“0”だった。
「この時期、確定申告の準備があるんじゃないですか?」
彼女の指摘は的確だった。相続で得たものは非課税でも、売却すれば課税される。 兄の方はすでにその土地を担保に金を借りていたのだ。登記を使った利益があるのに、それを隠していた。 つまり、虚偽の申告、ひいては何かを隠す必要があったということだ。
遺産分割協議書の影に潜む真実
書類を再確認すると、署名の一部に“違和感”があった。 とくに父の署名だけが、妙に筆圧が弱い。 さらに気づいたのは、日付の数字の書き方が、父の過去の契約書と違うことだった。
明らかに筆跡が違う署名の存在
一度疑い始めると、すべてが怪しく見える。 筆跡鑑定に回すと、やはり別人のものだった。 つまりこの登記の移転には、明確な“作為”があったということになる。
隣地の古老が語る過去
地元の公民館で聞き込みをすると、隣地に住む古老が興味深いことを話してくれた。 「あの土地は兄弟で揉めてたんだ。とくに兄貴の方が執念深くてな」 その話を聞いた途端、パズルのピースがカチリとはまったような気がした。
「あの土地は昔から揉めてたんだ」
争いは長く続いていたのだ。父が亡くなる前にも、何度か警察沙汰になったという。 土地を巡っての骨肉の争い。昭和のドラマかサザエさんの波平とマスオが本気で喧嘩した時のような気まずさが残っていた。 だが、それもすべては兄が仕組んだ筋書きだった。
古い公図と最新登記情報の不一致
さらに調査を進めると、古い公図と現在の地番がわずかにずれていることに気づいた。 普通は気にしないレベルだが、登記上は致命的な違いとなる。 この微妙なズレを利用した“乗っ取り”の可能性が見えてきた。
区画がずれているように見える理由
これは、意図的に公図を誤認させることで、本来の土地とは異なる場所に登記を設定させる手口だ。 まるで怪盗キッドがターゲットの宝石を偽物とすり替えるような鮮やかさ。 その裏には、間違いなく知恵者がいた。
元地主が語った“譲渡”の真実
元の所有者に当たると、「そんな話、聞いてない」と顔をしかめた。 調べてみると、署名された“譲渡契約書”は、彼のものではなかった。 つまり、完全な偽造。これは詐欺事件の様相を呈してきた。
「あいつに脅されたんだよ」
「断ったら、事務所に火をつけるって言われたんだ」 元地主の証言は決定的だった。兄は強迫と偽造で登記を進めた。 この証言を録音し、すぐに警察へ情報提供した。
登記申請書類の不備に隠された意図
登記書類を再チェックすると、不自然な箇所が見つかった。 添付された住民票の写しに、引越し後の住所が使われていたのだ。 これもまた、偽造が疑われる部分だった。
添付書類から読み取れる改ざんの跡
住民票の発行元に確認すると、そんな日付で発行された記録はなかった。 完全な捏造、しかも第三者の協力がなければできない仕事だ。 やはり、登記を悪用する人間は、法の網をかいくぐることに長けている。
シンドウの過去の失敗と決意
「昔、似たような案件で騙されたんですよ」 俺はそうサトウさんに話した。あの時の悔しさは今でも忘れない。 だからこそ、今回は見逃さなかった。
「昔は気づけなかったことも、今ならわかる」
経験は武器だ。年を取るのも悪くない。 その分だけ、見える景色がある。 その景色を信じて、今、俺は一つの“嘘”を暴いた。
サトウさんの執念の調査
サトウさんは地方紙のバックナンバーまで調べていた。 そこに、兄が過去に不正登記で行政指導を受けていたという記事が載っていた。 「やっぱりね」と彼女は言った。
地方紙の片隅に載っていた一行の記事
その記事が決め手になった。兄は“前科者”だったのだ。 不動産に絡むトラブルが過去にもあり、今回もその延長だった。 人はそう簡単に変わらない。
浮かび上がる真の黒幕
事件の中心には、やはり兄がいた。 だが、そこには司法書士を名乗る偽者の存在もあった。 別事務所で働いていた元補助者が、書類を偽造していたのだ。
依頼人の兄が全てを仕組んでいた
すべては兄が仕組んだシナリオ。 依頼人は、それを知らずに協力させられていた。 だが、もうすべては明らかになった。
決め手となった登記簿の付随情報
最後のピースは、登記簿の備考欄にあった“錯誤による更正”の記載。 そこに書かれた元データが、今回の真実を物語っていた。 「登記簿は嘘をつかない」。それは、今回も変わらなかった。
備考欄に書かれていた“錯誤による更正”
その一文が、兄の嘘を打ち砕いた。 登記簿の記載を軽視したのが、彼の最大のミスだった。 俺は登記の力を信じてよかったと、久々に胸を張れた。
司法書士としての責任と矜持
仕事は面倒だ。調査も手間だ。報われないことも多い。 でも、それでも俺は司法書士だ。 誰かの権利を守る、それが俺の誇りなんだ。
「不動産の登記には、人生が詰まってる」
登記はただの記録じゃない。 人の欲望も、絆も、裏切りも全部載っている。 その一行一行を、俺たちは見逃しちゃいけない。
やれやれ、、、また今日も一件落着だ
依頼人は涙を流しながら礼を言って帰っていった。 サトウさんは「次はもっと簡単な案件がいいですね」と冷めた目で言った。 やれやれ、、、俺の平穏は、今日も遠いらしい。