朝の静寂に訪れた来客
届いた封筒と見慣れぬ筆跡
その朝、事務所のポストには一通の封筒が挟まっていた。差出人名は書かれていないが、宛名の筆跡はどこか古風で、不思議と印象に残る。妙にインクが濃く、滲んでいたのは湿気のせいか、それとも——。
サトウさんの冷静な視線
「シンドウさん、これ、開けていいですか?」 サトウさんは目を細めて封筒を掲げた。無表情だが、その目はいつものように冷静な光を宿している。うなずくと、彼女は手早く開封し、黙って中身を差し出した。
奇妙な委任状の違和感
一字違いの住所表記
「住所が微妙に違うんですよ」 彼女は赤ペンで二箇所を指摘した。なるほど、町名の一文字が旧字体になっている。通常ではありえない表記の仕方だった。そこに、うっかり者の私でも何かの“細工”を感じた。
印影に潜む微かな違和感
印鑑の押し方にも妙な癖があった。下の部分が擦れており、角度がいつもと逆になっている。「これは…わざと薄く押してますね。コピー耐性も低い」とサトウさん。 サザエさんなら波平が逆に押しそうな印鑑だったが、こっちは洒落にならない。
依頼人は何者なのか
口数の少ない老紳士
午後、件の委任状の主が現れた。スーツに身を包んだ年配の男性で、口数は少なく、目元には何かを隠しているような影があった。 「よろしく頼む」その一言だけを残して、書類を机に置いていった。
名義人の存在しない登記簿
調査を進めていくうちに、該当の土地の登記簿には、存在しない名義人の名前が記載されていた。というより、過去の登記変更が一度もされていないのだ。古いまま、今まで放置されていたということになる。
旧家屋と失われた境界線
法務局の記録に残る空白
法務局の資料室で調べたところ、問題の土地の測量図には、なぜか一部だけ「墨塗り」されていた。資料の劣化か、意図的な隠蔽か。記録員も「珍しいですね」と首を傾げるほどだった。
境界確認書を巡る三つの証言
隣接する三軒の住人に話を聞くと、三者三様の証言が飛び出した。「あれはウチのもんです」「いや、あの杭は昔ずらされたんだ」「家が建った時にはもうなかった」。まるで名探偵コナンのエピソードのような三すくみ状態だった。
暴かれたもう一つの住所
元住人の告白
電話帳の古いデータから、元々の所有者の名前を探り当てた。彼は現在、遠方の老人ホームにいた。面会に行くと、老人はポツリと「土地を奪われた」とつぶやいた。どうやら委任状の差出人とは因縁があるらしい。
土地を奪われた過去の記憶
老人は、昔、親族に無理やり印鑑を持ち出され、売買契約が勝手に進められたという。契約書は存在せず、登記もされないまま話は風化していた。しかし、その「余白」が今回の偽装に利用されたのだ。
サトウさんの推理と無言の糾弾
筆跡と印鑑の不一致を暴く
サトウさんは筆跡鑑定アプリを使い、委任状と過去の住民票の署名を比較した。「やっぱり、違いますね。わずかに“ら”の角度が逆です」。冷静な口調で彼女は“違法”を告げた。
見えない証拠をつなぎ合わせて
登記申請の直前で私は提出を止め、依頼人に連絡を取った。彼は案の定、音信不通となり、翌週には警察の事情聴取を受けていた。これで、未遂で済んだ。 やれやれ、、、こんな時ばかり冴えるなんて。
夜に嗤う司法書士の真意
静かに仕掛けられた罠
封筒を送りつけてきたのは、かつて登記に関わった別の司法書士だった。彼は、私が気づくことを見越して書類を仕込んでいた。遺恨なのか、試験だったのか、それはもう分からない。
「やれやれ、、、こんな時だけ冴えるんだよな」
夜、デスクに戻って冷めたコーヒーを啜る。 「全部、あの封筒から始まったんだよな」 ため息をついた時、サトウさんがぽつりと呟いた。「ほんと、もっと普段から冴えてればいいのに」。
崩れ落ちる偽装の壁
書類一枚が語る真実
全てを語るのは紙一枚だった。人は嘘をつくが、紙は嘘をつかない。その“余白”こそが証拠となることを、私は身をもって学んだ。
不動産詐欺の終焉
警察は事件を「未遂」と判断し、起訴には至らなかったが、関係者への警告にはなった。土地の登記も改められ、空白はようやく埋められた。
結末とその後の書類仕事
事務所に戻ると冷めたコーヒー
事件が終わっても、日常は戻る。机の上には次の案件の書類が積まれていた。私はそれを手に取り、コーヒーを一口飲む。「うん、苦いな…」
サトウさんの一言が胸に刺さる
「苦いのはコーヒーじゃなくて、人生ですよ」 塩対応なその言葉に、私は笑ってごまかすしかなかった。
そしてまた次の依頼がやってくる
午後に鳴る電話のベル
午後三時、電話が鳴った。「あの、ちょっと相談が…」とおずおずした声が受話器越しに響いた。私は背筋を伸ばす。
誰かの「困った」に司法書士は応える
やれやれ、、、また始まるのか。そう思いながらも、受話器を取り上げた。困った人のために、今日もまた、登記簿の余白と向き合う。