昔の恋人がふと脳裏をよぎる日常の瞬間
業務に追われているはずの平日、ふとした瞬間に、もう何年も会っていない昔の恋人の顔が頭に浮かぶ。司法書士という職業柄、淡々と書類を処理し、目の前の案件をこなしていく日々だが、心の奥底には小さな隙間があり、そこに過去の記憶が忍び込んでくる。特に、仕事の合間や帰宅後、何気ない日常の中に、ふと彼女の名前や声を思い出してしまうことがある。日々を忙しく過ごしていても、人間の心は過去と無関係ではいられない。そんなことを改めて実感する。
なぜか手が止まる書類整理の時間
月末になると、山のような登記申請書類や契約書の確認作業が待っている。集中しようと思っても、気がつけば手が止まっている瞬間がある。書類の宛名にふと目をやったとき、昔の恋人と同じ苗字を見つけた。たったそれだけで、記憶の蓋が開いてしまうから不思議だ。彼女が引っ越すときに一緒に荷造りしたダンボールの山や、手伝いながら笑った会話までが、映像のようによみがえる。
封筒の文字に似ていた名前
ある日、依頼者から届いた封筒の宛名を見たとき、漢字の並びと筆跡が、昔の彼女からの年賀状とそっくりで、思わず手が止まった。もちろん別人だとわかっていても、その瞬間だけは心が時間を遡る。司法書士という堅い職業でも、書類ひとつで心が揺れることがあるなんて、学生時代の自分が聞いたら笑っていただろう。
あの頃と変わらぬ筆跡に胸がざわつく
彼女の文字は、少し丸みを帯びていて、でも几帳面だった。法務局へ提出する書類の中に、それに似た筆跡を見つけたとき、思わずページをめくる手が止まり、しばらく眺めてしまった。書類に感情を乗せることなんてないと思っていたが、それはきっと慢心だったのだ。感情の記憶は、意外な形で心をつついてくる。
電話の保留音が刺さる瞬間
事務員が不在の日に限って電話対応が増える。保留中の音楽をぼんやり聞きながら、ふと昔よく聴いていた曲を思い出すことがある。その曲はたまたま彼女が車でよく流していたもので、同じメロディラインが耳に入った瞬間、時間が止まったような気分になる。仕事に集中しなきゃと思えば思うほど、思い出は鮮明になる。
あの頃一緒に聴いていた音楽の記憶
大学時代のドライブデートでは、決まって彼女がCDを選んでいた。ミスチルとかスピッツとか、今でもFMから流れてくると、あの助手席で無邪気に歌っていた姿が浮かんでしまう。司法書士になってから、そういう感情を押し殺して生きてきたが、音楽だけは記憶を上書きしてくれない。
耳から入る過去の匂い
音楽を通して思い出すのは、単なる音や風景だけじゃない。彼女のシャンプーの香り、コンビニで買った缶コーヒーの甘さ、隣にいたぬくもりまでが一気によみがえる。たった数秒の音で、こんなに揺さぶられる自分に驚きつつも、それが生きてるってことなのかもしれないと思ったりする。
仕事の忙しさと心の隙間の不思議な関係
忙しいときほど過去を思い出すのは、皮肉なことだ。業務量が多ければ多いほど、「感情」という存在が仕事の隙間から染み出してくる。月末の山積み書類に囲まれながらも、どこか気持ちが満たされない。仕事で埋まらない何かが、自分の中にあるのだと気づかされる。司法書士という職業は、思った以上に“孤独”を伴う。
数字と向き合うだけでは埋まらないもの
登記申請の期限、報酬の請求書、月次処理と、すべてが数字で管理される世界。その中に身を置いていると、自分も記号のような存在になった気がする瞬間がある。だけど人間って、やっぱりどこかで「誰かに必要とされたかった」という感情が残っている。昔の恋人は、そんな自分をまるごと受け入れてくれていたのかもしれない。
案件が立て込むと逆に過去が浮かぶ
スケジュールが詰まりすぎて、昼食も後回し、トイレも我慢しながらこなすような日がある。そんなとき、ふと手を止めて目を閉じると、なぜか過去が浮かんでくる。これが「逃避」なのか「癒し」なのか、自分でもよくわからない。ただ、忙しさの中にこそ、本当の心の声が聞こえる気がする。
手を動かしていても心は止まっている
書類の印字確認、印鑑の押し忘れチェック、細かいルールの確認。どれも手は動いているけれど、心はどこか別の場所にいる感じ。誰かの笑顔や、昔の風景が勝手に浮かんできて、今の自分を問いかけてくる。「こんな日々でいいのか?」と。答えは出ないまま、目の前の印鑑を押し続けている。
月末になると押し寄せる孤独感
なぜか月末は、妙に寂しさを感じる。たぶん、ひと月分のエネルギーを使い果たしたあとに、虚しさが残るからかもしれない。報酬の請求書を作成しながら、「誰のために頑張ってるんだっけ」とつぶやいたことがある。その問いに答えてくれる人が、今はそばにいない。
やるべきことの終わりが見えた瞬間
ひとつの案件が完了し、書類を法務局に提出した帰り道。ホッとするはずなのに、心はなぜか空っぽになることがある。達成感よりも、もう二度と会えない誰かのことを思い出してしまう。帰り道のコンビニの灯りが、妙に寂しく見えたりするのは、自分だけじゃないと信じたい。
達成感よりも残る空白の正体
「終わった」という事実が、次に「誰かと分かち合いたい」という欲を呼び起こす。でも、それが叶わないとき、その欲は空白になって心に居座る。それが孤独なのか、愛の不在なのか、言葉にはできない。ただ、自分が誰かを思い出す日には、きっと誰かもまた、誰かを思っているんじゃないかと願ってしまう。