完了の判子を押しても心は晴れない日がある
登記が無事に完了し、依頼者から「ありがとうございました」と言われる瞬間。司法書士としてやるべきことをやり終えた達成感があるはずなのに、なぜか心は空っぽ。達成よりも、「ようやく終わったか……」という疲労の方が勝ってしまう。そんな日が続くと、自分は何のためにこの仕事をしているのか、ふと立ち止まって考え込んでしまう。独身で話し相手もおらず、忙しい毎日を送っていると、完了よりも心のバグの方が早く押し寄せる。
仕事は順調なはずなのに何かが違う
外から見れば、ちゃんと仕事もこなしていて、クレームも少なく、数字的にも問題はない。事務員さんもよく動いてくれて、書類も予定通りに進む。それなのに、気持ちの奥底では何かがつかえている。まるで、綺麗に見えるプリンターが中で紙詰まりを起こしているような、そんな違和感がつきまとう。元野球部だった頃は「やり切った感」に救われていたが、今はその実感が持てないのだ。
成功しても虚無感だけが残る瞬間
依頼人が喜んで帰っていく姿を見送るとき、自分だけが取り残されたような気持ちになる。「感謝されてるのに、なんでこんなに虚しいんだろう?」そんな気持ちがふと顔を出す。昔、地域の野球大会で優勝した帰り道、仲間と笑い合ったあの頃のような感覚はもうどこにもない。人に喜んでもらうことが、これほど味気なく感じるとは思わなかった。
周りに言えない司法書士の孤独
「忙しいのはありがたいことですよね」「安定していていいですね」そんな言葉をもらうたびに、愛想笑いで返す。心の中では「いや、実は毎日ちょっとずつ壊れてるんですけど」と呟いている。司法書士という仕事は、相談されることはあっても、相談できることは少ない。そうして孤独が積み重なっていく。モテるわけでもなく、飲みに行く仲間もいない今、ふとした瞬間に心がバグるのも無理はないのかもしれない。
終わりが見えないタスクに心が擦り減る
完了処理をしている最中にも、次の案件の電話が鳴る。「この仕事が終わったら少し休もう」なんて思っても、現実はそんなに甘くない。チェック、提出、確認、郵送、請求、またチェック……終わりなき無限ループに、気づけば心が磨耗していく。ゲームで言えばセーブもできないハードモード。しかもセーブせずにバグる。
「完了」してもすぐ次が始まる理不尽
本来、「完了」という言葉には「一区切り」という意味があるはずだ。でもこの仕事では、その「完了」が次の案件の始まりの合図に過ぎない。喜ぶ間もなく、次の書類の準備が始まる。お祝いムードなどない。野球で言えば、9回裏が終わっても延長戦が延々と続くようなもの。心のスタミナが切れても、交代要員は来ない。
システムに合わせる人間の限界
法務局のシステム、郵便のタイミング、金融機関の都合……すべてに合わせて動く人間のほうが壊れかけている。電子申請が便利になったとはいえ、全てが機械的に進むわけではない。逆に、その整合性を保つためにこちらの頭と体がすり減る。人間のほうがバグってるのに、システムは正常に動いているという理不尽に、時々イラッとする。
バグった心がふとした瞬間にあふれ出す
なんでもない瞬間に涙が出そうになることがある。道端の小学生の笑い声や、事務員さんの何気ない「お疲れさまです」のひと言が心に突き刺さる。忙しさの中に押し込めた心のバグが、ふいにあふれ出してしまうのだ。機械のように淡々と業務をこなしてきたはずなのに、感情のほうが先に限界を迎えている。
封筒一枚に泣きそうになる日
封筒の宛名が少しズレて印刷された。それだけのことで「もう無理かもしれない」と思った。たった一枚の紙に、自分の不安や焦燥が全部詰まっていたような気がした。事務員さんが「気にしなくて大丈夫ですよ」と笑ってくれたのが救いだったけれど、心の中では「これ以上はバグるなよ」と自分に言い聞かせていた。
紙の山と電話の音が心を崩す
机の上に積み上がる紙、鳴りやまない電話、無言のプレッシャー。それらが一斉にのしかかってくると、頭が真っ白になる瞬間がある。昔の部活では「気合いだ」でなんとかなったけど、今は気合いではどうにもならない。「すみません、少しだけ時間をください」と言う勇気すら出てこない日もある。
朝イチのメールで一日が崩れる
朝、パソコンを開いて一通目のメールにミスの指摘があると、そこから一日が暗転する。昨日までの自信や疲労が一気に崩れ去り、「ああ、またやっちまった」と自己否定が始まる。切り替えようとしても頭がバグっていて、集中力が戻らない。メールの文面一つに、心が大きく揺れてしまうのは、積もった疲れのせいだ。
丁寧に書いたのに伝わらない苛立ち
何度も確認し、丁寧に書いたつもりの説明が「わかりにくい」と返されたとき、「もう言葉なんて通じないんじゃないか」と投げやりになったことがある。誤解されたことよりも、努力が伝わらなかったことの方がつらい。心が疲れていると、ほんの少しの言葉にも過剰に反応してしまう。
少しでも心を守るためにできること
心が壊れないようにするには、小さな対処の積み重ねしかない。劇的な解決策なんて、そう簡単には見つからない。けれど、自分をちょっとだけ大切にする習慣を積むことで、バグの進行を少し遅らせることはできる気がしている。日々の中で「自分に優しくする」瞬間を意識的につくる。それが今の自分には必要だ。
忙しい中に「自分のための5分」をねじ込む
どんなに忙しくても、5分だけ自分のために使う。事務所の外に出て空を見上げるだけでもいい。スマホを見ない時間を意識的につくるだけでもいい。そんな時間をつくることに最初は罪悪感があった。でも、心がバグらないための必要経費だと考えるようになった。
コーヒー一杯が心を支える日もある
最近はお気に入りのコーヒー豆を取り寄せて、昼前に一杯淹れるようにしている。その香りと味にほんの少し癒される。コーヒー一杯がご褒美になってしまう生活もどうかとは思うけど、それでも、その一杯がなかったら心はもっと早く壊れていたかもしれない。
話せる相手を一人でも確保しておく
愚痴を言える相手がいるかどうかは、想像以上に大事だと思う。最近、同業の先輩とたまに電話で話すようになった。愚痴を言い合うだけなのに、心が軽くなる。共感してもらえるだけで、「自分だけじゃない」と思えることが救いになる。
愚痴が言える人間関係は貴重
昔は「愚痴を言っても何も変わらない」と思っていた。でも、今は違う。愚痴を言うことで、心のバグが少しだけ修正される気がする。聞いてくれる人が一人でもいれば、それだけでまた明日も仕事を続ける力になる。だから、今の自分は誰かの愚痴も、ちゃんと聞いてあげられる存在でありたいとも思っている。